第十六話:月の夜は、微笑みさえも賑やかで
湖賊の要塞島を掌握し、レムの領主館へと帰還したその日の夜。
長旅と戦いの疲れを癒やすため、館の一室には、三姉妹――レイラ、アルテ、ニナの三人が集まっていた。
薄手の夜着に身を包み、温かいハーブティーを口に運ぶ彼女たちの話題は、当然のように、昼間の戦いで大立ち回りを演じた(そして今は自室で泥のように眠っている)ラインのことだった。
「それにしても、今回のライン殿の軍略、そしてあの覇気……。見事であったぞ!」
普段の甲冑を脱ぎ捨て、しなやかな身体をベッドに投げ出したレイラが、興奮冷めやらぬ様子で拳を握る。
「まさかあの絶壁を降りる策を瞬時に思いつき、私を救うために敵の首領を脅しつけるとはな。いつまでも泣き虫のやしっ子だと思っていたが……私は誓ったぞ。次からは、私がライン殿の『盾』となり、あの御方を支える守護騎士として戦場を駆けると!」
レイラの瞳にあるのは、濁りのない純粋な武人としての忠誠心、そして敬意だった。
そんな義姉の言葉に、ふくれっ面をしたのは、三姉妹の中で最も年下のニナだった。彼女は四歳の頃にオルティジア辺境伯家に養女として迎えられて以来、ラインと本当の兄妹同然に育ってきた。
「ちょっとー!レイラねえばっかりずるい! ウチもお兄ちゃんが格好良く戦うところ見たかったー!」
ニナはクッションをぎゅっと抱きしめながら、子供のように唇を尖らせる。
「お兄ちゃん、帝都から帰ってきてからずっとお疲れみたいだったから、ウチが毎日美味しいご飯を作って、一番近くで癒やしてあげるんだから。お兄ちゃんには、ウチがついていなきゃダメなの!」
ラインとは実の兄妹同然に育ったニナが抱くのは、幼少期から何一つ変わらない家族愛。お兄ちゃんが大好きで、自分が支えてあげたいという、純粋で温かい「好き」の感情だった。
武人としての『忠誠』を語るレイラ。
妹としての『家族愛』を語るニナ。
「……ふふ」
そんな二人を見つめながら、部屋の片隅で静かに古文書(俺が子供の頃読んでいた童話の本)をめくっていたアルテが、小さく鼻で笑った。
◇
アルテは十九歳。ラインとは誕生日が半年しか違わない同い年の彼女は、難民の出だ。
苦学の末に己の実力で仕官し、その才覚と、何よりオカルト好きを先代オルティジア辺境伯に気に入られて養女となった、異色の経歴の持ち主である。
「んー? 何何ちぃねえ。人が真面目に話してるのに」
ニナに睨まれ、アルテは視線を本から二人へと移した。
「別に? 相変わらず二人は、あのヘタレの本質が見えていないなと思っただけだよ。レイラ姉さんは彼を英雄視しすぎだし、ニナはただの過保護。……ラインは、貴女たちが思っているほど、単純な男じゃない。」
「む? どういう意味だ?アルテ」
レイラが怪訝そうに眉をひそめる。
アルテは静かに本を閉じると、膝の上で指を組んだ。
彼女の脳裏に浮かぶのは、あの帝国の査察の時の記憶だ。
中央からやってきた傲慢な査察官を前に、普段なら絶対に揉め事を避けて逃げ出すはずのラインが、打算もなく、ただ真っ直ぐに査察官に立ち向かった――全ては、理不尽に巻き込まれそうになった、自分を守るためだけに。
あの日から、アルテの中で、ラインという存在の輪郭は完全に変わっていた。
「ラインは、普段は無能の皮を被ってる。でも、いざというときには誰よりも熱く、完璧に状況を支配する。……私は、そんな彼の『中身』に、個人的な興味があるんだ。」
「興味、か。相変わらずアルテは学者肌だな」
レイラが納得したように頷くが、アルテの言葉はそれでは終わらなかった。
アルテはお茶のカップを手に取り、ふっと視線を斜め下へと落とす。湯気に隠された彼女の耳の先端が、ほんのりと赤く染まっているのを、レイラも、ニナも気づかない。
「そう、興味。……でも」
アルテは小さく息を吸い、二人には聞こえないほど微かな、けれど明確なトーンで言葉を紡いだ。
「……主として仕えるに値するかどうか、という話だけじゃなくてね」
「え?」
ニナが首を傾げる。
アルテはカップをソーサーに戻すと、いつものクールな、けれどどこか挑戦的な笑みを浮かべて二人を見据えた。
「ただの怠け者なら相手にしないけど、あの底知れない本性を見せられたら、女としてはね。……そう、男として、……『あり』かもしれないね。」
◇
「「は…………?」」
寝室の空気が、一瞬で凍りついた。
レイラは驚愕のあまり口を半開きにし、ニナは抱きしめていたクッションを床に落とす。
身内としての、あるいは忠臣としての「好き」ではない。明確に一人の男としてラインを評価したアルテの言葉に、二人は言葉を失う。
「アルテ、お前……今、男として、と言ったか……?」
「なんて……ね。フフッ。もう遅いし、私はもう寝るね」
「ちぃねえって、そんな冗談言うタイプだっけ!?」
アルテはそれ以上何も語らず、自室に戻ると、すっとベッドに入り、愛用の抱き枕をぎゅっと抱きしめた。
布団の中から見える彼女の横顔が、いつもよりほんの少しだけ熱を帯びていることに、残された二人が気づくのは、もう少し先の話である――。
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