第六十九話:誰にも、君を渡さない
オルティジア島東端の都市メッセ。
その臨時の会議室は、文字通り真っ二つの熱量に叩き割られていた。
「二千隻の艦隊を相手に、まともに海戦を挑むなど正気の沙汰ではない! メッセの堅牢な城壁に拠り、籠城して敵を疲弊させるべきだ!」
「愚かな! 上陸されてからでは遅いと言っているのだ! 敵が水上陣地を構築している今こそ、港湾部から打って出て迎え撃つべきだろう!」
机を叩き、顔を真っ赤にして怒鳴り合う将軍たち。籠城派と海戦派の議論は平行線をたどり、激しい熱気が部屋に充満していく。
――全くだよ。激突なんて論外だから、早く籠城に決めて引きこもろうぜ。
上座の椅子で、俺は胃のあたりをさすりながら、真っ白な頭でそう念じていた。
海戦なんてやったら一瞬で藻屑だし、上陸されても戦ったら死ぬ。ここは一刻も早く会議を終わらせて、夜逃げのルートを精査したい。だから俺は、余計な口を挟まずにただただ沈黙を貫いていた。早く終わってくれ、頼むから。
だが、その深い(ように見える)沈黙が、またしても破滅的な誤解を生む。
「……フム。なるほど。そういうことですか」
突如、腕を組んで深く頷いたのは騎士団長レオンだった。彼はギラついた目を俺に向けると、これ見よがしに居住まいを正した。
「諸官、静粛に! ライン陛下の御意思はとうに決まっておられる!」
えっ? 決まってないけど?
「陛下は、このメッセの城で敵の上陸を受け止め、時間を稼ぐとお考えなのだ。そして、敵の兵站が伸び切り、疲弊した瞬間を見計らい――最終的に首都レムへと敵を誘導し、一網打尽に決戦を挑む! つまり『メッセ籠城による時間稼ぎからの、首都レム最終決戦案』だ!」
将軍たちがハッと息を呑んだ。
「なんと……! 本島そのものを巨大な罠に見立てるというのか!」
「目先の海戦や籠城にとらわれず、国全体での大局的な勝利を見据えておられたとは……さすがは聖王陛下!」
ちがう。俺はただ今すぐ安全に逃げたいだけだ。首都レムに誘導するって何? 自殺志願者かよ!
「……うむ。その通りだ。各自、ぬかりなく準備せよ」
しかし、俺の口はすでに手遅れな「聖王モード」で肯定のセリフを吐き出していた。
こうして、俺の意思とは180度異なる「本島決戦プラン」で軍議は一応の着地を見せ、重苦しい空気のまま散会となったのだった。
◇
その日の夜。
割り当てられた執務室兼自室で、俺は机の上に胃薬の瓶を並べ、頭を抱えていた。
夜逃げ用の荷物をまとめる気力すら湧かない。帝国兵が押し寄せてくる絶望感は、凡人のキャパシティを遥かに超えていた。
トントントン
控えめなノックの音が響いた。
「……入れ」
ドアを開けて入ってきたのは、いつも冷静沈着な俺の補佐官、アルテだった。
だが、今夜の彼女は明らかに様子が違っていた。
いつもならキッチリと着込んでいる上着のボタンが少し緩んでおり、その瞳はどこか潤んで据わっている。明日の決戦を前にして、彼女の中の何かが昂っているのが空気で分かった。
「アルテ? 書類のチェックなら明日の朝で――」
言いかける前に、アルテは音もなく俺の背後へと回り込んだ。
そして――。
ギュッ、と。
背中からしなやかな腕が回され、俺の身体を強く抱きしめた。
「えっ、ちょ、アルテ……!?」
背中に伝わる、明らかにいつもの事務官のものではない柔らかさと温もり。甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺の心臓が跳ね上がる。
「……ライン、聞こえてる?」
耳元で囁かれる声は、微かに震えていた。だが、そこに含まれる内容は異常なほどに重い。
「もう…計算や理屈で自分を騙すのは疲れたの。明日の戦いで、もし万が一のことがあったら……私は絶対に後悔する」
「アルテ、落ち着けって。死亡フラグ立てにきたのか?」
「愛してるよ、ライン」
遮るように紡がれた言葉に、俺の思考がフリーズした。
「誰にも、レイラ姉さんにも、ニナにも……あのキツネ女にも、帝国の魔女にだって……君を渡さない。君の隣は、私だけの席なんだよ。」
独占欲全開の、据わった瞳が脳裏をよぎる。
重い。
愛の言葉のはずなのに、背筋に冷たいものが走るほどの執念だ。ライバルたちの名前を的確に列挙していくあたり、完全にこちらの逃げ道を塞ごうとしているのがわかる。
「あ、いや、その……アルテ、気持ちは嬉しいんだけどさ! ほら、今は決戦前だし、大人の話を答える精神的な余裕というか、その、な?」
俺は冷や汗を滝のように流しながら、なんとかはぐらかそうと言葉を濁した。
アルテはしばらく俺の背中に顔を埋めていたが、やがてゆっくりと腕を解いた。その表情には切なげな、しかしどこか妖しい微笑が浮かんでいた。
「……いいよ、今はね。でも、生きて帰ったら、絶対に答えをもらうから」
彼女はそう言い残し、静かに部屋を去っていった。
残された俺は、別の意味でのパニックと胃痛で呼吸困難になりそうだった。
冷静になれよ…
義理でもお前妹だからな…
世間体とか…あるだろうが…。
◇
アルテが去ってから数十分後。部屋の冷気が急に増した気がして、俺が身震いした瞬間。
「相変わらず、情熱的な補佐官様ですね、ライン様」
部屋の隅の暗がりから、するりと人影が現れた。
オルティジアの刺客としてかつて俺の命を狙い、今ではその有能さから俺の隠密部隊(という名の情報収集係)として働いているルークだ。
「心臓に悪いから普通にドアから入ってくれ……。それで、要塞島の偵察はどうだった?」
俺が胸を押さえながら尋ねると、ルークはふっと不敵な笑みを浮かべた。
「ええ。驚くべき報告があります。敵ガルシア軍集団ですが……完全に勝利を確信していますね。本日掌握した要塞島にて、十万の将兵が一堂に会し、大規模な祝宴を開いています」
「祝宴……? まだ上陸もしてないのに?」
「防衛線があまりにもあっけなく突破されたため、我が軍を完全に舐めきっているのでしょう。見張りも含めて酒が回り、艦隊の防備は信じられないほど隙だらけです。今なら、無防備な首を刈り取り放題ですよ」
ルークの言葉に、俺のもやしっ子としての脳細胞が急速に回転を始めた。
敵が酒に酔って油断している。しかも二千隻もの大艦隊が、要塞島という限られた水域にひしめき合っているのだ。
ゴロゴロ……ゴゴゴゴ……。
その時、窓の外から不気味な地鳴りのような音が響いてきた。
見上げれば、さっきまで静かだった夜空を、急速に湧き出した黒い雷雲が覆い尽くそうとしている。ぴかっと青白い稲妻が走り、今にも激しい大雨が降り出しそうな気配だ。
二千隻の密集した大艦隊。
勝利を確信した大宴会と、全員の泥酔。
そして、今にも荒れ狂おうとしているマルマラ湖の嵐の予兆。
窓の外の雷雲と、ルークの報告を交互に見つめながら、俺は叫んだ。
「城籠りは中止だ!打って出るぞ!」
読んでいただき、本当にありがとうございます!
レオンの素晴らしい深読みによって、勝手に本島決戦プランへと舵を切られたライン(笑)。
さらに、決戦前夜にアルテから背中をギュッと抱きしめられ、逃げ道を完璧に塞がれたヘヴィな告白を受けてしまいました……! 世間体よ、どこへ行った!
しかし、隠密のルークがもたらした「敵ガルシア軍集団が要塞島で泥酔して祝宴中」という情報、そして窓の外に広がる「嵐の予兆」を見た瞬間、ヘタレのラインの脳細胞が覚醒します!
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次回、怒涛の艦隊決戦(?)をお見逃しなく!




