第三話:財の遺産は、距離感がバグっている
レイラが嵐のように去っていった後、俺はアルテに連れられて、領主の執務室へと移動していた。
ボロボロになった寝室の扉とベッドは、後で職人が直してくれるらしい。もちろんレイラの給与天引きで。
「――お兄ちゃんっ!!」
執務室の重厚な扉を開けた瞬間、甘い香りと共に、「ぽよん」と柔らかい衝撃が俺の胸元に飛び込んできた。
「ぶふっ!? に、ニナ……!?」
「もう、やっと帰ってきた! 十三年だよ? 長すぎ! 毎日お兄ちゃんの夢見てたんだからねっ!」
俺にぎゅっと抱きついて、これでもかとたわわな胸を押し付けてくるのは、先代の第三の養女――ニナだった。
俺の二歳年下。褐色の肌にウェーブがかった明るい髪、制服は少し着崩している。13年ぶりに見る彼女は、誰にでも明るく分け隔てなく接する陽気なギャルに育っていた。
元々は、領内一の老舗豪商『エスカンテ商会』の娘なのだが、先代(親父)が商会からの経済的支援を受ける目的、そして商会側は親父の後ろ盾を得る目的で、彼女が三歳の時に伯爵家の養女となった。俺が六歳で帝国に人質に送られるまでは、本当の実の兄妹のように一緒に過ごした、唯一心を許せる家族である。
……それにしても、しばらく会わない間にずいぶん成長しちゃって……。
俺がニナの感触に鼻の下を伸ばしていると、
「ちょっと、ニナ。新領主にいきなり抱きつくなんて不敬よ。離れなさい」
アルテが書類でニナの頭をペシッと叩いた。
「いーじゃんちぃねえのケチ! ウチはちぃねえやレイラねえと違って、最初からお兄ちゃんラブなんだから! ほらほら、お兄ちゃん、帝国でちゃんとご飯食べてた? 痩せちゃってない?」
ニナは俺の手を恋人繋ぎで握りしめ、顔を覗き込んできたり、胸元を撫で回してきたりする。距離が近い。ボディタッチが多すぎる。帝国で十三年間、針のむしろのような人質生活を送ってきた俺の荒んだ心に、ニナの無条件の好意が染み渡る……。
「ちょ、ちょっとニナ! 嬉しいけど……! ちょっと近いし、色々当たってるから!」
ニナを一旦引き離して、なんとか呼吸を整える。
「ところでニナ、お前の実家が大変なんだって?」
俺が話を戻すと、ニナは「あー、それね」と、困ったように眉を下げて俺の腕に寄り添った。
「問題その二、だね。ウチの『エスカンテ商会』と、新興の『シャルロッテ商会』が、マルマラ湖の物流の縄張りを巡って一触即発なの。シャルロッテ商会の若き女会長シャルロッテさんが、なにかとウチに突っかかってきて、このままだと湖上交易の流通がストップしちゃうレベル。しかも、シャルロッテさん、お兄ちゃんを自分たちの陣営に取り込もうと、色仕掛けの準備万端らしくてさ……」
ニナは俺の腕をぎゅっと抱きしめ、少し頬を膨らませた。
「お兄ちゃんはウチのなんだから、あんな肉食女子に引っかかっちゃダメだよ?」
「引っかかるかよ、政治的な肉食女子とか怖すぎるわ!」
俺が本気で怯えると、背後からアルテが冷たく補足を挟んできた。
「女狐の対策は後回しよ、ライン。まずは最大のリスクである『問題その一(財政赤字)』の原因を説明するわ。先代様が晩年、多額の予算を注ぎ込んでいた【無駄な公共工事】の正体についてよ」
「ああ、街のあちこちを掘り返してるやつな。地下水路の拡充整備とかいう名目だったろ? 財政が火の車なんだ、今すぐあの工事は中止だ、中止!」
俺が断言すると、アルテはなぜかフッと不敵に微笑んだ。
「駄目よ。計画を中止にはさせないわ。ライン、貴方は知らないの? このマルマラ湖の伝説を」
「……は? 伝説?」
「ほら、お兄ちゃんも聞いたことあるでしょ? 魔法の国の御伽話!」
ニナが楽しそうに言うと、アルテは一枚の古びた羊皮紙を大真面目な顔で机に広げた。
「ええ、この地に伝わる神話よ。神話の時代、このマルマラ湖には、世界を統べた伝説の統一国家(古代都市)があったと言われているわ。その都市の魔法や技術は現代を遥かに凌駕し、人は不老不死の医術で死の恐怖を克服し、魔力で動く『オートマタ(魔導兵)』を使役して全ての労役から解放されていた。……さらには、星を目指す巨大な船を作り、神々に近づこうとしたの」
アルテが語るスケールの大きな話に、俺は呆然とする。
「だけど、それが神々の怒りに触れた。天から降った神の雷の一撃が、その超古代都市を一瞬で滅ぼし、跡に残った巨大な窪みに水が溜まった。……それが、このマルマラ湖の始まりよ」
アルテは、レムが位置するオルティジア島の地図をトントンと指差した。
「位置的に、我が領があるこの島付近こそが、まさにその古代都市の中心地。先代様は、地下水路の整備に偽装して、地下深くに眠っている『古代の遺物』を掘り当てようとしていたのよ!」
「おいおいおい、正気かよ親父……! そんなおとぎ話を真に受けて、領の予算をパンクさせたのか!? 妄想もいい加減にしろ! 今すぐやめちまえそんな無計画!」
が頭を抱えて叫ぶと、アルテはいつになく真紅の瞳をランランと輝かせ、拳を握りしめて早口で捲し立て始めた。
「これは、古代のロマンよ……! 不老不死の医術に、魔導兵、そして星を目指す船……男なら、いや、知性を宿す人間なら、このロマンに投資せずして何に命を懸けるというの!? 災禍を逃れた古代の魔導兵が、未だに地下の闇の中で、主人の帰りを待っているかも知れないのに……!」
「知るか! ロマンで飯が食えるか! 予算が死んでるんだよ! 夢見る前に現実を見ろオタク補佐官!」
まさかのアルテが「超古代文明オタク」という致命的なバグを抱えていることが判明した。普段クールな癖に、こういうオカルト・ロマン設定には目が無いらしい。
「えー、でもお兄ちゃん、実はウチの実家(エスカンテ商会)の掘削チーム、地下のかなり深いところで、現代の技術じゃ傷一つつけられない謎の金属製の塊を見つけちゃったんだよねー。先代様は、その奥に何かあるって確信してたみたいだよ?」
ニナが人ごとみたいに、ケラケラと笑いながらとんでもない補足を付け足した。
「……は?」
嘘だろ。まさか、本当に何かあるのか……?
東西の巨大勢力に睨まれる火薬庫であるだけでも胃が破裂しそうなのに、足元(地下)には世界のパワーバランスをひっくり返しかねない超古代文明のタイムカプセル(爆弾)が埋まっているかもしれないだと?
「……帰りたい。今すぐ領土を帝国に返納して、俺は帝都のレイヴ川の流れを眺める生活に戻りたい……」
俺の切実な現実逃避の呟きは、
「さあ、明日から地下の本格調査のシフトを組むわよ、ライン」
という、目をキラキラさせたアルテの無慈悲な声にかき消されるのだった。




