第七十三話:奇跡の吉報と、不機嫌な君
メッセから遠く離れた、オルティジア王国の首都レム。
王宮の執務室には、重苦しい絶望が漂っていた。
「……メッセからの続報は、まだ来ないの……!?」
留守を預かるニナが、書類を握りしめたまま悲痛な声を上げる。
「帝国軍十万が進軍を開始」
「湖上の水上砦がわずか一日で全滅」
という一報以来、王都の誰もが生きた心地をしていなかった。十万の大軍に対し、東端のメッセにいるラインの手勢はわずか数千。どう考えても勝算など存在するはずがなかったのだ。
その時だった。
「ニナ様、報せです! メッセより早馬ぁぁぁーーーッ!!」
ドタバタと重い音を立てて、汗と泥に塗れた伝令兵が執務室の扉を蹴り開けるようにして跳び込んできた。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れている。
「まさか……お兄ちゃん……」
ニナが唇を噛み締め、青ざめた顔で目を瞑る。
しかし、伝令兵が喉を割れんばかりに叫んだ言葉は、その場にいた全員の思考を停止させるものだった。
「我が軍の大勝利! マルマラ湖にて聖王ライン陛下、わずか一千五百の手勢を率い、帝国軍十万を撃退! 敵将ガルシアは討死にーーーッ!!」
「……………………は?」
ニナの口から、間ぬけた声が漏れた。
周囲の側近たちも、まるで理解不能な古代語でも聞かされたかのように固まっている。一千五百で、十万の敵軍を撃退……?
「き、奇跡です! 暴風雨の夜、陛下は自ら一千五百の死兵を率いて湖へ打って出られ、連環の鎖に縛られた敵艦隊へ火計を叩き込まれました! 敵艦隊は炎の海と化し、ガルシア将軍は騎士団長レオン様の一撃によって討ち取られました!残存の敵艦隊も、戦う事なく撤退しました!」
「一千五百で……十万を……!?」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、王宮全体が、いや、城下町全体が地鳴りような爆発的歓喜の渦に包み込まれた!
「勝った……! お兄ちゃんが、勝ったぁぁぁッ!!」
「一千五百で十万を撃退した近世最高の奇跡だ!」
「さすがは我らの聖王陛下!!」
留守居の将兵が抱き合って涙を流し、街中が歓喜に包まれる――。
◇
一方その頃、歴史的偉業を達成した当の舞台である都市メッセの港。
嵐が去り、澄み渡るような秋晴れの下、メッセの民衆や残留していた兵士たちが港を埋め尽くしていた。
「ライン陛下万歳!」「マルマラの英雄!」と惜しみない喝采と花吹雪が舞い散る中、決死隊を乗せた高速船が、静かに波止場へと滑り込んでいく。
甲板の上では、騎士団長レオンが胸を張り、兵士たちが誇らしげに胸を叩いていた。
そしてその中央。満身創痍(※ただの重度の船酔いと胃痛)で船の手すりに掴まり、なんとかポーカーフェイスを維持している俺――ラインの姿があった。
(うぷっ……や、やっと……やっと陸地に足が着く……長かった……俺の胃袋との死闘がようやく終わる……)
歓呼の声を送る民衆に「うむ」と力無く手を振り返しながら、タラップを踏みしめて桟橋へと降り立つ。これでようやく横になれる――そう安堵した瞬間だった。
波止場の最前列、群衆の歓声の渦から少し離れた場所に、異様な威圧感を放つ一人の少女が立っていた。
アルテである。
腕を組み、両の頬をこれでもかと言わんばかりに『ぷくーっ』と膨らませている。
置いてけぼりにした不満が全身から溢れ出ていた。
(あ…………やべぇ……)
俺の脳裏に、出撃前夜の記憶が鮮明に蘇る。
あの夜、アルテは俺の部屋で重すぎる愛と熱意をぶつけてきてくれたのだ。それなのに俺は、軍事上の機密と急転直下の奇襲(というか半分パニック出撃)だったとはいえ、彼女に一言の相談もなく、メッセに置いてけぼりにして十万の敵陣へ突っ込んでしまったのである。
レオンや兵士たちが空気を読んでそっと後ろへ引き下がり、俺とアルテの間には微妙な空間が生まれた。
アルテは組んだ腕を解かないまま、ジト目で俺をじーっと睨みつけてくる。ぷにぷにの頬は膨らんだままだ。
「……アルテ」
「…………」
無言。凄まじいプレッシャーだ。帝国艦隊と対峙した時より胃が痛い。
俺は必死で頭を下げ、冷や汗を流しながら素直に謝罪の言葉を口にした。
「……ごめん。黙って出撃して、置いてけぼりにして悪かった。心配させたな」
十万を破った覇王が、一人の少女の前で縮こまって頭を下げている。
その姿を見たアルテは、しばらく「むーっ」と不機嫌そうに鼻を鳴らしていたが、やがてハァと溜め息を一つ吐いた。
そして、組んでいた腕を解くと、膨らませていた頬を元に戻し――眩しい笑顔を咲かせた。
「ふふっ……もう、勝手なんだから、ラインは」
アルテは一歩前へ踏み出すと、最高に美しいレフェレンスを執ってみせた。
「――おめでとうございます、ライン陛下。」
その笑顔には、置いていかれた寂しさも、怒りも、すべてを吹き飛ばすほどの深い愛と勝利への誇りが満ちあふれていた。
「……ああ。ただいま、アルテ」
俺が胸を撫で下ろして微笑むと、それを見た民衆から「「「おめでとうございますーーーッ!!」」」と、今日一番の盛大な歓声と拍手が巻き起こった。
◇
メッセでの勝利の余韻も束の間、俺たちは整備を終えて首都レムへの凱旋の途についた。
豪華な馬車の中、向かいに座るアルテは、先ほどまでの不機嫌が嘘のように上機嫌で羊皮紙の書類を広げている。
「それにしても、暴風雨を利用した接近、連環した艦隊への放火、そして旗艦へのピンポイント奇襲……。……やっぱりラインは、只者じゃないね」
頬を赤らめ、うっとりとした目でこちらを見つめてくるアルテ。
(クッ…しまった!咄嗟の事とはいえ、無能を演じて楽する俺のヘタレプランが崩れてしまった…)
俺は必死で「俺は船酔いで何もしてないけどな」と嘯くしかなかった。
やがて、馬車は首都レムの大通りへと差し掛かる。
外からは、メッセ以上の地鳴りのような大歓声が響いてきた。紙吹雪が空を舞い、街中が祭り騒ぎだ。
王宮の正門が開くと、そこには涙を浮かべたニナをはじめ、森から戻ってきたセシリアやレイラ、そして留守を預かっていた重臣たちがずらりと並んで待っていた。
馬車から降り立った俺を迎えたのは、王国中の歓喜と、勝利の光に満ちた民衆の笑顔。
(十万を破った聖王……ね。胃潰瘍になりそうだが、まあ……みんなが笑ってるなら、良しとするか)
俺は心の中で小さく溜め息をつきながら、救国の英雄として完璧な営業スマイルで民衆へと手を振るのだった。
お読みいただきありがとうございました!
帝国軍を破った歴史的大勝利の報せが首都レムに届き、王国全体が爆発的な歓喜に包まれました!
そしてメッセの港では、置いてけぼりを食らってぷくーっと頬を膨らませて怒っていたアルテちゃんでしたが、ライン陛下の素直な謝罪と無事な姿を見て、最高の「おかえりなさい」を届けてくれましたね!
重い愛と補佐官としての信頼が入り混じったアルテの笑顔、最高に可愛らしかったです。
しかし、ライン陛下の胃痛と勘違い神格化の連鎖はまだまだ終わる気配がありません(笑)。
「アルテの膨れっ面からの笑顔が可愛すぎる!」「レムの留守番組の『は??』のリアクションが最高」「ライン陛下、胃お大事に……!」と思ってくださった方は、ぜひページ下部の★★★★★評価やブックマークで応援していただけると、執筆の凄まじい活力になります!
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