第十九話 白銀は、流されて砂の街
「……本当に行ってしまうんだな」
風光明媚な港町レム。
その片隅にある、エスカンテ商会の極秘の私設港。
俺は青白い顔をして、クズ鉄を満載した輸送船を見上げていた。
表向きは、何の変哲もない鉄屑の山だ。だがその鉄屑の中身には、希少金属――ミスリルが混ざっている。
我がオルティジア領の地下には、世界経済に大混乱を生じさせかねないほどの量のミスリルが眠っていたのだ。
「埋め直してなかった事にすれば良かったのに…」
「何を往生際の悪いことを言っているの、ライン。もうミスリル販売の手筈はすべて整ってるんだよ。いい加減諦めな。」
隣で腕を組むアルテが、呆れたように冷たい視線を向けてくる。
後ろに控える魔導兵も「その通りだ」と言わんばかりに、ガチガチと腕組みをして、ギチギチと規則正しく首を縦に振った。
こうして、俺たちの国家規模の密輸劇が幕を開けた。
◇
今回の密輸ルートの肝となるのが、マルマラ湖の北側に広がる過酷な大砂漠に拠点を構える国――『カラヴァン・サラウ(サラウ交易領)』だ。
東西の陣営に挟まれた砂漠にあるその国は、点在するオアシスごとに位置する獣人族の自治領が寄り集まった、いわゆる酋長制の集合体である。
灼熱の太陽が照りつけるその砂漠は、ただ通過するだけでも至難の業。
ましてや大軍を機能させたまま横断させるなど実質不可能だ。
その過酷な自然環境こそが、サラウ交易領にとっての絶対の防壁であり、東西どちらの勢力も手を出せない「中立の地」たる所以だった。
彼らは砂漠を渡る命がけのキャラバンたちを癒やす巨大なオアシス都市として機能し、莫大な富を蓄えている。
……だが、それはあくまで「表の顔」に過ぎない。
サラウの獣人たちは、牙を隠して笑う。
彼らは商業、金融、情報を完璧に握ることで、東のバルドゥア帝国と西側諸国の双方に深く入り込み、甘い蜜を吸わせながら、裏では両勢力が疲弊し、いずれ共倒れになる未来を静かに狙っている経済の怪物なのだ。
そして、その恐るべき魔窟の首都に堂々と大店舗を構えているのが、我がオルティジアが誇る老舗の大店。
ニナの実家の『エスカンテ商会』であった。
大理石と砂岩で築かれたエスカンテ商会のサラウ支店は、怪しげな香辛料や魔法具、さらには出所不明の貴金属が昼夜を問わず取引される、文字通りの「魔窟」。
親父がこの商会と縁戚となり、太いパイプを繋ぎたがったのは、この魔窟が産み出す巨万の富を得るためだったのだ。
……俺は遠く離れたレムの地から、その光景に思いを馳せるだけで胃が痛くなった。
◇
「――ライン様、エスカンテ商会サラウ支店より定時連絡の魔導書簡が届きました! 我が領から『鉄屑』として偽装輸出された第一次輸送分、一振りの遅れもなく無事にサラウの秘密工房へ搬入されたとのことです!」
数日後。
領主館の執務室に、ギルバートが弾んだ声を響かせながら飛び込んできた。
「……ああ、無事に着いちゃったんだね。よかったね……」
俺は椅子の背もたれに深く沈み込み、白目を剥きながら力なく応じた。
着いちゃったよ。
世界の流通量をバグらせる希少金属が、何のお咎めもなく中立国へ入っちゃったよ。
「何をそんなに絶望しているの?」
アルテが通信の報告書をめくりながら、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「さすが、エスカンテ商会の手際は完璧だね。あちらの職人たちがクズ鉄を混ぜて偽装加工した『ミスリル合金』は、すでに西側の上級冒険者ギルドや、帝国の有力貴族の抱え騎士団に向けて、複数のダミールートで小出しに流通し始めてるよ。足がつく要素は皆無。そして――」
アルテは、手元にある帳簿の数字を指先でトントンと叩いた。
「見て?第一期のキックバックとして、我がオルティジアに振り込まれる予定の裏金……いえ、正当な『加工賃のマージン』の額だよ。」
俺は這い寄るような動作で、その帳簿を恐る恐る覗き込んだ。
「……桁が、おかしくない?」
湖上貿易の要衝として、東西各国の数多の商船と莫大な物資を動かしてようやく得られる巨額の富。
それが、地下水路の壁をコツコツ叩いて出た石を横流ししただけで、いとも容易く並び立ってしまったのだ。
「素晴らしい……! ディートリヒ様が遺された裏の道が、これほどの果実をもたらすとは! これで我が騎士団の軍備増強、および領内の新産業開発のための資金は、向こう数年は完全に担保されましたな!」
ギルバートが白髭を震わせ、見たこともないような悪代官の顔で大喜びしている。
「ええ。ラインの『ただ引きこもりたい』っていうクソみたいな理由から始まった地下水路の徘徊だったけれど、結果としてはこれ以上ない大戦果だったね」
「ホッホッホ! アルテ殿! なかなかのワルですなぁ」
「やりましたね!ギルバート卿!」
パチンッ!! と、執務室に小気味よい音が響いた。
なんと、普段は冷静沈着なあのアルテと、我が家の生真面目な古参老臣であるはずのギルバートが、満面の笑みで綺麗なハイタッチを交わしているではないか。
おい、待て。
喜び勇んでハイタッチしてるお前ら、完全に悪の組織の幹部だからな?
やってること、湖賊を裏で支援して小銭を稼いでるどこぞの無法者国家と全く一緒、いや規模的にはそれ以上にタチが悪いからな!? 隠蔽どころの騒ぎじゃねえじゃねえか……。
「はぁぁぁぁぁぁ…………」
俺は机に突っ伏し、本日最高深度の溜息を吐き出した。
ただ、港町レムの心地よい風に吹かれながら、争い事から逃げながら一生のんびりしていたいだけだったのに。
気づけば俺は、世界経済を裏から揺るがす密輸組織のボスへと、着実にステップアップしてしまっていた。
「ねえ、ライン。いつまで白目を剥いてるの。さあ、この裏金…いえ、臨時収入をどの名目で行政の予算にカモフラージュするか、次の会議を始めるよ?」
「……レイヴ川の、冷たい流れが、俺を呼んでいる……」
アルテの容赦のない催促の声を聞きながら、俺は静かに意識を現実から遠ざけるのだった。
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