第六十三話:干潟作戦と、その代償
三日間の突貫工事を経て、運命の朝がやってきた。
最高級の薬草と泥のような睡眠のおかげで、俺の熱は完全に引いていた。
「んふぅ……すっきりしたぁ……!」
ルンルン気分でパジャマから動きやすい服に着替え、日差しを遮るためのお気に入りの麦わら帽子を頭に乗せる。
「よし! 今日の予定は決まりだ! 庭の芝生に寝転がって、ぽかぽかの太陽の下で静かに日向ぼっこでもしよう!」
俺は船が大嫌いだ。酷い船酔い持ちだからな。
だから今回の戦は、水軍総督のドレイクに任せる事にした。
浮かれ気分で部屋を出て、庭園へと向かって廊下を歩いていた俺だが――なぜか城内の兵士や侍女たちの視線が異常に熱いことに気がついた。
「おお……ご覧になられましたか……! ライン様が『麦わら帽子』をお被りになられている……!」
「あの素朴な帽子こそ、余計な飾りを削ぎ落とした最前線指揮官の証……! 船酔いを酷く嫌われるライン様が、自ら最前線となる庭園の陣頭へお立ちになられるのだ……!」
(……え? なに? なんで俺が帽子被ってるだけでそんな感動されてんの?)
不気味な視線に首を傾げつつも、俺は風通しの良い高台にある庭園へと足を進めた。
◇
その頃、王都レムがあるオルティジア島へと続く狭水路では、絶望的な光景が広がっていた。
広大なマルマラ湖を渡り切ったバルドゥア帝国の先鋒艦隊。その数、大型重装軍船を中心に実におよそ五十隻。乗り込んでいる兵員は一万を超える大軍勢であった。
「司令官!オルティジア島が見えてきました!」
帝国先鋒艦隊の将、バルド将軍は甲板からオルティジア島を見下ろし、下品な高笑いを上げていた。
「狭水路に誘い込まれたなどと警戒していたが、何のことはない! 敵の水軍など影も形もないではないか! 船足の鈍い我が重装軍船の群れを、この狭い水路に誘い込んだのが運の尽きよ! 一気に押し潰してオルティジアの喉元を食い破ってくれるわ!」
五十隻の巨大な軍船が、水しぶきを上げて狭水路を埋め尽くすように進軍していく。
自軍の勝利を疑う者は、帝国の兵士一万の中に誰一人としていなかった。
だが――彼らは知らなかったのだ。
自分たちが進んでいるその水路が、すでに死の罠へと作り変えられていたことを。
◇
「……敵艦隊、五十隻すべてが狭水路の深部へ侵入! 逃げ場はありません!」
城の最上層バルコニーで、遠見の魔導具を覗き込んでいたギルバートが静かに告げた。
隣に立つアルテが、氷のように冷徹な笑みを浮かべる。
「ふふ……哀れな羊どもめ。ラインの作戦恐ろしさ、その身をもって味わうがいいわ」
ギルバートは深々と息を吐き出すと、右手を高く掲げ、一気に振り下ろした。
「――水門開放! 排気弁、全開!!」
ドゴォォォォン……ッ!!
地響きのような重低音が、湖全体に響き渡った。
三日間の突貫工事によって補強され、巨大化された緊急水門が一斉に引き上げられたのだ。折りよく訪れた湖の干潮周期と、魔導士団による重力魔法が重なり合う。
次の瞬間、狭水路を満たしていた莫大な量の湖水が、濁流となって一気に外郭へと叩き出されていった。
「な……なんだ!? 水位が……水位が急速に下がっていくぞ!?」
帝国の軍船から悲鳴が上がった。
見る見るうちに水面が下がり、船底の下にあった湖底の泥が露出していく。
「バ、バカな! 水が……水が消えていく!? 舵が利かん! 船を引かせろ! 退避だ――」
バルド将軍の叫びも虚しく、物理法則は容赦なく牙を剥いた。
ズガガガガガガガガッ!!
凄まじい破壊音が狭水路に吹き荒れた。
深い水深を前提として作られた超重量級の大型軍船五十隻が、逃げ場もないまま一斉に浅瀬の泥沼へと叩きつけられたのだ。
「ぐわあぁぁっ!?」
「船が傾く! 倒れるぞーッ!」
巨船が互いにぶつかり合い、斜めに傾いて泥の中に深くめり込んでいく。
一万の帝国軍は、戦うどころか船から転がり落ち、泥まみれになって大混乱に陥った。一瞬にして、無敵を誇った艦隊は身動きの取れない巨大な標へと成り果てたのだ。
「いまだ! 野郎ども、放てぇぇぇっ!!」
轟くような声が響き渡った。
浅瀬の泥沼と化した水路の陰から現れたのは、オルティジアが誇る水軍提督――ドレイクであった。
彼らが駆るのは、水深の浅い場所でも自在に動ける小型機動船と、泥上に特化した特殊な舟である。
「ライン様の仰った通りだ! 泥にハマったデカイ標的を射抜くだけの簡単な仕事だぞ! 容赦するな、バリスタ射撃開始ぃッ!」
ドレイクの号令一閃、小型船に積まれた大型バリスタが一斉に唸りを上げた。
ツドンッ! ツドンッ!
極太の矢が、傾いて固定目標と化した帝国の軍船へ吸い込まれるように突き刺さる。甲板が砕け、側木が吹き飛び、帝国の兵士たちが悲鳴を上げて散っていく。
「つ、強い……! 敵の機動船に太刀打ちできん!」
「全軍、船を捨てて陸へ上がれ! 立て直すんだ!」
パニックを起こしたバルド将軍が逃走を図ろうとした、その時だった。
「逃がすかよバカめ! 海兵隊、突撃ぃぃぃッ!!」
ドレイク率いる海兵隊の精鋭三千が、泥を蹴立てて一斉に飛び出していった。
水を得た魚のように泥沼を疾走する海兵隊員たちは、身動きの取れない帝国兵たちへとなだれ込み、圧倒的な白兵戦を展開する。
「ひぃっ!? 助け――」
「お頭! 敵将発見だ!」
「よっしゃ、首を置いていきな!!」
ドレイクの振るった大斧が閃き、絶望に目を剥くバルド将軍の首級が、空中を高く舞った。
一万の先鋒軍は完全に瓦解。味方の被害ゼロという、歴史に類を見ない圧倒的勝利であった。
◇
一方その頃。
俺は庭園の最前線――湖が一望できる高台の芝生へと到着していた。
そこに広がっていたのは、見慣れた美しい青い湖……ではなかった。
水が完全に引き上がり、見渡す限りカチコチの泥沼と化した浅瀬。
その泥の中に、斜めに傾いて惨絶に破壊された巨大な船が何十隻も転がっている。
そして――泥まみれになった男たち(ドレイクたち)が、槍の先に何やら血生臭い「生首」を掲げながら、地鳴りのような勝鬨を上げていたのだ。
「ウォォォォォッ! ライン様万歳! オルティジア万歳!!」
「一滴の血も流さず敵一万を完封! さすがライン様だぁぁぁッ!」
「作戦は上手く行ったみたいだな!これで奴らも少しは大人しくしてくれたらいいんだが…。これでまた日向ぼっこできるな!ドレイク達が帰ってきたら労ってやろう!」
◇
甲冑を響かせてギルバートとセシリア、そしてドレイクが駆け寄ってきた。
「ライン! 指示通りの水門干拓・座礁作戦……成功したわよ!」
セシリアが深く膝を突く。
「ご覧くだされライン様!船酔いが酷いライン様のために、敵艦隊の足元から水そのものを奪い去り、陸上戦へと引きずり込んで撃退したんだ!敵将・バルドの首級も上げてきたぜ!」
ドレイクが豪快に笑う
「ハハハ! ライン様、あんたの神託のおかげで最高の狩りだったぜ! 感謝するぜ!」
「お前たちよくやってくれた!これで奴らも当分は…」
俺がいいかけたその時、フッ……と、風向きが変わった。
「……ん? なんだこの匂い……?」
鼻をつく、恐ろしいまでの不快感。
それは、長年水の底に溜まっていたドブと泥が、陽光に晒されて激しく発酵したかのような凄まじい激臭であった。
「くっさ!! なにこれ!? なんでこんなドブ臭いの!?」
俺が猛烈な吐き気に襲われながら鼻をつまむ。
強烈なドブのような激臭。
そして、耳を聾するばかりの海兵隊たちの野太い勝鬨の合唱。
静かで、ぽかぽかで、優雅な日向ぼっこの空間は、そこには微塵も存在しなかった。
(俺……ただ船酔いするから船に乗らずに、庭の芝生で静かに日向ぼっこしたかっただけなのに……)
ポロリと、俺の頭からお気に入りの麦わら帽子が落ち、泥で汚れた地面へと転がった。
「あ、ライン様? どちらへ……?」
「……部屋に帰る。頭が痛くなってきた……誰も話しかけるな……」
俺は白目を剥き、激臭と騒音から逃げるように、フラフラとした足取りで城の奥へと去っていくのだった。
こうして、ラインの「静かな休日」を取り戻す戦いは、またしても大勝利に終わったのである。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
寝言から始まった作戦により、帝国1万の艦隊を一滴の血も流さずドブ臭さと引き換えに撃破してしまいました(笑)。
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次のエピソード(第22話)も**【本日 夜7時】**(※投稿時間に合わせて「明日 朝7時」等に調整してね)に公開予定です!
帝国艦隊を打ち破ったオルティジアに、次なる波乱が……!? ぜひお楽しみに!
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「麦わら帽子の深読みとドブ臭いオチに爆笑した!」「ラインのスカッとする勘違い無双(?)の続きが読みたい!」と思っていただけたら、
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今後ともヘタレなラインとオルティジアの仲間たちをよろしくお願いいたします!




