第五十三話:新王国の二つの宝
「もう、うるさいなぁラインは。この配置が一番思考の検索効率がいいんだから」
アルテは下着姿のままポリポリと頬を掻き、服の山の上でゴロゴロと寝返りを打った。
(……ダメだ。このバカには口で言っても絶対に伝わらねぇ。)
俺は深く、重い溜め息をつくと、静かに袖を捲り上げた。
◇
「……これで良し」
「……うぅ……足の感覚が……」
執務室の真ん中。
ゴミの山を端に押しやられた床の上で、アルテは下着姿のまま正座させられていた。
「いいかアルテ。お前がどれだけ有能な補佐官だろうが、ここは俺の執務室だ。ゴミ捨て場じゃねえ。独立国として諸外国の使者がいつ来るかも分からん場所で、お前が下着姿でゴミの山に埋もれてたら、オルティジアの威信は即座に崩壊するんだよ!」
「だからこれは全ての資料が手の届く範囲に配置された合理的配置であって、着替える時間って非効率だから……」
「言い訳すんな! そもそも服を着ろ服を! 目のやり場に困るんだよ!」
「…すけべ。」
「調子に乗るな!」
俺は頭に血が上り、説教の熱のままアルテの額にデコピンを叩き込もうと身を乗り出した。
——が、その瞬間。
足元に転がっていたアルテのメモ書きに足を取られた。
「うおッ!?」
「きゃっ!?」
盛大にバランスを崩した俺は、そのまま正面にいたアルテを押し倒す格好で床に倒れ込んだ。
どさっ
「痛っ……! ちょっとライン、いきなり襲いかかってくるなんて——」
「バカ、違う! 足が滑ったんだ——」
下着姿のアルテの上に俺が組み敷き、アルテが涙目で俺の胸元を掴んでいるという、どこからどう見てもアウトな体勢。
そして、まさにその瞬間。
ガチャリ。
「ライン様! チッカーバ率いる警備隊の編制、および周辺国への報告が——」
書類の山を抱えたマルコが、ノックもなしに勢いよく扉を開けた。
静寂が執務室を包み込む。
マルコの視線が、床に転がる下着姿のアルテと、その上に覆いかぶさる俺に固定された。
「あ」
「……あ」
俺は凍りついた。冷や汗が背中を吹き抜ける。
「ま、マルコ! これは違う! 事故だ! 足が滑って——」
俺が慌てて弁明しようと体を起こしかけた、その時。
マルコは深く、深~く頷き、その目を感動に潤ませた。
「……失礼いたしました、ライン陛下。独立を果たしたばかりの我がオルティジア……諸外国への牽制、そして国の根基を揺るぎないものとするためには、一刻も早い王統の確立こそが最優先課題……!」
「は?」
「まさか執務室にて、オルティジアの頭脳たるアルテ様と直々に……! 国家の未来を見据えたお世継ぎづくりに励んでおられたとは! このマルコ、浅慮ゆえに御前を乱しましたこと、平身低頭お詫び申し上げます!」
「待て! 話を聞け! 全然違う! 説教してたら滑って倒れただけだ!!」
俺の決死の叫びなど、マルコの耳には届いていなかった。
「どうかお気になさらず、引き続いてお励みください!新たなお世継ぎが誕生すれば、オルティジアの繁栄は約束されたも同然……!」
「違う!戻ってこいマルコォォォッ!!」
「では! 早急に朗報が届きますことを心よりお祈り申し上げておりますぞッ!」
バタンッ!!
マルコは晴れやかな笑顔で扉をピシッと閉め、猛烈な勢いで走り去っていった。廊下から「みなさん! 陛下がお世継ぎの件で大変お忙しい故、本日の執務室への立ち入りは厳禁ですぞ!」という絶望的な大声が響いてくる。
「……」
残された執務室。
「ねぇ、ライン。」
俺の下で、アルテが俺の身体に両手を回して抱きつき、真紅の瞳を潤ませて呟いた。
「お世継ぎって、痛い?」
「黙れ!! 服を着ろ今すぐ!!」
◇
「……で? なんで俺のデスクの上に、書類の山がもう一標高増えてるのかな?」
…なんとか片付いた執務室。
湖賊を取り込み、双翼の商業回廊実現に向けて動き出したオルティジア。
俺は白目を剥きながら、目の前にそびえ立つ決裁書類の塔を見上げていた。
「ハハハ! 陛下、お喜びください! 西側諸国との協定締結に伴い、関税の計算、通行許可証の発行、検疫、さらには商品ごとの徴税比率の決定など――」
ギルバートが爽やかな笑顔で、書類の山をポンポンと叩く。
「おかげで新しく処理すべき行政手続きが爆増いたしました!」
「無理。死ぬ」
即答である。
「俺は国王じゃなくて書類破棄機か何かなの!? そもそもなんで俺がいちいち『西側の干し肉に課す関税』とか決めなきゃいけないんだよ! 商売のことは商人に丸投げすればいいだろ!」
「しかし陛下、我が国の法ではすべての流通に王家の許認可が――」
「じゃあ法を変えてよ!!」
俺は半泣きで叫んだ。もう限界だ。温泉に入りたい。
切実に。
「特定の一区画……そうだな、例えばレムの西の港町…ヴェルダあたりを丸ごと指定してさ! ここの中では関税ゼロ! 法律の規制もナシ! 商売のルールはエスカンテとシャルロッテで勝手に決めて!って投げちゃえば、俺のハンコ捺す量が減るんじゃない!?」
面倒くさいから現場に丸投げしたい。
ただそれだけの、俺の必死な現実逃避。
――だが。
部屋の空気が、ピキッと凍りついた。
「…………え?」
ギルバートの手から羊皮紙がハラリと落ちる。
マルコが目を見開き、ガタガタと震え出した。
「か、関税を……ゼロ……!? 商業のルールを……商人に委ねる……!?」
「関税を撤廃し、一切の行政介入を排した非課税自由貿易地域……!? そこを東西の物流拠点とすれば、我が国の税収どころか、大陸中のあらゆる資本と情報が津波のように流れ込む……!」
「ひっ」
ヤバい。マルコの眼の奥が、カッと怪しく光った。
「それだけではないぞマルコ!」
ギルバートがバンッと机を叩いて身を乗り出す!
「関税ゼロの特区が存在すれば、経済封鎖を命じられている東の帝国の商人どもすら、喉から手が出るほど参加したくなるはず! 国の命令を無視してでも、密かに商品を流し込んでくるに違いない!」
「つまり……! 帝国の経済封鎖を内側から崩壊させ、利益を我が国へ吸い上げる……まさに経済的ブラックホールを作り出すとおっしゃるのですか、ライン陛下……っ!!」
「えっ、いや、俺はただ面倒な計算を――」
「す、素晴らしすぎる……っ!」
ニナが目をキラキラと輝かせて俺の手を握りしめた。
「お兄ちゃん、帝国の困ってる商人さんたちまで救っちゃうなんて、これが聖王様の深謀遠慮なんだね!」
「ち、違うニナ! 俺は楽がしたいだけで――」
「フフッ、いいじゃないかぁ」
シャルロッテが胸ポケットから地図を取り出し、妖しく微笑む。
「その特区の運営権、ウチとエスカンテで折半させてもらうよ。関税はゼロでも、港の使用料や娯楽費で恐ろしいほどの黄金が転がり込む。……坊や、あんた本当に恐ろしい男だよ」
「だから俺はただハンコを捺したくないだけでーーーっ!!」
俺の必死の抗議は、またしても「謙虚な聖王のお戯れ」としてスルーされた。
◇
「――というわけで! ライン陛下のご英断により、港湾都市ヴェルダを特別経済自由区に指定する!」
「「「おおおっっっ!!! ライン陛下万歳!!!」」」
翌日。
王宮(旧領主館)のバルコニーからの宣言に、民衆と商人たちから地鳴りのような歓声が上がった。
俺は王冠を頭に乗せられ、引きつった笑顔で手を振るしかない。
「……ねぇアルテ。俺、いつになったら隠居して温泉に入れると思う?」
隣で微笑みを浮かべるアルテに囁くと、彼女は正面を向いたまま、囁き返してきた。
「あきらめなよライン。世界中の金持ちが集まる街の国王様が、温泉なんて行けるわけないでしょ?」
「……白目剥いていい?」
「ダメ。ちゃんと手振って、陛下」
こうして、大陸史上初となる経済特区が誕生した。
のちに「絶対の自由港」として世界中の金と欲望を呑み込むことになるその街の第一歩は――一人の男の「書類仕事をサボりたい」という怠惰から始まったのである。
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