第十三話:若獅子、親征す!
船酔いで胃液まで吐き散らした俺の初陣は、家臣たちの凄まじい深読みによって「神がかった軍略」として領内に知れ渡ることになった。
結果として、領主の館の周りは、前回の査察官の時を遥かに凌駕する狂乱のお祭り騒ぎと化していた。
「聞いたか! ライン様は船酔いのフリをして敵を油断させ、湖の風を完璧に操って一網打尽にされたそうだぞ!」
「まさに天才! 歴代の領主様の中でも、これほど若くして自然の理を戦に組み込んだ御方はおられん!」
「若獅子万歳! 我らがライン様万歳!!」
(違う、今回のは本当にガチの船酔いだ。二度と船には乗らんぞ、絶対にだ……!)
自室のベッドでガタガタと震える俺の横で、老臣ギルバートが白髭を大層に震わせ、先代、ディートリヒ=オルティジア伯(俺の親父)の肖像画の前で、床が濡れるほどの滝のような涙を流しながら平伏していた。
「おお……おおお、先代様、見ておられますか……! 坊ちゃま……いや、ライン様が……かつて『湖上の獅子伯』と称され、周辺諸国に恐れられたディートリヒ様の再来のごとき大戦果を……っ! このギルバート、もう思い残すことはございませぬ。冥土の土産に十分すぎるほどにございます……!」
「いや、死ぬなギルバート……。だからあれはただの乗り物酔いで――」
「お兄ちゃん! 初陣初勝利、本当におめでとぉー!」
じいさんの誇大妄想めいた感涙を遮るように、満面の笑みを浮かべたニナが、両手いっぱいに怪しげな木箱を抱えて部屋に突撃してきた。
「ニナ……? 何だ、その大量の荷物は。というか、その不穏な笑顔はやめなさい」
「ふふーん、聞いてくださいお兄ちゃん! 領民の皆さんがお兄ちゃんの勝利にすっごく熱狂してて、何でもいいから記念になるものが欲しいって話してたんだ。そ、こ、で♪ うちの家の商会が、『お兄ちゃん初陣初勝利記念グッズ』を突貫で作って販売してみちゃいましたっ!」
「……はぁ?」
ニナは誇らしげに胸を張ると、執務室の机の上に次々と胡散臭い商品を並べ始めた。
◇
「見てお兄ちゃん! これが現在売れ筋第1位の『お兄ちゃんペナント』です! 壁に飾ると若獅子の覇気が部屋に満ちて魔除けになります! 分厚い生地で出来てるから、鍋敷きにも出来ちゃう優れもの! そして第2位がっ! この『お兄ちゃんまんじゅう』! お兄ちゃんの顔の焼き印がこれでもかと大きく入っててかわいいでしょ♡ 中身はもちろんほっくほくのお芋だよ♪ そして第3位はぁ……」
「ちょっと待て……そんなもん誰が買うんだよ!自分の主君の顔が印刷された三角形の布とか、顔面を真っ二つに割って食べる饅頭なんて……。中身が芋ってのも地味に嫌だな」
「それが領民の皆さんに飛ぶように売れてるんだよ♪ そしてっ! うちの本当のイチオシはなんといってもこれ!」
ニナがドサッとベッドの上に広げたのは、やけに巨大で細長い、中身が詰まった布の塊だった。
よく見ると、そこには不謹慎なほどリアルな俺の寝顔――しかも、少し気怠げにシーツに突っ伏している表情が、絹の布地に精巧にプリントされている。
「ジャジャーン! 『お兄ちゃん等身大抱き枕』ですぅ!! うちが夜通しでお兄ちゃんの寝顔をデッサンして、腕利きの染め物職人さんに泣きついて作らせた自信作だよ! これでいつでもお兄ちゃんと一緒に夜を過ごせると思うと……どぅへへへへ――」
「こらー!!! 即座に販売を中止しろおおお! あとそれは回収だ! 恥ずか死ぬわ!! 職人魂をそんな無駄なところで燃やさせるんじゃない!!」
俺がニナから抱き枕を引っ掴み、顔を真っ赤にして叫んでいると……。
「私も……持ってる……」
背後から、銀髪赤眼の少女――補佐官のアルテがボソッと呟いた。
「……え?」
俺が愕然としてアルテの方を振り向いた、まさにその瞬間だった。
背後の重厚な扉が、今度は物理的に叩き壊されそうな勢いでバァン!! と開け放たれた。
◇
「ライン殿! 湖賊の拠点の島が分かったのなら、私が全てぶっ壊せば良いのだなっ!?」
部屋に踏み込んできたのは、背に身の丈ほどもある武骨なメイスを担ぎ、ポニーテールにまとめた髪をなびかせた長女のレイラだった。
いつもの通り、防御力を完全に無視した露出の高い服装で、その戦闘狂じみた瞳は完全に「獲物を見つけた猛獣」のそれである。部屋の空気が一気に一触即発の戦場へと変わった。
「レ、レイラ……? ぶっ壊すって何を……。ん? 拠点? あとノックくらいしろよ」
聞けば、前回の戦いで捕らえた湖賊の尋問と、航路の逆算が完全に終わり、湖賊の現在の本拠地であるマルマラ湖の隠し島が判明したのだそうだ。
湖賊は、その隠し島を西のバルカ公国からの支援物資で要塞化しているらしい。その拠点を、レイラがオルティジア騎士団を率いて、島ごと粉砕しに行く、というのだ。
拳を骨が鳴るほどの音でゴキゴキと鳴らすレイラ。
相変わらず考える前に手が出るというか、行動理念のすべてがパワーに全振りされている。
「あ、それならレイラたちだけで行ってきてよ。俺はまだ先日のグライストの一件で胃が痛いし、何より船は二度とゴメンだからな。今回はこの『お兄ちゃんまんじゅう』でも食べながら優雅に留守番と決め込む事にするよ」
俺が心底嫌そうに手を振ってベッドの奥へ逃げようとした瞬間、部屋の入り口に、いつの間にか家臣たちがずらりと勢揃いしているのが見えた。
騎士団長レオン、海軍提督ドレイク、そして――さっき不穏なカミングアウトをしたはずのアルテまでもが、獲物を狙うかのような爛々とした目で俺を見つめている。
「何を仰いますか、閣下! 敵の本拠地を叩く大一番、これぞ『若獅子』たるライン様の、初の親征! いまこそ新領主の雄雄しき姿を民に見せるとき!」
「査察官の前で見せたあの覇王の威光を今再び!」
「ガハハハ! 湖上の獅子伯の再来たる閣下が後ろに控えていてくだされば、我が軍の士気は天を衝き、湖賊どもは戦う前に恐怖で失禁しますぜ!」
「ライン、ここで貴方が行かないで、誰が全体の指揮を執るの? ……大丈夫、今度は私もついて行ってあげるから」
アルテがすっとベッドの傍らまで近づいてきて、また俺の制服の裾をきゅっと掴んだ。そして、少しだけ首を傾げながら、
「ね?一緒に行こう? ……私は、貴方の傍にいたいの」
などと、とんでもない破壊力のセリフを小声で囁いてくる。抱き枕を所持しているという事実を知った後だと、その上目遣いは完全にこちらの理性を断ち切るための最高にして最悪の罠だった。
「おお……ライン様の親征……! オルティジア領の若獅子の歴史書に、再び不敗の神話が刻まれるのですな……!」
ギルバートがまた床を激しく叩いて号泣し始め、レオンとドレイクが「応ッ!」とむさ苦しい拳を突き上げる。部屋の中の熱量はすでに戦闘モードだ。
「よし、話は決まりだなライン殿! 共に湖賊の鼻面を粉砕しに行こうぞ! 案ずるな! 姉として、貴卿の初の親征の大勝利を特等席で見届けてやる!」
「あ、いや、だから俺は本当に行きたく――ひぎゃあ!?」
レイラにガシッと首根っこを掴まれ、まるで引き摺られる荷物のようにして部屋から連れ出される。
(違うんだ皆……! 俺はただ、本当に、本気で部屋で丸くなって寝ていたいだけなんだよ……! アルテも可愛い顔して外堀埋めるのを手伝うなチクショー!! あとニナ、どさくさに紛れて抱き枕を遠征用の荷物に詰め込むんじゃねええええ!!)
こうして、俺の必死の抵抗は文字通り木端微塵に砕け散り、俺は再び遠征船の最上甲板へと連行される羽目になったのだ。
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