第三十八話:国家機密は、ねんどの如く
「……ひんやり、するな」
鉱山の次に案内したのはミスリル加工工房。
その重厚な鉄扉を潜った瞬間、帝国執政官ルードヴィヒは思わずそんな呟きを漏らしていた。
本来、金属の精錬や加工といえば、肌を焼き焦がすほどの熱気を放つ炉と、耳を聾するほどの凄まじい槌の音が響き渡る地獄のような空間のはずだ。
一般的な鍛冶屋はもとより、公式なミスリル産出国であるドワーフの国『スキチャ連邦』の工房も、熟練の職人たちが命を削りながら真っ赤な炎と戦う、文字通りの戦場だと聞いている。
だが、オルティジア領の工房は違った。
室内はまるで、高原の涼しい風が吹き抜けているかのように快適だ。
さらには槌の音はおろか、火花の爆ぜる音すらしない。
「ええ。先ほどの鉱山で使われていた大型換気システムを応用し、常に冷風を循環させておりますので。職人たちをブラックな環境で労働させると、すぐバテて効率落ちちゃいますからね。冷風機、マジ最高です」
案内役の俺が、いつもの締まりのない顔でへらへらと笑う。
だが、ルードヴィヒとセシリアの視線は、俺の軽い言葉など右から左へ受け流し、工房の中央へと釘付けになっていた。
「おい、あれを見ろ……。炉が、ないぞ……?」
「嘘……。ミスリルを、素手で……?」
二人の眼前に広がっていたのは、およそ世界の常識からは逸脱した光景だった。
そこには、炉の代わりに不気味に明滅するパイプラインが張り巡らされており、そこから排出される微量な熱(魔導兵の排熱)を作業台へと供給していた。
そして職人たちはといえば。
汗一つかかず、優雅にお茶を飲みながら、まるで子供のねんど遊びか飴細工でも作るかのような気楽な手つきで、銀色に輝く最高級金属――ミスリルの塊をこね回しているのだ。
「ふふん、驚かれるのも無理はございません、執政官閣下!」
ここで、新内政官のマルコが、待ってましたとばかりにギラギラとした目で一歩前に出た。
「通常、ミスリル製品の加工には膨大な魔力と超高温の炉が必要であり、その最適温度の管理はスキチャ連邦が『国家機密』として独占してきました。……しかし! 我らがライン閣下は、あえて古代魔導兵の『排熱』に着目されたのです!」
マルコはでかでかと黒板代わりの石板に複雑な魔術式と図解を素早く描きながら、熱弁を振るう。
「魔導兵の魔力循環から生じる特定の波長の熱エネルギー――これをミスリルに照射すると、分子構造が一時的に軟化する現象を、ライン閣下は一瞬で見抜かれました! つまり、我がオルティジア領においては、ミスリルの加工コストは実質『ゼロ』! 型に流し込むだけで、子供でも最高品質の武具を成形できるのです! すべてはライン閣下の、熱力学の魔導的転換による閃きの賜物にございます!!」
「ちょ、マルコ、言い方盛りすぎ――」
俺は慌てて訂正しようとしたが、ルードヴィヒの耳にはもう届かなかった。
(……コストが、ゼロだと……!?)
ルードヴィヒの背筋を、本物の戦慄が駆け抜ける。
ミスリルはその希少性と加工の難しさゆえに、大陸中でゴールド以上の超高値で取引されている。そして、その富を独占しているのがドワーフの『スキチャ連邦』だ。彼らの国家経済は、ミスリルの輸出に完全依存している。
もし、オルティジア領がこの「コストゼロのねんど細工ミスリル」を市場に大量に流せば、何が起きるか。
ミスリルの価格は暴落し、スキチャ連邦の主力産業は壊滅する。
国家は破綻し、大陸の経済バランスは文字通り崩壊するだろう。
(なんという冷酷な、経済侵略の布石……!)
ルードヴィヒは目の前でへらへらと笑う青年を見つめ、歯の根がガタガタと震えるのを止められなかった。
軍事力で国を滅ぼすのではない。
この男は、ノート一冊の計算と、公害同然の魔導兵の排熱だけで、大陸有数の大国を経済的に絞め殺すシステムを完成させているのだ。
(ライン・オルティジア……お前は、神の真似事でもする気か……っ!)
「あ、あの、執政官閣下? 顔色悪いですけど、冷房効きすぎました?」
俺が純粋に心配そうな顔で覗き込む。その無垢な瞳こそが、ルードヴィヒにとっては悪魔の微笑みにしか見えなかった。
◇
ミスリルがただの粘土のようにこねられている異様な光景から目を背けるように、一行は次のエリアへと移動し始める。
その道中、ルードヴィヒ執政官の後ろを歩いていたセシリアが、背後からジリジリと距離を詰めてきた。
「ライン……貴方、やっぱり士官学校時代からこの『産業革命』を計画していたのね」
冷や汗をにじませながら、息が掛かりそうなほどの至近距離で囁いてくるセシリア。俺は本気で困惑し、首を傾げた。
「……は?」
「当時は不真面目なフリをして、帝国の目を欺きながら、水面下でスキチャ連邦すら崩壊させる技術を理論化していたなんて……。どこまで先を見据えているの?」
(いや、そんなわけないだろ……!)
俺は内心で頭を抱えた。
俺は本当に穏便に過ごしたいだけだ。
覇権なんて一ミリも興味はない。
ミスリルだろうが最新の工房だろうが、欲しければ喜んで全財産差し出すから、一刻も早くこの面倒な領主の椅子から降ろして、安全な田舎で隠居暮らしをさせてほしい。
ただそれだけなのだ。
セシリアにこれ以上の誤解を与えるのを防ぐため、周囲に聞こえないよう、そっと彼女の耳元に口を近づけてこっそり耳打ちした。
「いや、だから俺は厄介事は嫌なんだってば。そんな事より、俺の隠居は受け入れられるんだろうな?」
早く引き継ぎを終わらせてくれという切実な確認のつもりだった。
しかし、耳元に吹きかけられた吐息と、あまりの距離の近さにセシリアの肩がビクッと跳ねる。
「ひゃんっ!?」
およそ帝国エリート軍人とは思えない可愛らしい声を立て、セシリアは一気に耳まで真っ赤に染め上げた。乱れた髪を慌てて手で整え、前髪で顔を隠すように俯きながら、上目遣いで睨みつけてくる。
「あ、あなたっ! また、そんな事言ってんの!?」
「え、いや、俺にとっては一番大事なことなんだけど……」
「ば、馬鹿っ! こんな時に、そんな不謹慎な……っ!」
どうやら、セシリアにとっての俺の『隠居』とは、「自分を連れて二人で静かに暮らす」、あるいは「帝国を脅し抜いた末に、裏社会の支配者として君臨する」という、事実上の求婚と特大の野心のブレンドにしか聞こえていなかったらしい。
そして、二人の微小なやり取りを、前方を歩くルードヴィヒ執政官は見逃さなかった。
ルードヴィヒの脳内では、すでにラインが「恐るべき冷酷な怪物」として完成しつつある。
(……あの男、セシリアを精神的に懐柔し、完全に手懐けているな。しかも、あの余裕の笑み……。我々に対して帝国を遥かに凌駕する技術力を見せつけておきながら、形式上は『隠居(無関係)』を装って、裏から執政官である私を操るつもりだ!)
ルードヴィヒは冷や汗でぐしょ濡れになった手を握りしめ、覚悟を決めたように俺を振り返った。
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