第三十一話:普通の男の子に戻りたい
「――俺さ、もう『普通』の男の子に戻りたいんだ」
領主館の会議室。重厚な長テーブルを囲むギルバート、レオン、ドレイク、マルコら主要家臣団を前に、俺は爽やかな笑顔で言い放った。
「「「…………は?」」」
沈黙が室内を支配する。
「いやー、実はレムの地下でぇ、ミスリルの鉱脈が見つかっちゃいましてぇ、すいません! ついでにミスリル製の武器の工房もありますが、これ全部帝国のものです! 領地も全財産も全部返上しますんで、俺のことはどうか不問にして、地方で細々と年金暮らしさせてください! ごめんねテヘペロって書類を今すぐ書く! バレて処刑される前に、全部自分から差し出して安全圏へ逃げるんだよ!!」
そう、結局逃げるが勝ちなのだ。
没収されて殺されるくらいなら、最初から全部貢ぎ物として差し出して、自分だけ安全な隠居生活に逃げ込むのが一番賢い!
「ちょっと何言ってんの?」
最初に口を開いたのは、頭を抱えたアルテだった。
「魔導兵が見つかった時、レオン卿が謝ろうって言った時、君、何て言ったか覚えてないの?」
「んなっ!?」
確かに俺は、レムの地下で魔導兵が見つかった時には、騎士団長レオンの「とにかく謝る」という作戦を『そんなことをしたら土下座の姿勢のまま首を刎ねられる』と却下していた。
「うるせー! あの時と今とじゃ状況のヤバさが違うの!」
逆ギレ気味に放ったその一言に、アルテはため息を吐く。
「それにね、ライン。……第一に、君は今度の誕生日がくれば二十歳を越える立派な男性だし、第二に、君は代々続く歴史あるオルティジア辺境伯家の当主(貴族)だよね。どこをどうひっくり返しても『普通』でも『男の子』でもないんだけど。頭でも打ったの?」
「言い方の問題だよアルテ! 要するにだ、俺はこの重苦しい『領主』って立場を降りて、どこか静かな田舎で温泉にでも浸かりながら、のんびり隠居生活を送りたいんだよ!」
「「「(隠居……!?)」」」
俺の言葉に、家臣たちが一斉に目を見開く。
「ギルバート、軍務局に提出した請願書は受理された。後任の執政官ルードヴィヒももうすぐやってくる。俺は全財産と、領民、家臣の命と引き換えに隠居する! みんな、今までポンコツな俺を支えてくれて本当にありがとう!」
頭を下げる俺。
……だが、家臣たちの反応は、俺が予想していた「ええっ!? ライン様、困ります!」という引き止めではなかった。
ドレイクが重々しく頷き、レオンが感極まったように拳を握りしめる。
「……なるほど。『普通の男の子(=何の肩書もない一市民)』に戻る……。つまりライン様は、帝国から与えられた『辺境伯』という、帝国の犬の称号を自ら投げ捨て、一人の人間として我々と共に歩んでくださる、ということですな……!?」
「なっ……!?」
「全財産を投げ打って無職になる……! それはつまり、自らの私財をすべて投げ打って中央からの干渉を断ち切り、無位無冠の『民のリーダー』として立つという、退路を断った決意表明……っ! なんという高潔なお覚悟……っ!」
「いや待ってマルコ、話を聞いて!?」
「ライン様……! 我ら家臣一同、その深いお考えに涙が止まりません! 貴方が『普通の男』になられるというなら、我らもただの部下ではなく、生涯を貴方に捧げる義勇の士としてお仕えいたします!」
「ちがう、そうじゃない!!!」
俺の悲痛な叫びは、家臣たちの熱狂的な感動の渦に呑み込まれて消えていった。
◇
家臣団の誤解を解く間もなく、数日後、領主館前の中央広場で「住民説明会」が開催されることとなった。
「ライン様が辞めるってマジか!?」
「帝国に俺たちを売り払う気か!?」
「ふざけるな! ライン様以外の領主なんて認めねえぞ!!」
広場を埋め尽くした数千人の領民たちは、まさに暴動前夜の様相を呈していた。松明の火が揺れ、怒号が飛び交っている。
「……ライン、大丈夫? 今なら裏口から逃げられるけど……」
心配そうに袖を引くアルテに、俺は首を振った。
「大丈夫さ。俺が直接、本当の気持ちを話せば、きっと分かってくれる」
俺は領主館のバルコニーの前に立ち、拡声器の魔道具に向かって深呼吸をした。
「――みんな! 静かにしてくれ!」
一瞬で静まり返る広場。
俺は、溢れ出る本音をそのまま言葉に乗せた。
「俺が領主を辞めるのは、みんなを捨てるからじゃない! 俺は……俺はただ、もう疲れちゃったんだよ! 毎日毎日、書類に追われて、暗殺者に狙われて、勘違いされて……俺はもっと、普通にみんなと笑顔でお酒を飲んだり、美味しい羊羹を食べたりしたいんだ!」
領民たちが息をのむ。
「今度来る執政官は、帝都のエリートで仕事がめちゃくちゃできる男だ! 彼に実権を譲れば、俺はただの『近所のお兄さん』になれる! みんなの生活と雇用の保障は、俺が命がけで書類に書いて約束させた! だから安心してくれ! 俺は辞めても、ずっとこの街のどこかにいる! みんなと一緒に、ただの『普通の人』として生きていきたいんだ!!」
俺の、絞り出すような魂の叫び。
「………………」
静寂が広場を支配した。
(やったか……!? 俺の『のんびり暮らしたい』という純粋な気持ちが伝わったか……!?)
俺が胸を撫で下ろしかけた、次の瞬間だった。
「……う……うわああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
一人の領民のおじさんが、滝のような涙を流して叫んだ。
「聞いたかみんな!? ライン様は、ご自身の『領主としての幸福』をすべて投げ打ってまで、俺たちの雇用と平和を守るために、帝国の中央と命がけの交渉をしてくださったんだ……!!」
「『近所のお兄さんとして一緒に生きたい』だって……!? 称号なんて飾りに過ぎない、俺たちの本当の『王』は、この場所で俺たちと同じ目線で生きてくださるおつもりだーっ!!」
「ライン様ーーーっ! 俺たちを……俺たちをどこまで泣かせたら気が済むんだぁぁぁっ!!」
「『ライン様万歳!』『俺たちの永遠のリーダー!』『帝国なんかに渡してたまるかぁぁっ!』」
地鳴りのような、熱狂と感動の嵐。
領民たちは肩を抱き合い、号泣しながら俺の名を連呼していた。
暴動の危機は完全に去った。
……最悪の形で。
◇
領主館のバルコニー。
眼下に広がる、かつてないほど一丸となり、士気が天元突破してギラギラとした目を輝かせる数千人の領民たち。
その背後では、レオンやギルバートたちが「我らの主のために……!」と、血走った目で武器の手入れを始めている。
「……ねえ、ライン」
隣に立ったアルテが、呆れ果てたような、どこか可哀想なものを見るようなジト目で俺を見上げてきた。
「……君、住民を落ち着かせるどころか、領地全体の『反逆の士気』を過去最高レベルまで爆上げしちゃったけど……これ、どうするの?」
「…………」
俺は返事をすることができなかった。
(なんで……? 俺はただ……『仕事辞めて隠居したいから、新しい上司のもとで仲良くやってね』って言っただけなのに……なんでみんな『帝国との全面戦争』みたいな顔してるの……?)
自分のあらゆる行動と発言がすべて裏目に出て、領地全体の戦意を10000%に引き上げてしまった事実を前に、俺は言葉を失った。
俺は、青空を見上げたまま、静かに帝都のレイヴ川の流れに思いを馳せるのだった――。
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