第四十三話:二人の距離と、水色の大量破壊兵器
カチャリ、と冷徹な金属音が静まり返った私室に響いた。
「くっ……!?」
セシリアが悔しげに細い息を漏らす。
彼女の白い手首には、鈍い黒光りを放つ帝国製の拘束魔道具――魔力中和の腕輪が、隙間なく嵌め込まれていた。
この腕輪が装着されている限り、彼女の優れた魔術発動は完全に封じられ、無理に外そうとすれば体内のマナが暴走して内部から肉体を破壊される。
「無駄な抵抗はやめることだ、セシリア君。君の父親であるアルテンブルク公爵への通信ルートは、すでに私の手元で完全に遮断してあるからね」
影の中からゆっくりと姿を現したルードヴィヒは、まるで舞台の主役にでもなったかのように、大仰にマントを翻してソファーへと腰掛けた。
その顔に浮かんでいるのは、オルティジアの技術に毒され、歪んだ万能感とどす黒い野心だ。
「ルードヴィヒ閣下……正気ですか!? 帝国中央を騙し、この領地の奇跡を独占するなど……! 露見すれば、あなただけでなく一族郎党、極刑は免れませんよ!」
セシリアの必死の諫言を、ルードヴィヒはフッと鼻で笑い飛ばした。
「露見? 誰が中央に告発するというのだね? 君かね? ……残念ながら、君はこれから私の『最も忠実な影』として、私の大望のために働いてもらう。拒否すれば、君のその美しい首が胴体とおさらばするだけだ」
ルードヴィヒは攻撃術式のスクロールを弄びながら、ギラギラとした狂信者のような目で、窓の外の夜景を見つめた。
「帝国からの独立など、ほんの通過点に過ぎんのだよ。このオルティジア領にある全て――尽きることのないミスリルの富、あの地下に眠る千五百体の沈黙の軍勢、そして地平線の彼方から全てを消し飛ばす超長距離兵器。これらが私の手中に転がり込んでくるのだ。私は帝国を、いや、この世界そのものを裏から統べる『真の絶対者』となる……!」
(……完全に狂っている。この男、ライン・オルティジア辺境伯の圧倒的な武力の前に、精神の防衛本能が限界を突破して、自分自身が最強の悪党になったと思い込んでいるんだわ……!)
セシリアは絶望に唇を噛んだ。
通信は完全に絶たれ、魔力も封じられた。ここで彼に逆らえば、即座に消される。帝国を救うためにも、今はただ大人しく従い、好機を待つしかない。
「……分かりました。これ以上の抵抗は無意味のようです。私はあなたの命令に従います、ルードヴィヒ閣下」
「素晴らしい、それでいいのだセシリア君。賢明な部下を持つと、余計な血を流さずに済んで助かるよ」
ルードヴィヒは満足げに深くソファーに背を預け、ククク……と低く笑った。
己が間もなく、世界最強の軍勢の主になる。その絶対的な確信が、彼の脳内を心地よく満たしていた。
――ただ、彼の脳の片隅で、昼間に耳にした領民たちの不穏な暗号『ヨウカン』の恐怖が、未だにチリチリと燻り続けていることだけが、唯一の誤算であったが。
◇
翌日。昨夜の執政官室のドロドロとした陰謀劇など露知らず、オルティジア領主館の一角は、別の意味で爆発寸前の熱気に包まれていた。
「ねぇお兄ちゃん! 明日の『銀冠祭』、一緒に領内を回る時の衣装なんだけどさぁ……こっちのフリルのついたかわいいドレスと、動きやすさ重視のこっちのセットアップ、お兄ちゃんはどっちが好き??」
領主館の控室で、ニナが頬をリンゴのように真っ赤に染めながら、何着もの勝負服を代わる代わる体に当てて俺に見せてくる。
上目遣いでこちらの反応を伺うその姿は、完全にデート前の恋する乙女そのものだ。
だが、その微笑ましい光景に、冷ややかなジト目が突き刺さる。
「……ニナ?抜け駆けはなしだよ?第一、ラインの明日の……ううん、未来永劫、隣は、主席補佐官の私だって決まってるんだけど」
いつの間にか俺の背後に音もなく忍び寄っていたアルテが、俺の制服の裾をきゅっと、健気な手つきで、しかし絶対に離さないという強い意志を込めて握りしめた。
「ちょっとちぃねえさぁ…!銀冠祭はウチのプロデュースなんだよ?お祭りの事一番わかってるウチとまわるのがいいに決まってんじゃん!」
「却下!ラインの隣は渡さない。一歩も譲らないから!」
バチバチと火花を散らすニナとアルテ。空間の気圧が急激に下がるのを感じて、俺は引きつった笑みを浮かべることしかできない。
(おいおい勘弁してくれよ! 俺はもうすぐ、ルードヴィヒとオルティジアの領主を交代して晴れて無職……じゃなくて、悠々自適の隠居生活が始まるんだぞ? なんでこのタイミングでめんどくさいラブコメみたいなフラグが乱立してんだ!)
一刻も早くこの場から逃げ出したい。そう思った瞬間、部屋の扉がノックもなしに堂々と開け放たれた。
「あらあら、相変わらずお熱いことだねライン坊や。でも、そこの乳臭いお子様方? 明日のライン様の予定は、すでに我が商会が買い取ってるんだけどねぇ?」
大人の色気を漂わせる極上の笑みを浮かべて入ってきたのは、シャルロッテ商会の若き女主人、シャルロッテだった。
「シャ、シャルロッテ=ローゼン!? なんでここに……!」
「おやエスカンテの、久しぶりだねぇ。……さて、坊や? こないだの査察官様のときの貸しがまだ残ってるの……まさか忘れたわけじゃないだろうねぇ?」
シャルロッテは妖艶に微笑みながら俺のすぐ目の前まで歩み寄ると、耳元にふっと甘い吐息を吹きかけてささやいた。
「商売人たるもの、受けた恩は倍で返し、貸した借りはきっちり取り立てるのが信条でねぇ。……明日の銀冠祭、坊やが私とデートしてくれたら、その『貸し』、帳消しにしてあげてもいいんだよ?」
「なっ……!?」
「クッ……新手の強敵の出現だよ、ニナ、ここは一時休戦して一緒に戦おう!」
「仕方ないねちぃねぇ!シャルロッテ、いくらお兄ちゃんに借りがあっても、明日は譲らないかんね!」
シャルロッテの爆弾発言により、戦火はさらに拡大。三つ巴となったヒロインたちの視線が、中心にいる俺へと一斉に集まる。
(頼むから……もう俺は隠居するんだから、放っておいてくれーー!! 誰の隣にも並ばず、俺は一人で静かに温泉街のパンフレットを眺めたいんだよ!!)
胸の中で血を吐くような叫びを上げる俺の願いは、当然ながら彼女たちに届くことはなかった。
◇
領主館での女たちの熱い火花が飛び散る数時間後、夕暮れ時の中央広場には、完成の瞬間を見届けようと多くの職人や領民が集まっていた。
「よし、完全に冷え固まったぞ! 型枠を外せッ!」
マルコの指揮のもと、巨大な大鍋の周囲を取り囲んでいた魔導冷却の木枠が、一斉に取り外される。
夕闇のなか、領内に灯り始めた魔導灯の光を浴びて、それは姿を現した。
「おおおお……! 美しい……!!」
「なんて鮮やかで深い水色なんだ。まるで伝説の宝石の塊みたいだぜ……!」
職人たちから一斉に歓声が上がる。
家一軒分はあろうかという超巨大な大鍋の形そのままに、完璧なソリッド状に冷やし固められた『ぎんかんようかん』の質量。マルマラ湖の湖面のごとき鮮やかな水色の巨塊は、プルプルと微かに揺れながらも、夕暮れの光を妖しく反射して輝いていた。もちろん、ただの甘くて美味しいエスカンテ商会特製のスイーツである。
だが。
セシリアを背後に従え、完全に「裏の世界の支配者」気取りで広場を視察に訪れたルードヴィヒは、その水色の巨塊を目にした瞬間、文字通り凍りついた。
(つ、ついに……ついに完成してしまったか……っ!!!)
ルードヴィヒの顔から血の気が引き、ガタガタと膝が震え始める。
彼の肥大化した脳内では、目の前の美しい水色の塊が、瞬時に恐怖の兵器へと翻訳されていた。
(間違いない……! あれこそが領民たちが恐れ、口にしていた、人間の頭蓋を容易く粉砕する暗殺打撃兵器であり、広域に死の病を撒き散らす新型の化学質量兵器『ヨウカン』……!! 見てみろ、あの禍々しい水色の輝きを! あれがただの食品なわけがあるか! ライン=オルティジアめ、明日の銀冠祭に合わせて、ついに大量破壊兵器の最終起動テストを完了させたというのか……!!)
「くっ、なんという悪魔の技術だ……。あんな巨大な兵器を、お祭りの出し物に見せかけて堂々と街の中央に配置するなど、ライン・オルティジア、どこまで恐ろしい男なのだ……!」
ルードヴィヒは胸をかきむしり、酸欠になりそうなほど激しく息を乱しながら、新兵器『ヨウカン』の放つ(と勝手に思い込んでいる)プレッシャーに必死に耐えていた。
一方、その後ろで魔力を中和され、囚われの身となっているセシリアは――
(……え? いや、どう見ても、ただのめちゃくちゃ大きいゼリーかお菓子にしか見えないのだけれど……)
手首の拘束具の重みを感じながらも、セシリアは冷や汗を流して絶望しているルードヴィヒの横顔を、この上なく遠い目で見つめていた。
ここ数日でルードヴィヒの様子がおかしくなった原因が、ラインの策略(?)ではなく、単にこの男が重度のポンコツ勘違い野郎だからではないかという疑惑が、彼女の胸の内でじわじわと確信に変わりつつあった。
しかし、そんなセシリアのまともなツッコミなど露知らず、ルードヴィヒはさらに目をギラつかせる。
(だが、恐れることはない。明日、ラインが引退して実権を私が握れば、あの水色の大量破壊兵器もすべて私のもの。帝国中央を、いや世界を脅かす私の最強の切り札となってくれるはずだ……! ククク……!)
完成した水色の羊羹を見つめ、恐怖の先でニタリと邪悪に笑う執政官。
明日になれば、彼が夢見る「世界征服の書類(※ただのラインと執政官の引き継ぎ書)」への調印式が始まる。
ラインの「ついに隠居生活だ!」という無邪気な願いと、ルードヴィヒの「ついに私は世界の覇者となる!」という狂った野心が、最悪の形で交差する運命の銀冠祭が、すぐそこまで迫っていた。
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