第五十話:王国の朝、西へ
「ねぇおばあちゃん……それで、ライン陛下はどうなったの?」
「それからねぇ、ライン陛下は帝国との戦に勝ち、東西の争いを鎮め、『聖王』と呼ばれるようになったのさ」
「ニナちゃんや、アルテちゃんは?」
「もちろん、ライン陛下はニナと結ばれたのさ」
「へぇーっ! 銀冠の噂って本当だったんだね!」
「ああ本当だとも。ニナは王妃となって生涯聖王ラインを支え……帝国との戦で戦死してしまったアルテやレイラの分まで幸せになったんだよ」
「おい!!」
「ゲッ!?」
「……何勝手に人を殺して打ち切りにしようとしてるんだ!?」
執務室の片隅で、一人で人形劇を繰り広げていたニナの頭を俺が小突くと、背後からジト目のアルテが恐ろしい圧で続いた。
そう。
俺の悪夢は、まだ続いている。
夢なら覚めて欲しい。
目が覚めたらどこか別の世界で、目の前に女神様がいて「チートスキルを授けましょう」とか言ってくれないかと何度も願った。
……羊羹の鍋に足を滑らせてダイブして勝手に死んだ帝国執政官の遺体を前に、ギルバートが領民を扇動。
外堀を地球の裏側まで埋め尽くされた挙句、俺が白目を剥きながら帝国からの独立を宣言して一国の国王になっちゃう……なんていう、不条理極まりない悪夢。
「悪い夢なら早く覚めてくれ……! 俺はただ温泉に入ってのんびり隠居暮らしがしたいだけの、しがない辺境伯なんだよ……! もう今日は一歩も部屋から出ない! 二度寝する!」
そう吐き捨てて自室へ逃げ帰り、頭から布団を被り直そうとした――その時である。
「――陛下、失礼致します」
重厚な扉が恭しく開かれ、白手袋を嵌めた従者が深々と頭を下げて入ってきた。
その背後には、突貫で仕立て直されたばかりの俺の正装。金糸の刺繍が眩しい漆黒のマントと、重厚な胸飾りが恭しくハンガーに掛けられて控えている。
「……え?」
「本日はオルティジア王国、最初の閣議にございます。さぁ、早く朝食を済ませて下さいませ。皆様、既に会議室でお待ちでございますよ、ライン陛下」
「…………」
俺、マジで国王になっちゃったんだ。
俺は天を仰ぎ、静かに白目を剥いた。
◇
「……だからさ、俺を『陛下』って呼ぶのはやめてくれないか、アルテ」
「だめだよライン! もう君は一国の主なんだから、示しがつかないじゃない! 妻……じゃなくて、主席補佐官の私がビシッと指導してあげないと!」
食堂に移動し、朝食のテーブルに着いたものの、俺の胃は痛む一方だった。
俺の右隣を陣取ったアルテは、背筋をピンと伸ばしているものの、極度の緊張でフォークを持つ手がプルプルと震えており、お茶を注ごうとしては盛大にテーブルクロスへ溢れさせている。
「はいはい、ちぃねえは下がってて〜。お兄ちゃん、はい、あ~ん♪」
「むぐっ!?」
左隣からぬっと差し出されたスプーン。そこには、あっさりとした優しい味付けの卵粥が乗せられていた。
見やれば、ニナがいつもの制服姿で、甲斐甲斐しく微笑んでいる。
「ニナ、自分食べらぁ……っ」
「だーめ。お兄ちゃんは国王様なんだから、朝のご飯くらいウチに甘えてよ。ほら、あ~ん♪」
新妻感を全身から醸し出すニナに、アルテが「なっ、ずるいよニナ! 私もラインにあーんする!」と身を乗り出し、二人でスプーンの奪い合いを始めた。
「……二人とも、国王陛下の御前であるぞ。慎みたまえ」
腕を組み、仁王立ちで俺の背後に控えているのはセシリアだ。
自由の身となったはずの公爵令嬢は、なぜか帝国に帰ろうとせず、当然のような顔でオルティジア王国の食客に収まっている。
彼女は鋭い視線で卵粥を睨みつけると、真剣な顔で呟いた。
「陛下、その卵粥……毒味は済んでおりましょうか? 帝国の刺客が潜んでいる可能性も否定できません。……私がまず、毒味を――」
「いやセシリア、ニナが俺のために作ってくれたやつだから毒なんて入ってないからね!?」
朝から繰り広げられるカオスなトリオ漫才。
そこへ、満面の笑みを浮かべたギルバートが、決裁書類の入った箱の巨大なタワーを抱えて歩み寄ってきた。
「ライン様!……失礼、ライン陛下! 新国家発足に伴い、取り急ぎ本日処理していただく新法案、税制改革案、そして軍の再編書類でございます。その数、計3,000件!」
ドサァッ!!
「ぐはぁっ!!??」
テーブルが重みで悲鳴を上げる。
3,000件!? 一日に処理できる量じゃないだろそれ!!
◇
「……あのさ、ギルバート。俺、前にも言ったよね? 普通の男の子に戻りたいって……」
「ハハハ! 陛下のお戯れは相変わらずキレがよろしい! さあ、まずは我が国の緊急課題である経済状況についての報告でございます!」
ギルバートがパンと手を叩くと、内政官マルコと、シャルロッテ商会の代表であるシャルロッテが前へ進み出た。
……心なしか、マルコの顔色が死人のように蒼白だ。
「陛下……大変な事態にございます……」
マルコが絞り出すような声で言った。
「我がオルティジアがバルドゥア帝国からの独立を宣言したことにより、帝国側からの全面的な経済封鎖が開始されました。それに伴い、ニナ様のご実家であるエスカンテ商会は、これまで帝国本土との巨大な交易ルートで利益を上げておりましたが……それが完全に遮断されております……」
(まぁ、そうなるよな……)
俺の背中を嫌な汗が伝う。
独立したんだから当然といえば当然だが、領内の経済を支えていた最大手商会が死に体になっているのだ。これは普通に、洒落にならないレベルでヤバい。
「フフフ……そう心配する事はないよ、ライン陛下」
今度は、シャルロッテが紫煙をくゆらせながらニヤリと笑った。
「シャルロッテ商会は、ライン陛下の事前の取り計らいで、すでに西側諸国との交易ルートを確保していたからねぇ。独立宣言があってからというもの、西側の商人たちが『帝国に反旗を翻した英雄の国』の特産品をこぞって買い求め、うちの扱う岩塩や農作物の売れ行きが爆発的に伸びているのさね」
オルティジアの独立によって、帝国側の販路を担っていたエスカンテ商会の収益が激減し、西側ルートを持つシャルロッテ商会の勢力が一気に躍進する――。
交易による歳入はあまり変わらないが、領内の商会同士のパワーバランスが激変してしまっていたのだ。
◇
追い詰められた俺の脳みそは、あっさりとキャパシティを超え、思考停止モードへ移行した。
「……もう嫌だ……」
「はい? 陛下、何か仰いましたか?」
俺は投げやりに、思いつきの言葉を吐き捨てた。
「……帝国と取引できないなら、一旦は帝国との交易はやめにしない? サラウとのミスリルの売却ルートは残すとして、あとは西側にしか販路がないんだから、シャルロッテと組んで西側にエスカンテ商会の商品も売ってもらったらどう? ……んじゃ、あとはよろしく。俺は決裁が山ほどあるからな!」
俺の超適当な提案に、シャルロッテが「ほぅ……」と琥珀色の目を妖しく光らせた。
「西側諸国経済同盟……と言うわけかい?」
「なっ……なるほど……!!」
マルコがガタッと立ち上がり、ハッとした表情で叫んだ。
「単に西側へ商品を売るのではない……! エスカンテ商会の巨大な物流網と、シャルロッテ商会の西側ルートを完全統合させ、オルティジアの特産品を武器に『西側諸国経済同盟』を構築しろとおっしゃるのですね……っ! 西側諸国の巨大市場を丸ごと取り込むことで、逆に帝国を経済的に孤立させる……何という恐ろしい打開策……!!」
「フフッ……シャルロッテ商会の利益だけを追わせず、エスカンテ商会をも救い上げ、国全体の経済基盤を西側へ一本化する……。坊やの先見の明、どこまで遠くを見据えているのやらねぇ」
「……フッ、やはりな」
背後のギルバートが深く頷き、鋭く目を輝かせた。
「あとはよろしく……すなわち、外交と経済の基盤が整うまで我々臣下にすべてを委ね、ご自身は不動の国家の象徴として泰然自若と構えておられるおつもりだ! これぞ覇者の貫禄!!」
「「「ライン陛下万歳!!!!」」」
「えっ……いや、俺は決裁が溜まってるから言っただけで――」
「直ちに西側諸国へ特使を派遣せよ! 対帝国・経済同盟の締結だーーーっ!!」
「うおおおおおおっっっ!!」
俺の制止の声など、歓喜の叫びを上げる家臣たちにかき消されていった。
こうしていつものように周囲が勝手に暴走し、国家規模の外交大作戦が始動する。
「あ……あはは……」
またやってしまった。
自分のテキトー発言が、またしても世界を揺るがす大事業へと化けてしまったのだ。
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これが後世、「双翼の商業回廊」と呼ばれるビジネスプランとして、大陸経済史の歴史書に刻まれる事になるのだが――当のライン本人がそれを知る由は、まだどこにもなかった。
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