第七十四話:凍りつく祝勝会
歴史的大勝利の余韻に浸るオルティジア王国の王宮大広間は、熱狂の渦の中にあった。
「ライン陛下に乾杯! 我らがオルティジアに栄光あれーッ!」
「「「ばんざーい!!!」」」
豪勢なご馳走と高級な酒が惜しみなく振る舞われ、将軍も貴族も兵士たちも、無礼講とばかりに杯を交わし合っている。
そんな狂喜乱舞する会場の上座で、俺は胸元を押さえ、死んだ魚のような目で笑みを張り付けていた。
(うぷっ……お願いだから静かにして……あと酒を注がないで……俺の胃と肝臓はまだ死んでるんだよ……)
連日の極度の緊張、船酔い、そして周囲からの留まることを知らぬ神格化。
俺の胃壁はすでにズタズタであり、今すぐこの場を抜け出して自室のベッドで丸くなりたい一心だった。
だが、俺のそんな思惑とは裏腹に、不穏な空気はすぐ近くから漂っていた。
「……ぐびっ、ぐびっ、ふはぁっ!」
俺の斜め向かいの席で、樽のようなデキャンタから直接なみなみと酒を注ぎ、豪快に飲み干している人物がいた。
今はオルティジアの食客になっているセシリアである。普段の口うるさい委員長の面影はどこへやら、彼女の真っ白な頬は真っ赤に染まり、その瞳は完全に据わっていた。
「セシリア……少しペースが速すぎないか?」
俺が引きつった笑みで声をかけると、セシリアはピクッと眉を跳ね上げ、血走った目で俺を睨みつけてきた。
「ウルサイわね……! 私が何を飲もうと自由でしょ! それに……あんたのせいでしょ、あんたの!!」
「え、俺!?」
「そうよ! 私達がメガロボアと戦わせてる間に、一人で十万の敵陣に突っ込んで……! 帰ってきたと思ったら、補佐官とベタベタベタベタベタベタ……ッ!!」
完全に酒に呑まれている。日頃の鬱憤と、ラインへの心配、そしてアルテへの対抗心が、アルコールという最悪の発酵油を注がれて爆発寸前になっていた。
「私の気も知らないで……あんたって人はァァァッ!!」
「ぶっ!?」
ドガァンッ! とテーブルを蹴り飛ばす勢いで立ち上がったセシリアが、鬼の形相で俺へ飛びかかってきた。
逃げる暇すらなかった。俺は胸ぐらを力任せに掴まれ、そのまま豪華なソファの上へと押し倒される。
「セシリア、落ち着――むぐっ!?」
説得の言葉は、強烈な衝撃と共に塞がれた。
セシリアの柔らかく熱い唇が、俺の唇へと強烈に叩きつけられたのだ。
(えっ……あ、え……!?)
一瞬のハプニング事故、誰もがそう思った。酔っ払いの突発的な過ちだと。
しかし、セシリアは離れなかった。
それどころか、両手で俺の後頭部をがっしりと固定すると、さらに深く、隙間もないほどに唇を重ね合わせてきたのだ。
「ん……ッ、ふ……ぁ……っ」
酒の甘い香りと、セシリアの熱い息が口内へと流れ込んでくる。
ただ触れ合っているだけではない。それは息が詰まるほどに濃厚で、舌が絡み合うようなキスだった。
(んぐっ!? む、無理……息が……っていうか舌が……セ、セシリアァァァッ!?)
脳みそが沸騰しそうなほどの官能とパニックが押し寄せ、俺の目は白黒になりかけた。
◇
……静寂。
さっきまで爆音のような歓声が響き渡っていた大広間が、まるで時間が凍りついたかのように、完全に無音となった。
歓談していた貴族が杯を落とし、地味な音を立てて絨毯へ酒が染み込んでいく。誰も声を発することができない。あまりにも刺激的で、あまりにも堂々とした不敬(?)、そして愛の暴走。
約数十秒にも及ぶ濃厚な接吻を終え、セシリアはぷはっと息を吐きながら唇を離した。
彼女の唇からはツッと一筋の銀糸が引き、蕩けた瞳で俺を見下ろしている。
「……ふふ、ざまあみなさい。あんたの初めては、私のものよ……」
セシリアが満足気に呟いたその瞬間。
会場の温度が、物理的に絶対零度まで急降下した。
「……へぇ」
氷の底から響くような、地獄の底からの声が上がった。
声の主は、補佐官アルテ。
彼女の瞳からは完全に光が消え失せていた。顔は笑顔のままだが、全身からど黒い殺気が渦巻いている。
「殺す……絶対に殺す……帝都の魔女め……!!」
アルテは、会場外で待機していた魔導兵、ぽんた、タマ、ポチが一斉に起動する。
ガガガガギィィィンッ!!
「ムムッ!それはいかんぞアルテ!また屋敷を消し飛ばすつもりかっ!」
レイラが顔を真っ赤にして大慌てで叫ぶが、アルテの耳には届かない。魔導兵の眼光が赤く怪しく発光し、駆動音が大広間に響き渡る。
一方、その少し離れた場所では――。
「あ、あう……お兄ちゃん……お兄ちゃんが……あんな濃厚な……」
ニナが膝から崩れ落ち、ショックのあまり白目を剥いて、まるで灰のように真っ白に燃え尽きていた。魂が口からぬーっと抜け出しかけている。
そんな惨状を、壁際に立つシャルロッテは扇子で口元を隠しながら、実に愉悦に満ちた表情で見つめていた。
「おやぁ? これはこれは……。実に面白いことになった。十万の大軍を破った聖王陛下も、女難の相には勝てないようでだねぇ。ふふふ」
(助けて……誰か俺を殺して……!!)
セシリアの抱擁から解放されたものの、目の前には魔導兵を起動したヤンデレ補佐官、灰になったニナ、錯乱する騎士団副長。俺は胃を抱えてその場に崩れ落ちるのだった。
◇
狂乱の祝勝会が繰り広げられているオルティジア王国から、遥か東――。
マルマラ湖の対岸に位置する、ガルシア軍集団の前線補給基地。
そこには、王都の賑わいとは真逆の、死界のような重苦しい沈黙が立ち込めていた。
嵐の夜、命からがら逃げ延びてきた数十隻の敗残船と、全身泥と血に塗れた敗残兵たちが、打ち捨てられたように港に身を寄せ合っている。
「……ガルシア将軍討ち死に、戦死者は2000だと?」
暗い幕僚部屋で、重厚な甲板用の椅子に腰掛けた男が、静かに報告書を突き返した。
男の名は、帝国軍陸軍卿――グスタフ。
皇帝の側近であり、ガルシアのような猪突猛進の将とは一線を画す、冷酷無比な気鋭の戦略家である。
「は、はい……! 敵は嵐に乗じ、わずかな小舟で我が陣へ突入……連環の鎖に火を放ち、大混乱に陥ったところを……」
震えながら報告する敗残兵の将校を、グスタフは感情の籠もっていない冷たい瞳で見下ろした。
「愚かな。小勢と油断し、敵のハッタリに踊らされて自滅したか。ガルシアめ、皇帝陛下の宝剣を汚しおって」
グスタフは冷たく鼻を鳴らすと、立ち上がり、窓の外の残存艦隊を見遣った。
「だが……面白くなってきた。ただのもやしっ子と思われたオルティジア辺境伯の小倅め。『神算鬼謀の聖王』か。十万を相手に奇襲を完遂する度量と、天候すら味方につける悪運……なるほど、噂に違わぬ怪物か」
グスタフの手が、腰の軍刀の柄にかけられる。
「敗残兵を直ちに再編成しろ。本国へ打電せよ――第二、第三軍団集団の即時派遣を申請する。これより我が軍は、オルティジア討伐のための『第二次オルティジア侵攻作戦』へ移行する早急に陛下の承認を賜るのだ。」
「は、はっ!」
恐慌を乗り越え、帝国という巨大な獣が、真の殺意を秘めて再び爪を研ぎ始めていた。
「ラインめ……次は貴様の喉元を、我が軍靴で直接叩き潰してやる」
嵐の後の束の間の平穏の裏で、新たなる絶望の火種が、静かに、しかし確実に燃え上がり始めていたのだった。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
これにて『第1部:独立戦争・開幕編』は完結となります!亡くなった父親の領地を継ぎ、サボりたい一心の言動がことごとく裏目に、ついには帝国から独立までしてしまったライン君。彼に真の平和が訪れるのはいつの日か…
【次回予告&第2部開幕のお知らせ】
明日より物語は『第2部:独立戦争・完結編』へと突入いたします!
十万の大軍を退けた「マルマラの奇跡」の余韻も束の間、勝利の裏で暗躍する身内の「裏切り」と、再びオルティジア島へと迫る帝国の冷酷な罠。
胃潰瘍寸前のライン陛下は、過熱するヒロインレースと帝国の脅威を前に、いかにしてこの独立戦争を終わらせるのか――!?
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それでは、新章・『英雄の朝は、胃痛と修羅場と共に』も、どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m




