第7話 『空気を砕け、御影零』
甲高い金属音のような咆哮をあげて、巨体ごと殴りかかってくるポイズンスネイク。
俺は半ば焦りを見せながらもそれをかわし、地面に着地する。
図体が大きいから、動き自体は鈍い。
駆け出しの俺が難なく避けられるということは、そういうことだろう。
ただ、ポイズンスネイクは絶えず動き続けているから、付け入る隙がない。
タイミングを見計らって距離を詰めたいが、失敗した時が怖い。
回復ポーションがあるとはいえ、コイツの攻撃をモロに食らってしまえば無事じゃ済まない。
即死なんてしたら、元も子もないし。
「――どわッ!?」
身を翻して毒液をかわしたかと思われた直後、全身に鈍い痛みが走った。
そして俺の身は風を切り裂きながら、生い茂る木々の中に吸い込まれる。
「お兄ちゃん――!」
そんな澪の声が、少しばかり遠く聞こえる。
これは意識的なものではなく、物理的に飛ばされたためだろう。
背中を木の幹に強く打ちつけ、点滅する視界に首を振る。
「いってぇ……!」
「零、大丈夫?」
「……余裕」
遠くから反響して聞こえる星羅の声に呼応し、手をついて立ち上がる。
呟くように応じたため聞こえてはいないのは分かりきっているが、俺は気にも留めずにその場を駆け出した。
草を踏みしめ、集る羽虫を振り払いながら、すぐに木々の中から脱出する。
そして再び、俺はのたくり回るポイズンスネイクの前に堂々と姿を現した。
「テメェ! 蛇は水の中にいるもんじゃなくて、普通は草むらに隠れたりするもんだろ!
いっちょまえに蛇ぃ名乗ってるけどよォ、やってることはウツボだぜ、ウツボ!」
「冗談言ってる余裕があるのかしらね?」
「お兄ちゃんはスイッチ入るといつもああなるんで、通常運転です」
モンスターに対する愚痴を吐いたつもりが、背後からそんなタレコミが伝えられた。
だがそんなことを気にしている余裕などなく、また一方的な攻撃が始まった。
(クソッ、キリがねぇ。近づかないとスキルは発動できないし、星羅は何でこんなモンスター選んだんだよ……!)
よりにもよって一番分が悪い相手を選びやがったな、あの性悪女。
……どうしたものか。
これじゃ、まったくもって勝ち目が見出せないじゃないか。
イチかバチか、飛びかかって殴ってみるか。
いや、一撃で仕留めきれなかった時を考えるとリスクが高すぎる。
それに、俺は自分が砕けないよう調整もしなければならない。
ダメだ。
考えることが、多すぎる。
「どうしたの、零。攻撃しないと勝てないわよ」
「わぁってるわそんなことォ!」
「怖」
俺は一瞬振り返り、声を荒げる。
肩をすくめる星羅と額に手を当てる澪を目に映し、すぐにポイズンスネイクへ向き直った。
頭を回せ。
思い出せ。
初めてスキルを使った、あの時のことを。
怒りと憎悪に身を任せ、生への渇望を糧に発現した『自壊』のスキル。
拳を握りしめて、イメージするんだ。
拳が徐々に熱を帯びて、眩い光に包まれる。
その光はどんどん膨張し、やがて腕全体へと伝播する。
そして、
「……何、この音?」
「何でしょう。……秒針?」
カチッ、という秒針が一秒を刻む音。
決して一秒に一度ではないが、数秒ごとに一度加算されていく。
そして、『五度目』の針の音が聞こえたら――、
「星羅さん、あれ!」
「右腕が……光ってるわ」
二人の驚嘆の声を背に、
「――チャージ完了だぜ、ウツボ野郎」
もはや肌色など見えないほどにまとった青白い光を、ポイズンスネイクにかざした。
――だが、ここで終わりではない。
まだ今のところ、俺が本当にスキルが使えるようになったということを二人とポイズンスネイクに見せつけただけにすぎない。
本番は、ここからだ。
「――――ッッ!!」
大口を開けて毒液を射出したポイズンスネイク。
俺はそれを悠々と避けて、再び腰を落として構える。
次は、巨躯を丸ごと振り回す攻撃。
それは少し高く跳ぶだけでかわすことができる。
今までよりも体が軽い気がするのは、きっと【敏捷】ステータスが初期値から跳ね上がっているからだろう。
次は、頭を振り下ろす攻撃。
俺を丸呑みしようと、大口を開けて地面に突き刺さる。
「分かってきたぜ、テメェの攻撃パターンッ!」
「――! 乗った!?」
澪の声を耳に入れながら、俺は地面に突き刺さったポイズンスネイクの鱗にしがみつく。
俺という異物が付着したことに気がついていないのか、巨躯を持ち上げたまま動かずに、先ほどまで俺がいた地面を凝視している。
「おぉ、っとっとっと!」
仮にも蛇であるポイズンスネイクの体は、尾にかけて傾斜の激しい坂のようになっている。
しがみつこうと鱗を握るが、俺はそのまま滑らかな鱗の上を滑り台のごとく下り始めてしまった。
もうチャージは終わってるんだ。
あとは、これをぶち込むだけ。
問題は、どうやって骨を折らずにコイツを消し炭にするかだ。
「――っ!」
閃きが、全身を突き抜ける。
俺はアサルトベアーとの戦いの時に、確かに右腕を粉砕した。
でも、あれはあくまでアサルトベアーを直接『殴った』からだった。
俺の拳があの巨体に直撃した時、俺の体まで吹き飛ばされそうなほどの突風が吹き荒れた。
それは、アサルトベアーを殴ったから生じたものだとばかり思っていた。
違うんだ。
アサルトベアーと俺の間にあったわずかな隙間ごと殴ったことで、間隙にあった空気が行き場を失い、押し出されるようにして突風を引き起こしたんだ。
つまり――、
「――空気を、殴りゃいいんだッッ!!」
ガラガラになっている声を喉から絞り出し、煌めく右腕を振りかぶる。
そして、ポイズンスネイクの尾をなぞって空中に身を投げ出し、力いっぱいに振り抜いた。
刹那、音を置き去りにした風圧が生じる。
元々あった空気を巻き込み、渦を巻くように膨張していき、やがてポイズンスネイクの巨躯へ直撃した。
星羅と澪に当たらないように頭だけを狙ったそれは、見事に頭だけを穿ち抜いた。
「やっ……たぜ、澪――いっつ!」
黒い灰となって消えていくポイズンスネイクの向こう側に見える澪の小さな影に向かって、右手の拳を突き出そうとしたが、脳天を貫くような痛みが走った。
「何でッ……! 空気を殴ったのに――――」
そんな疑問を口にしている間もないまま、俺は濁った湖の水面に叩きつけられた。
腕から全身へと広がっていく痛みに顔を歪めた俺の視界は、水面の向こうで眩しく輝く白い太陽だけを捉えていた。
***
「はぁ……! はぁ……!」
俺は星羅と澪に助け出され、湖のほとりに仰向けに寝かされている。
入水してから助けてもらうまでに意識を失うことはなく、はっきりと覚えている。
故に、
「くっせぇ……!」
濁りきっていた湖の中は、当然ひどい臭いだった。
無論、水中で呼吸はできないため鼻腔を通して感じたわけではないが、湖を出た後に自分の体から漂ってきた臭いはひどいものだった。
これまで嗅いだことのないような吐き気を催すほどの悪臭に、未だ嗚咽が止まらない。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「おう、大丈夫だけど……いってぇ」
そして、青紫色に変色して逆方向に曲がっている右腕。
動かすだけで痛みが全身に響くため、右腕を不自然な方向に曲げたまま横たわることしかできない。
……結構、いい考えだと思ったんだけどな。
対象を直接殴らず、空気だけを殴り飛ばせば、腕は無傷で風を巻き起こすことができると思っていた。
でも、腕を折って冷静になった今になってようやく気づかされる。
この世界には、『空気抵抗』というものが存在することに。
拳をぶつけた『空気の壁』そのものに、俺の腕は耐えきれなかったんだ。
「……ははッ。なーにが【耐久】Dだよ。0じゃねぇか」
情けなく笑い、ダンジョンの中とは思えないほど眩しく広がっている青い空を見上げる。
――俺は、条件を達成できなかった。
無傷で討伐するどころか、腕を折って湖にダイブ。
そして星羅と澪の助けまで借りて、ようやく勝利した。
頑張ったん、だけどな。
色々考えて、窮地に陥ったあの時の嫌な記憶を呼び起こしてまでスキルを使った。
それでも、俺は何も成長しちゃいなかった。
「【器用】0って、そういうことかよ」
「お疲れ様、零。残念ながら、不合格よ」
「……分かってる。期待に添えなくて、悪かったな」
「謝ることじゃないわ。よく頑張った」
双丘を揺らしながら屈み、俺に微笑みかけた星羅。
臭いだろうし、離れてほしいところだが、あいにく体が動かせない。
「惜しかったなぁ。もうちょい、だったんだけどなぁ」
「ええ、そうね」
「色々、迷惑かけたな。
っつーか、深層で助けてもらった時のお礼も、まだ言えてなかったな」
「いいのよ。過ぎたことだし」
こいつ、鼻をつまんでやがる。
そこまでするなら、無理に近づかなくてもいいのに。
ほら、澪なんて十メートルくらい離れたところに立ってるぞ。
「よし。じゃあ、これで試験は終わりよ」
「おう。悔しいけど、俺の負けだ。短い間だったけど、世話になったな」
「あら、まだ話は終わってないけど」
「……? 終わってないも何も、俺は条件を達成できなかっただろ」
意味深な言い回しをする星羅に眉をひそめると、星羅は立ち上がり、
「確かに、零は私が提示した条件に失敗した。
でも私は、『失敗しても面倒を見ない』なんて言った覚えはないわ」
「は、はぁ? どういうことだよ」
「――私は、最初からあなたを強くするために付き合うつもりだったわ」
その口から告げられた言葉に、俺は唖然として固まった。
痛みのせいで上手く頭を回すことができないのも相まって、言葉の意味をようやく理解した。
そして、
「……なんじゃ、そりゃ」
全身から、一気に力が抜けていくのを感じた。




