第二十九話:紅き疾風は、月をも穿つ
深夜の領主館、月明かりが冷たく照らす裏庭。
そこで繰り広げられていたのは、静寂を切り裂く命の削り合いだった。
「ムムムッ!チョコマカと!」
豪快な笑い声とともに振るわれたのは、身の丈ほどもある巨大な戦棍――。
鋭い突起が幾重にも並ぶその獲物を、レイラはまるで木の枝でも振るうかのようにぶん回していた。
ゴウッ、と空気が爆ぜるような風圧。かすっただけで骨ごと肉を消し飛ばす様な一撃を、サラウの密偵カシムは紙一重で、本当に数ミリの差で躱し続けていた。
(化け物め……! あんなものをあの速度で振り回して、なぜ息一つ切らさない!?)
カシムは冷汗を噛み殺しながら、バックステップと同時に懐から投擲用のナイフを抜き放つ。
手首のスナップだけで放たれた三本の銀閃。いずれもレイラの眉間、喉元、心臓を正確に捉えていた。
だが、レイラは避けない。
ガギィィン! と硬質な金属音が夜の闇に響く。
レイラは無造作に突き出したガントレットで、弾道すら見えていないはずのナイフを完璧に叩き落としたのだ。
「ハハッ、そんな子供騙し!この私には通じぬぞ!」
踏み込みの一歩で、地面の芝生が爆ぜる。
レイラはフランジメイスを両手で握り直し、天を仰ぐような上段の構えから、カシムの脳頭めがけて力任せに振り下ろした。
(――勝機!)
カシムの鋭い瞳が、その大振りの一瞬を逃さなかった。
まともに受ければ肉片と化すだろう。だからこそカシムは一歩も引かず、あえて前へと跳んだ。
ドゴォォォォンッ!!!
凄まじい衝撃音とともに、レイラのフランジメイスが裏庭の石畳を粉砕し、深く地面へと捩じ込まれる。自重と怪力が災いし、武器が地面に噛んで一瞬だけ彼女の動きが止まった。
その刹那、カシムの身体はすでにレイラの懐へと滑り込んでいた。
昨夜負った右腕の激痛を精神力でねじ伏せ、左手に握りしめた極薄の短剣を、下から突き上げるようにレイラの無防備な喉元へと突き出す。
間合い、速度、タイミング、すべてが暗殺者として完璧な一撃。勝った、とカシムは確信した。
しかし――。
「なんのぉ!」
レイラは不敵に口角を上げた。
彼女は地面に深く突き刺さったフランジメイスの柄を両手で握ったまま、それを『軸』にして己の身体を強引に宙へと跳ね上げたのだ。
常人離れした体幹とバネが生み出す、重力を無視した反転運動。
直後、カシムの視界に強烈な回転を伴ったレイラの鉄脚が迫る。
キィィィィンッ!!!
レイラのしなやかで強靭な回し蹴りが、カシムの突き出した短剣の側面を容赦なく叩いた。
凄まじい衝撃波がカシムの左腕を駆け抜け、短剣は夜空へと高く弾き飛ばされていく。
「くっ……!」
カシムはたまらず後方に飛び退き、再び低く身を構えた。
互いの間合いは一足一刀。
月光の下、カシムの額から冷たい汗が顎を伝って滴り落ちる。
(クッ!隙を突いたはずの刺突を、肉体のバネだけで無力化し、カウンターに変えただと……!? 何という戦闘センス、何というデタラメな身体能力だ……!)
カシムの意地と、レイラの獣じみた野生の武が激突し、互いに一歩も譲らず、戦局は膠着状態へと突入した。
◇
一方、カルヴァン=サラウ交易領。
熱風が吹き抜ける宮殿の、光を遮った一室。
僭主シャハールは、カシムから届けられたばかりの魔導書簡を読み終えると、紫煙を深く吐き出した。
「……ミスリル鉱山に、兵器密造工房、さらには人外の力を持つ魔導人形か。ライン・オルティジア、あの若造、世界のバランスを崩す牙をそれほどまで鋭く磨いていたとはな」
シャハールは細い目をさらに細め、頭の中で無数の計算式を組み立てていく。
オルティジアが帝国からの独立、世界の覇権を握ろうとしている――それはカシムの大いなる勘違いなのだが、シャハールの脳内で「最も警戒すべき最悪のシナリオ」へと変換されていた。
「もし、このままオルティジアがその軍事力をもって、帝国に対して独立戦争を起こせばどうなる……?」
シャハールは冷酷に首を振る。
「不味いな。内乱となれば帝国の国力が大きく衰退するだろう。東西の両大国が拮抗し、我がサラウがその間で莫大な経済利益を貪るという世界バランスが崩れてしまう。我が領の繁栄のためにも、大国同士の全面戦争や、国力を削ぎ落とすような泥沼の内乱など、絶対に起こさせてはならん」
平和のためではない。サラウが世界をカネで支配し続けるために、平和でいてもらわねば困るのだ。
ならば、打つべき手は一つ。
「オルティジアの悪い芽は、若いうちに摘まねばなるまい。……それも、最も安全に、血を流さない方法でな」
シャハールは不敵に微笑み、新たな魔導書簡にペンを走らせた。宛先は、帝国のオルティジア領併合派であり、強欲なことで知られる高官だ。
「帝国とて、オルティジアにこれほどの旨味が眠っていると分かれば黙ってはおるまい。……ライン・オルティジアがその牙を剥き、帝国と事を構える前に、帝国側から完全に首輪を嵌めさせてしまえばいい。フフフ……この情報を流せば、帝国は必ず色めき立つ。あの地を帝国の直轄地に指定し、接収するだろう。」
そうなれば、秘密兵器を量産しているオルティジアとて、牙を抜かれた獅子。
もはや事を構える事など叶わない。
「ミスリル鉱山は帝国の直轄となり、オルティジア辺境伯は反逆の恐れがありとして取り潰し。牙を剥く前に飼い主の手で処理させる……。フッ、得体の知れない怪物が暴れるよりは、我らの息がかかった帝国に管理させる方が遥かに御しやすい。ラインよ、お前の野望もここまでだ」
ラインがのんきに寝そべっている裏で、世界最高峰の頭脳による「オルティジア取り潰し計画」の歯車が、静かに回り始めたのだった。
◇
――再び、夜の領主館・裏庭。
激しい金属音と衝撃波が嘘のように止み、戦場にはカシムの荒い呼吸音だけが響いていた。
カシムはジリジリと後退する。だが、数歩下がったところで、背中に冷たい石壁の感触が伝わった。
(しまっ――逃げ場が……!)
背後は領主館の外壁。
完全に追い詰められた。
すでに右腕は限界を迎え、左手の短剣すら失った現在のカシムは丸腰。
(クソッ……ここまで、なのか……! だが、オルティジアの『兵器密造工房』の情報はすでに我が主へ送った。私の任務は果たされた……!)
カシムは覚悟を決めたように奥歯を噛み締める。
そんな彼の目の前で、レイラは石畳に深く突き刺さっていたフランジメイスを、易々と引き抜いた。
「よく粘ったな、獣人!だが、流石にその体では次が限界であろう!」
獰猛な笑みを浮かべ、一歩、また一歩と距離を詰めてくる真紅のビキニアーマー。夜風に揺れる黒髪と、月光を浴びて怪しく輝く褐色の肌は、カシムの目には地獄の処刑人映る。
その圧倒的なプレッシャーは、まさに死神そのものだった。
「フッ……一度は取り逃したが二度目はないぞ!我が主に仇なす害獣は、ここで私が叩き潰す!」
レイラは両手で巨大なフランジメイスを握り直すと、それを天高く振りかぶった。
カシムの視界が、月光を遮る巨大な戦棍によって完全に覆い尽くされる。凶悪な突起の並ぶそれが振り下ろされれば、頭蓋ごと消し飛ぶのは明白だった。
「これで――終わりだァァァァッ!!!」
レイラの雄叫びが夜空を震わせる。
空気を絶望的な音で切り裂き、必殺の質量がカシムの脳頭めがけて真っ直ぐに振り下ろされた。
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