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第二話:武力の遺産は、目が据わっている

翌朝。

 俺は、白壁の城塞都市レムを一望できる領主寝室のベッドの中で、泥のように眠っていた。

 いや、正確には「現実逃避の引きこもり」を極め込んでいた。


――胃が痛い。


昨晩、アルテに叩きつけられた『領地の爆弾一覧』が夢にまで出てきた。

 白壁造りの街並みに紺碧の湖……オルティジア辺境伯領の都レムは、風光明媚なその外観とは裏腹に問題山積だ。

 宗主国であるバルドゥア帝国からの重税、東のバルドゥア帝国と、西側の諸国との全面戦争リスク、軍事費を圧迫する湖賊。


 おまけに死んだ親父は晩年、多額の予算を注ぎ込んで領内のあちこちを掘り返す『謎の公共工事』を乱発……


「よし、今日は一歩も部屋から出ないぞ。本国の査察官が来るまで、俺は徹底的に気配を消すんだ……」


「残念だけど、その生存戦略ヘタレプランは不合格ね。ライン」


 突如、冷徹な声と共に、シルクの毛布が容赦なく剥ぎ取られた。

 そこに立っていたのは、完璧に文官用の制服を着こなした義妹――主席補佐官のアルテだった。


「ひゃんっ!? ノックくらいしろよアルテ! ここは一応、新領主の部屋だぞ!?」


「ノックなら三回した。貴方が耳まで毛布を被って震えていたから入って来ただけ」


 アルテは真紅の瞳で、ベッドの上の俺を蛇のように冷たく見下ろした。

 彼女の手には、今日も分厚い出納帳が握られている。


「勘違いしないでね。私は貴方を『領主』として認めたわけじゃない。私の目的は、このオルティジア辺境伯領の存続。私は先代様に、私を見出し、養女にまでして頂いた恩義を返すためだけに動いてる。……帝国に魂を売って、十三年間も牙を抜かれたもやしっ子を演じていた貴方の本性が、ただのヘタレクズなのはデータが証明済み」


「……随分な言い草だな」


「当然。貴方が本当に使い物にならない無能なら、私はいつでも貴方を切り捨てて、別の生存ルートを模索する。……でも、現在の我が領の状況は、貴方のその『徹底的なヘタレ(保身の天才)』すら利用しないと詰むレベルなの」


アルテは冷たく言い放ち、窓の外を指差した。


「知っての通り、このレムは東西の唯一の交差点であるマルマラ湖を支配する要衝。西側諸国と私達バルドゥア帝国が、互いに『喉元に突きつけられた刃』として睨み合う、大陸の火薬庫。これまでは先代様という圧倒的な個の武力が睨みを利かせていたから、両陣営とも迂闊に手が出せなかった。……でも、怪物は死んだ。そして戻ってきたのは貴方」


「ああ、生贄(人質)として使い古されたもやしっ子な」


「そう。だから帝国は『我が領の力を削ごうと不当な重税をかけ、査察官を派遣してアラ探しをしてあわよくばお取り潰しを』と動き、西側連合は『先代が亡くなり防衛線が弱まった今こそ我が領を奪い取る好機』と軍を動かしてくる。……今のレムは、薄氷の上に乗っている。だから――」


アルテの言葉が、突如として遮られた。


――ドゴォン!!!


 地響きのような爆音と共に、重厚なオーク材で作られた寝室の扉が、勢いよく蹴破られた。


「――ふふ、久しいなライン殿! 十三年ぶりにバルドゥア帝国から帰還したと思えば、朝からアルテにたしなめられてベッドで震えているのか? 昔と少しも変わらぬな!」


 立ち込める木屑の向こうから、凄まじい威圧感と、どこか懐かしい凛とした声と共に『彼女』は現れた。


「ひえっ……レ、レイラ……!?」


俺は思わずベッドの隅へガタガタと後退した。


 現れたのは、爆発的なプロポーションを誇る、美女。この地方ではポピュラーな青みがかった黒髪と瞳。真紅の装飾が施された美しい軽装鎧ビキニアーマーを纏い、片手には身の丈を超える巨大なバトルメイスを、背筋をピンと伸ばして優雅に引っ提げている。


 彼女はレイラ。俺の二歳年上。騎士団長レオンの妹であり、数年前、先代の養女になったのだと言う。そして――俺が六歳で帝国に送られる前、武術の稽古と称しては、たびたび俺を徹底的に打ち据えていたいじめっ子だった。


 ……それにしても目のやり場に困るくらいに成長して……喋らなければ……。


「レイラ姉様。領主寝室の扉の修理費は、貴方の今月の給与から天引きしておくわね」


 アルテがため息混じりに告げる。


「ムムッ!? 私は久しぶりに、可愛い弟分の顔を見に来ただけだというのになんたる仕打ち!」


 レイラは一瞬アルテの方を向き、驚いた顔を見せるが、すぐにこちらに向き直り、クスリと美しく微笑んだ。

 昔は手加減を知らないお転婆だったが、今やオルティジア最強の武力を持つ騎士団副長。まとう覇気と気品が、当時とは比べ物にならない。


「ライン殿! 街の噂では、貴卿が帝国士官学校を首席で中退した『盤上干殺し』の名将だと大騒ぎだが、私の目は誤魔化せないぞ! どうせただテストが面倒でサボっただけであろう?」


(――ッ!! 鋭い! こいつもアルテとは別の、野生の勘で本質を見抜いてやがる……!)


「フッ…昔から貴卿は、私が『手合わせだ』と剣を抜くたびに、一番安全な物陰に引きこもってやり過ごすヘタレだったからなっ! そんな貴卿が本当に我ら騎士団を率いる領主になれるのか、この私が直々に検分してあげよう。さあ、武器を取るのだっ!」


「待てレイラ、本当にタイム! 昔のしごきの件なら、俺はもう気にしてないから! 話を聞けって!」


 レイラはギロリと俺を睨みつけ、巨大なメイスを片手でブンと振るった。

 それだけで、寝室の中に猛烈な突風が吹き荒れる。


(物理的に怖い! なにあれ、掠っただけで俺の上半身が消し飛ぶぞ!?)


「レイラ殿、俺は別に戦うつもりは――」


「問答無用! さぁ! かかってくるがいい!」


レイラが一歩、踏み込んでくる。


死ぬ。本気で死ぬ。

 俺の脳内にある超高性能のヘタレスピードメーターが、限界値を突破して警報を鳴らした。


 戦ったら死ぬ。戦う素振りを見せても、その瞬間に肉片にされる。

 生き残るための最善手(安地)は――「プライドを100%捨てて、徹底的に逃げ回ること」。これしかない!


「おおおおお!」


レイラがメイスを横一線に薙ぎ払った。

 金属が風を切り裂く絶望的な音が響く。


 だが、俺はレイラが肩を動かした刹那、ベッドから滑り落ちるようにして床へ転がっていた。ただ恐怖のあまり、腰が抜けてベッドから落ちただけである。


 ――ブォンッ!!!


 俺の頭上があった空間を、メイスが虚しく通り過ぎ、背後の豪華な天蓋付きベッドの柱を粉々に粉砕した。


「……ッ!? 今のは……!?」


 レイラの目が驚愕に丸くなる。

 彼女の視点から見れば、俺は『メイスの軌道と速度を完璧に見切り、最小限の無駄のない動き(床へのスライディング)で躱した』ように見えたのだ。


「ひぃっ、壊れた! 弁償しろよマジで!」


 俺は四つん過いのまま、カサカサと素早い動きで部屋の隅へ逃走した。ゴキブリ並みの生存本能である。


「なっ……背中を向けながら、私の間合いから完全に離脱しただと……!? 床の障害物(木屑)すら一切見ずに、あの速度でバックステップを……!」


レイラは額に冷や汗を流し、メイスを構え直した。


(おかしい。私の勘が、これ以上踏み込むなと警告している。ライン殿は腰が抜けて怯えているような声を出しながら、視線だけは私の足元と呼吸を完全に捉えている……! あの士官学校の模試と同じだ。あえて無防備を晒し、私を誘い込んで、一撃で首を獲る構えか……!?)


 じり、とレイラが冷や汗を流しながら一歩退いた。

 実際は、俺が「次にあの鉄球が来たらどっちにローリングすれば助かるか」を、必死に涙目で計算していただけなのだが。


「……ふむ。これ以上は、この部屋が文字通り更地になってしまうな」


 レイラはふいっとメイスを肩に担ぎ、フンと鼻を鳴らした。

 その顔は、先ほどの侮りから一転して、油断のならない強敵を前にしたかのように、固く引き締まっている。


「認めよう、ライン殿。貴卿がただの『もやしっ子』ではないことは分かった。……だが、まだ貴卿を我が主として信じたわけではないからな。せいぜい励まれよ! それと……私のことは姉さんと呼んでも良いのだぞ?」


 レイラはそう言い残すと、破壊された扉の破片を踏み越えて、嵐のように去っていった。


「……はぁ、はぁ……。死ぬかと思った……。なんなんだよあの暴力女……」


 俺が床にへたり込んで胸を撫で下ろしていると、部屋の隅で一部始終を見ていたアルテが、静かに歩み寄ってきた。


 彼女の手元にある出納帳は、なぜか小さく震えている。


「……アルテ?」


「……ライン。貴方、今レイラの攻撃を躱す時、先代様が遺した『掘削工事の図面』が置いてある棚の前に、自然と回り込んだわね」


「え? いや、ただ一番遠い隅っこに逃げようと――」


「嘘をつかなくていいわ。レイラをあの位置に誘導すれば、これ以上大振りの武器は振り回せない。それを計算してあの場所にしたのでしょう? ……やっぱり貴方、ただのヘタレじゃない。底が知れないわ」


「違う、本当にただ死にたくなかっただけなんだって!!」


 アルテは俺の魂の叫びを完全に「照れ隠し」か「本性を隠すためのハッタリ」と断定し、その真紅の瞳に、かすかな、本当にわずかな『知的好奇心(品定め)』の光を宿らせて微笑んだ。


「いいわ。今日のところは、貴方のその不気味な生存本能に免じて、私の減点評価を少しだけ保留にしてあげる。……さあ、起きて着替えて。新領主様。今日から貴方の『化けの皮』を剥がすための、楽しい内政の始まりよ」


先代オルティジア辺境伯の遺産(姉妹)からの信用度は、未だマイナス。


 だが、ラインの必死のヘタレ行動は、彼女たちの心に「得体の知れない不気味な天才」という、消えない楔を打ち込み始めていた。


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