第四十五話:最凶の誤読と、反逆の足音
――銀冠祭、中日の朝。
オルティジア領主館の一室、新たに新執政官の仮執務室として割り当てられた部屋には、早朝から張り詰めたような緊張感が漂っていた。
「――以上が、昨日の祭りにおけるライン・オルティジア、およびその周辺人物の動向です」
カチッと小気味よい音を立てて、執政官付きの武官セシリアは直立不動の姿勢に戻った。
彼女の右手には、一見するとお洒落なブレスレットのようでありながら、その実、ルードヴィヒへの絶対服従を強いる不気味な魔道具が冷たく鈍い光を放っている。
デスクの奥、書類の山に囲まれたルードヴィヒは、白手袋をはめた手で眼鏡のブリッジをくいと押し上げた。レンズの奥の瞳は、まるですべてを見通す猛禽類のように鋭い。
「ふむ……。ライン辺境伯は、民衆の面前で堂々と例の新型化学兵器『ヨウカン』をレイラに摂取させ、その致死性、あるいは精神汚染の度合いを測定していた、と。そして周囲の者たちはそれをただ笑顔で見届けていた……」
「は、はい。まあ、レイラ殿は少し喉に詰まらせて取り乱しておりましたが、その後は『うまい!』と大笑いして完食しておりました。ライン辺境伯も領民と和気藹々と触れ合っており、特にこちらを警戒している風ではなく、純粋にお祭りを楽しんでいるように見えましたが……」
そこまで言って、セシリアはふと、昨日の屋台通りの賑やかさや、ニナたちの華やかな涼風ローブの姿、そして自分も柄にもなく少し浮き足立ってしまった瞬間のことを思い出し、その端正な顔をわずかに綻ばせた。
だが、その微かな空気の変化を、目の前の冷徹な男は見逃さなかった。
「……随分と楽しそうな報告じゃないか、セシリア君」
「――っ!?」
ルードヴィヒの低く、地を這うような声が室内の温度を一気に氷点下まで引き下げる。
セシリアは背筋に冷たい戦慄が走るのを感じ、咄嗟に表情を強張らせた。
「敵との馴れ合いは、己の破滅を招く。君は自分が今、どういう立場でここにいるのか忘れたわけではあるまい? 命が惜しくなければ、あの悪魔の甘言に耳を貸すな。奴の『和気藹々』とした態度はすべて、我々の警戒を解くための高度な心理トラップなのだからね」
「し失礼しました……! 肝に銘じます……」
セシリアは頭を下げながらも、心の中では激しいツッコミを禁じ得なかった。
(たかがスイーツに何を怯えているのこの男は…)
そんなセシリアの内心の悲鳴など知る由もなく、ルードヴィヒはデスクの上に鎮座する「一通の分厚い書類」へと視線を移した。
それこそが、ラインが事前に提出してきた、調印式で交わされるはずの『辺境伯退任および内政権譲渡に関する特約書類』であった。
「さて……。昨日からこの書類を精査しているのだがね、セシリア君。……恐ろしいよ。私は、ライン・オルティジアという男の底知れぬ底意地の悪さに、今さらながら五臓六腑が煮えくり返る思いだ」
「え……? それ、ただの事務手続きの書類ですよね……?」
セシリアが首を傾げると、ルードヴィヒはククク……と低く不気味に笑いながら、書類の特定のページを指差した。
◇
「いいかい、よく聞きなさい。この書類の第一条、および第三条にはこう書かれている。
『新体制移行後も、現在のオルティジア領の家臣(ギルバート、レオン、ドレイク、マルコ等)のポストおよび階級は完全維持とする。また、領民のこれまでの生活水準、自治の権利を100%保証すること。これらが守られない場合、この領地譲渡は即座に無効とする』……とね」
「はぁ。……家臣や領民を大切にする、ライン辺境伯らしい条件だと思いますが……」
セシリアの至極真っ当な意見に対し、ルードヴィヒは「狂気」に満ちた邪悪な微笑みを浮かべ、大仰に両手を広げた。
「違う!! 違うのだよセシリア君! 執政官たる私の目を欺けると思うな! 『家臣のポストを完全維持』……これはつまり、帝国の息がかかった官僚や中央の軍人を、このオルティジアの主要ポストへ一切介入させないという意味だ! 行政権、司法権をそのまま残す……すなわち、中央からの新たな人事介入を完全に拒絶するということだ!」
「えっ……? あ、言われてみれば、中央の人間をねじ込む余地がなくなりますけど……」
「それだけではない!」
ルードヴィヒは立ち上がり、眼鏡の奥の目をギラギラと輝かせながら、机をバンと叩いた。
「『領民の生活水準と権利を100%保証、さもなくば無効』……! これが何を意味するか分かるか!? 帝国が直轄統治する事でもたらされる新たな秩序を拒否し、中央の法律ではなく、この地独自の法と既得権益で自治を行うという事だ! 今までどおり独自の軍隊と内政組織を維持する……セシリア君、つまりライン辺境伯は何を企んでいるのか、わかるかね!?」
ハァハァと興奮で息を荒くするルードヴィヒに気圧されながら、セシリアは引き攣った笑みで尋ねた。
「な、何だと言うですか……?」
「――帝国からの独立だ……!!」
キィィィィン、とルードヴィヒの眼鏡が鋭く光る。
(((((待ってえええええええええええ!!!)))))
セシリアの心の中で、ツッコミが木霊した。
どう読んだらそうなる。
ただの「俺が辞めた後も、みんなをクビにしないで優しくしてね!」という、サボり魔のラインがギリギリで振り絞った保身と善意の塊のような雇用契約書である。
それをこの男は、無駄に高い行政知識をフル活用して、「オルティジア辺境伯は、形上隠居して、執政官を傀儡としてトップへ据え、裏から国を操る魂胆だ」と脳内翻訳してしまったのだ。
「ククク……ハハハハハ! 素晴らしい、素晴らしいぞライン・オルティジア!」
ルードヴィヒは書類を愛おしそうに抱きしめ、狂喜の声をあげた。
「奴は私を試したのだ! 『お前が本当に帝国を滅ぼす覚悟があるなら、この独立宣言書にサインして見せろ』と、無言の圧力をかけてきたのだ! 奴は自分が反逆者になるリスクを避け、すべての泥をこの私に被せつつ、合法的に帝国からこの地を切り離す完璧な舞台装置を組み上げた……! なんという恐るべき知略! どこまで私の先を行けば気が済むのだ、あの男は……っ!しかし、最後に笑うのはこの私だ!易々と貴様の操り人形になる私ではないぞ!」
感情が爆発し涙すら浮かべているルードヴィヒを見て、セシリアは完全に確信した。
(だめだこの人……。もう完全に手遅れだわ……。誰か、誰かラインを止めて。あいつが適当な書類を出すせいで、このアホ上司の狂気が限界突破して世界が滅びそうなんだけど……!!)
しかし、そんなセシリアの必死の祈りも虚しく、時計の針は残酷に進んでいく。
ルードヴィヒはマントをバサァと翻し、引き締まった表情で窓の外の、ライトアップの準備が始まっている中央広場を見下ろした。
「決戦は今夜、銀冠祭の中日……夜の就任イベント(調印式)だ。我々は今夜、ライン・オルティジアの差し出したこの『独立宣言書』に署名し、帝国への反逆の第一歩を踏み出す……!」
「……は、はい(もうどうにでもなれぇ……!)」
セシリアが絶望の表情で敬礼する中、世紀の勘違い独立宣言の幕が、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。
今回は読んでいただきありがとうございました♪
このお話は毎週金曜日18時の更新を予定しておりますが、皆さまの応援のおかげで、執筆速度が上がっております!
ヘタレのライン共々、またのお越しをお待ちしております
このお話が気に入っていただけたら、ブックマーク、★で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
今後とも宜しくお願いします!




