第4話 『決意』
外はすっかり暗くなっていたが、幸い雨は止んでいた。
腕の痛みもほとんど消え、不自由なく動かせるくらいには回復しているようだ。
まだ乾ききっていないアスファルトを踏みしめながら、俺はようやく家に辿り着いた。
「ただいま」
「あ、おかえり、お兄ちゃん。どうしたの? 突然家を飛び出したりして。
あたし、何回も連絡したのに既読すらつけてくれなかったじゃん」
「悪い。ちょっとその……急ぎの用事ができたからさ。あれっ、飯作ってくれてんのか?
待っててくれれば、俺が作ったのに」
「遅すぎて待てなかったから作ってるのよ」
澪はチェック柄のエプロンを着けて、キッチンに立っていた。
カレーのいい香りが鼻を突き抜け、空腹中枢を刺激する。
洗面所で手洗いを済ませ、ダイニングテーブルに座ろうとした時、ふとあることを思い出した。
(……星羅に連絡しなきゃだった)
下ろしかけた腰をもう一度持ち上げ、部屋への階段を上る。
「ちょっと、もうできるけど~!」
「先、食っといてくれ。すぐ降りる」
そう断りを入れ、「もう……」とため息をつく澪の声を聞きながら、自室へと入った。
そしてベッドの上に投げ捨てられたスマートフォンを持ち上げて電源を入れ、紙にメモしてもらった電話番号を入れて電話をかけた。
「あら、思ったより早かったわね」
「そこまで遠くなかった……ってか、あんたの家割と近所だった」
「おっ、それはラッキーね。今度遊びに行っちゃお」
「来るな。せめて澪がいない時にしろ」
「そっちの方がまずいんじゃないかしら?」
画面越しにからかってくる星羅に肩を落とし、充電ケーブルへ手を伸ばす。
残り数パーセントしかない端末にケーブルを挿し、
「それで、何が聞きたいの?」
「逆に、何を訊けばいい?」
「そりゃあ、何でも聞いてくれて構わないわ」
何でも、と言われるとかえって困るというか。
しばらく黙り込んだまま、質問を考える俺だったが、
「じゃあ、まず私から質問させてもらってもいいかしら?」
「何?」
「零を助けた場所に、アサルトベアーの毛皮がドロップしてたんだけど……もしかして、あれは零がやったの?」
「おう、あれは俺がやった。
アサルトベアーに追い込まれて、『終わった』って思った時だったかな。
右手がめちゃ熱くなって、青白く光ってたんだ。
んで、覚悟決めてぶん殴ったら、とんでもない風とともにアサルトベアーは天井に吹き飛んでた」
半ばヤケクソだったから、殴った後のことはよく覚えていない。
だが、殴るまでの経緯は、いやにはっきりと覚えていた。
「死地での危機感に陥ったことによる『スキル』の発現、ってとこかしらね」
「その口ぶりだと、よくある話なの?」
「ええ、まあごく稀にだけどね」
ごく稀に起こる『ラビリンス』に巻き込まれ、その中でごく稀に起こるスキルの発現。
近いうちに宝くじでも引いておけば、当たるんじゃないだろうか。
「殴った、ってことは、腕が折れ曲がってたのはそれが原因?」
「殴った瞬間に嫌な音がしたから、多分そうだと思う」
「なるほど……もしそれが覚醒したスキルだとしたら、ずいぶんコスパの悪いスキルね」
「使うたびにあんな思いするようなスキルかぁ。もっとこう、『チートスキル』みてぇのが欲しかったなぁ」
「複数スキルを持ってる冒険者なんてごまんといるから、いずれ他のスキルが芽を出す可能性もあるわ」
「へぇ、じゃあ新しいスキルが発現するまで頑張るしかねえな」
肘を膝について座っていた俺は、そう言いながらベッドに身を投げ出す。
すると、
「ねえ、零。あなた、もう冒険者をする気満々でしょう。
残念だけど、学生のあなたはすぐには冒険者になれないわよ」
「確か、特例でなれる場合もあっただろ? それ適用すればいい話だ」
「あれは、家庭的な事情がある学生にしか適用されないのよ。
例えば、両親がいなくて収入源がなかったりとか」
「だから、それだって。俺、父さんも母さんもいねぇもん」
「……えっ?」
仰向けになってその事実を伝えると、星羅は驚嘆の声を漏らした。
そうか、さっき伝えてなかったんだったか。
「去年の夏に、事故に巻き込まれて死んじまったんだ。
だから今は、俺と澪……妹の二人で暮らしてる」
「そう、だったのね」
「――澪は俺の一個下なのに、冒険者をやって金を稼いでる。
俺も一応バイトはしてるけど、今生きていられてるのは、澪のおかげだ」
膝を組み、淡々と事実だけを述べる。
一階からは、箸と食器のぶつかる音が聞こえてくる。
今日はたまたま澪が作ってくれたが、普段はこの時間まで澪は仕事をしているため、基本は俺が作っている。
だが、その食材も調理器具も、ほとんど澪の稼いだ金で買った物なのだ。
「澪は、ずっと一人で頑張ってる。
バイト代は家に入れるってずっと言ってんのに、『お兄ちゃんのお金は自分のために使って』って全然聞いてくれねぇんだ」
「――」
「だから、澪だけに無理はさせてやれない。
そもそも、兄である俺がその立場にいるべきだろ。死ぬまで妹の尻に敷かれるような不甲斐ない兄にはなりたくねぇ。……まあ、現状だとそうなっちまってるんだろうけどさ」
両親が死んでからまだ一年、だが澪はもう冒険者という仕事に慣れてしまった。
俺の何倍も命を懸けて仕事をしてるのに、まったく成果が得られないなんてこともザラにある。
それなのに、彼女一人すら守れないような俺のために、学校を休んでまでダンジョンに潜っているのだ。
「質問、とかじゃないんだけどさ」
「ええ。何?」
「俺の命を、あんたに預ける。だから、俺を鍛えてくれ」
相手から見えないと分かっていながらも、俺は体を起こして座り直す。
そして、いつになく真剣な表情で頭を下げた。
「命の安売りとは、感心しないわね。でも、そういうの嫌いじゃないわ。
……いいでしょう、零。あなたを鍛えてあげる」
「……! ほんとか! じゃあ――」
「ただし、一つ条件があるわ」
舞い上がりかけた俺は、再びベッドに腰を下ろす。
「条件?」と聞き返すと、星羅は分かりやすく口角を上げて、
「次の週末に、一緒にダンジョンに行きましょう。
そして、指定の上層のモンスターを一人で倒してみなさい」
「えっ、一人で?」
「あら、あなたならできるはずよ。
なんたって、下層から深層にしか出現しないモンスターを一撃で仕留めたんだもの」
まったく、物は言いようだな。
一撃で仕留めたのは事実であるが、その反動で腕が粉砕したのもまた事実。
鍛えてもらうために、もう一度骨を折れってのかよ……
「うーん、でもそう考えたら簡単すぎるわね」
「えぇ、一撃ぶち込むだけで腕の骨バッキバキになんだぜ?
リスクとリターンは見合ってるだろ」
「じゃ、こうしましょう。――骨を折らずに倒せたら、面倒を見てあげるわ」
「……は? そんなこと、できるわけねぇだろ。まだ一回しか使ったことないんだぞ?」
「どのみち、壊れながら戦い続けるやり方じゃ、長くは生きられないわ。
それに、まだ目の当たりにしたことがないから、骨を折らずに戦う方法も私には分からないしね」
……確かに、星羅の言葉には一理ある。
何でもかんでも教わるだけじゃ、いつまで経っても成長はできない。
「……自分の道は、自分で切り拓けってか」
「お、いいこと言うじゃない。やっぱり、あなたのこと好きよ」
「へいへい。んじゃ、週末にダンジョンに行きゃいいんだな」
「ええ。腕はもうすぐ完治するでしょうから、万全の状態で来なさい。そんじゃね」
「おっ……切んの早」
返事をして切ろうと思ったが、それをはるかに上回る早さで電話が切れた。
呆気にとられた俺は端末を置き、また膝に肘を押し当てて座る。
「……まさか、一日で人生がこんなに変わっちまうとはな」
もう、五年くらいの年月が流れたような感覚だ。
それくらい、あまりにも濃すぎる一日だった。
俺は「うし」とこぼしながら立ち上がり、部屋を出ようとドアノブを握る。
握ったドアノブを下げ、欠伸をしながら扉を引いた俺は、
「――お兄ちゃん、今の、どういうこと?」
「――」
茶色い瞳孔を小刻みに震わせながら部屋の前に立ち尽くしている、澪と出くわした。




