第5話 『俺を頼れ』
俺はしばらく、澪の顔を見て固まっていた。
必死に言葉を紡ごうと頭を働かせるが、澪のひどく動揺した表情を見ると思考まで固まってしまう。
「ねえ、お兄ちゃん、どういうことなの?」
「いや、その……」
「今誰と話してたの? 冒険者のこと話してたよね?
私が冒険者やってることも、全部話してたよね?」
一言口にするたびに詰め寄ってくる澪に、俺は何も言い返すことができない。
言葉を発しようと声を振り絞るが、弾詰まりを起こした銃のように言葉に詰まる。
「とりあえず、降りてきて。ご飯はちゃんと食べないとだめだから、食べながら話そう」
「……うん」
口をパクパクと動かしたままの俺に目もくれず、背を向けて階段を下っていった。
俺は躊躇いつつもその後に続き、用意されている夕飯の前に座る。
「どっから、聞いてたんだ?」
「腕が、折れ曲がったみたいな話から」
よりにもよって、そこからかよ。
澪の鋭い眼差しを直視できず、目を伏せて唇を結ぶ。
澪はそんな俺を見て、
「お兄ちゃんが理由もなく、ダンジョンに潜るはずがない。
ってことは、『ラビリンス』に巻き込まれたんでしょ」
「……鋭いな」
「すごい顔して家を飛び出してたし、ダンジョンの話してたから分かるよ。
ラビリンスに巻き込まれるってことは、お兄ちゃんにとって相当嫌なことがあったんじゃないの?」
どこまでも勘が鋭い澪に、内心で少しばかり感服する。
今日、俺は何を経験したのかをここで話さなければ、タイミングを逃すことになるかもしれない。
でも、七海のことを話すのはどうしても気が引けてしまう。
……澪はあの子と、とても仲が良かったから。
だが、もう話すほかない。
ダンジョンのことも、この腕のことも、すべてはあの動画から始まったことなのだから。
***
俺は、ありのままの真実を話した。
決壊しそうになる涙腺を懸命に抑えながら、なるべく感情を表に出さないように。
対して、澪は終始呼吸を忘れて聞き入っていた。
七海の件から始まり、ラビリンスに巻き込まれ、腕を折りながら深層を生き延びたこと。
もちろん、天宮星羅というA級冒険者に救われたことも含めて、覚えている限りのことを伝えた。
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。というか、あたしなんかよりお兄ちゃんの方がよっぽど辛いでしょ」
「比べることじゃ、ねぇだろ」
顔を引き攣らせて笑い、再び目を伏せる。
「……ごめんな、澪。心配かけて」
「お兄ちゃんは、何も悪くないよ。だから、謝らないで」
秒針の音だけが響く、無駄に広い部屋。
そこへ、俺の謝罪の言葉が混ざり込んだ。
噛み砕くように下を向いた澪に、
「俺が冒険者になるのは、ダメか?」
「嫌だよ。お兄ちゃんはバイトも頑張ってるし、冒険者はあたしだけで十分稼げてるんだよ」
「違うよ、澪。俺は、金の話をしてるんじゃない。……いやまあ、それもあるけど、俺はただ澪が心配なんだ」
どっちつかずの俺の言葉に首を傾げる澪は、「心配?」と聞き返してくる。
すっかり冷めてしまった夕飯を一点に見つめ、そして顔を上げて澪を見た俺は、
「やっとの思いで高校上がったのに、週に二、三回しか学校に行けてない。
しかも、毎度のように命懸けで金を稼いでくれてる。
本来、そんなのは兄である俺がやるべきことだ」
「兄だから、妹だからって、そんなのは関係ない。
あたしだって、仲のいい冒険者仲間もできたし、危険だけど楽しくやってるよ」
「……それでも、心配なんだよ。俺は、どこまで行ってもお前の兄ちゃんなんだから」
声を震わせながらそう語る澪は、俺の言葉を聞くなり目を見開く。
「父さんも母さんも死んでから、澪はたった一人の家族なんだ。
だから、お前にはいなくなってほしくない」
「……」
「――もう誰も、失いたくないんだよ」
ずっと、恐れている。
唯一の肉親である澪は、常に金と命を天秤にかけるような仕事をしている。
しかも、まだ高校に上がってばっかりの妹がだ。
ただでさえ両親を失い、澪が居なくなってしまわないか気が気でなかった。
そして今日、また大切な人を失ってしまった。
「本当は、俺が冒険者になって、澪には冒険者を辞めさせたい。
でも、澪は辞めたくないだろ?」
「……うん」
「それならせめて、俺も一緒に冒険者をやらせてくれ。
お前だけに背負わせるなんてのは、兄ちゃん失格だから」
自嘲ぎみにそう言って、眉を曲げながら笑う。
澪は、吐息を漏らしながら唇をわなわなと震わせて、
「――ありがとう、お兄ちゃん」
「妹なんだから、ちったぁ俺のこと頼れよ」
頬を綻ばせて微笑みかけると、澪の双眸に涙が溜まった。
流さないように袖で拭った澪は、
「でも、お兄ちゃんのスキルは、冒険者をやるには危険すぎるわ。
あたしだって、お兄ちゃんが心配なんだよ」
「それが、今度の週末に、さっき言った『星羅』って人と一緒にダンジョンに潜るんだ。
冒険者登録もそのタイミングで済ませて、星羅に与えられた条件をクリアすれば、面倒見てくれるんだってさ」
「A級の冒険者なんだっけ? あたし、やっとB級に上がれそうなところなのに、すごい人に見初められたのね」
「見初められたかどうかは、まだ分かんないけどな」
そう言いながら立ち上がり、カレーを片手にキッチンへ向かう。
電子レンジに入れてツマミを回し、冷めてしまったカレーを温める。
「お兄ちゃん」
「ん?」
グルグルと回転しているカレーを見つめている俺の背後から、澪が俺を呼ぶ声が聞こえる。
首だけ振り返ると、澪はまた泣きそうな顔をして、
「……あたしはいなくならないから、大丈夫だよ。
だから、お兄ちゃんもいなくならないで」
「――」
心から願うような声色で、俺の背に寄りかかった。
呆気に取られた俺だったが、シャツに滲む熱い涙を感じると、無意識に澪の頭に手が伸びていた。
「いつもありがとな、澪」
まだ微かに痛みの残る右手で、小さな頭を優しく叩いた。
***
そして、次の週末が訪れた。
特に何も持たず、一応スマートフォンだけポケットに入れて、待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所、というかまあ……
「あら、早かったじゃない、零」
家の前で出迎えてくれた星羅に掌を見せ、軽い挨拶を済ませる。
「覚悟はできた……って、あれ、妹ちゃんも来たの?」
「おう。どうしても心配で、着いてきたいんだとよ」
「初めまして、妹の澪です。先日は兄がお世話になりました」
「よくできた子ね! 貰っちゃおうかな?」
「やめてくれ。あのだだっ広い家に一人で住むのはごめんだ」
肩をすくめる俺に、「冗談よ」と微笑む星羅。
澪は緊張しているのか顔が強張っており、横目で見るとつい笑ってしまいそうになる。
「――じゃあ改めて、ギルドに向かいましょうか」
星羅の合図とともに、俺たちはダンジョンへと向かった。




