第3話 『――辛かったね』
「……んぁ」
「目が覚めた?」
おぼろげな意識の中、ぼやけている視界を晴らすべく目をこする。
段々と目がはっきりと見えたところで真っ先に目に飛び込んできたのは、小さく綺麗な顔……を半分ほど隠している双丘だった。
「……っ! ダンジョン!」
「もう出たわ。ここは私の家」
「出た、って……」
そう言いかけたところで、「あっ」と声を漏らす。
意識が途絶える直前、誰かに抱き上げられたような感覚を味わったことを思い出した。
「もしかして、あんたが……」
「そうよ。右腕がひしゃげて動けなくなってたあなたを見つけて、仕事を中断してまで脱出してきたんだから。感謝なさい」
「おう、そりゃもう、めちゃくちゃ感謝してるけど……イマイチ状況が掴めないっていうか」
七海を失った絶望に打ちひしがれる暇もなく、『ラビリンス』に巻き込まれた。
精いっぱい足掻くと決意し、暗闇の中を進んでいるところに、『アサルトベアー』が現れた。
押し倒されて死にかけたところで、秒針の音とともに右腕が光り、勢いに任せてアサルトベアーを殴り飛ばした。
その反動で右腕が粉砕されて意識を失い、気がつけば美人な金髪のお姉さんに膝枕をされている。
……いや、どういう状況?
「あら、見かけによらず膝枕に動揺しないのね」
「み、見かけによらずって何だよ」
「なんか陰気臭い見た目してるし、見るからに弱そうだし。
童貞くんかと思ってたけど、違った?」
「違うね。俺は童貞なんかじゃないぜ。
なんたって、世界で一番可愛い彼女、が……」
全力で舌を回して論破しようと試みたが、そこで俺は言葉に詰まった。
「ん? どうかしたの? 大丈夫?」
「いやっ、その……何でもないよ」
そう言って、俺は柔らかな膝から体を起こそうとする。
だがすぐに右腕が激痛に襲われ、再び同じ体勢に戻ってしまう。
「腕は、回復ポーションを飲ませただけだから完治はしてないわ。
だから、まだ動くのは危険よ」
「分かったけど、やっぱこんままじゃ気恥ずかしいから膝枕はやめてくれ」
「無理よ。腕が折れてるんだから、私としても無理に動かすことはできないわ。しばらくこのままで我慢して」
別に悪い気はしないけど、あんなことがあった矢先、見知らぬ女の膝の上に頭を預けるっていうのはちょっとな。
とはいえ事情が事情だし、今は甘えさせてもらうほかないか。
「あなた、名前は?」
「……御影零だけど」
「かっこいい苗字ね、羨ましいわ」
「そういうのって普通、名前を褒めるもんだろ。
んで、あんたの名前は?」
「天宮星羅よ。どう、いい苗字でしょ」
「だから何で頑なに苗字の話をすんだよ」
思わずそんなツッコミを入れると、星羅は声を出して笑った。
豪快でもなければお淑やかでもない、ただ綺麗な笑い方だ。
「……それで、見た目からするに高校生くらいだと断定するけど。
どうしてダンジョンなんかに潜ってたの? それも深層に」
「まあ、色々あったんだよ」
「色々、だけじゃ済まされないわ。学生は原則、ダンジョンに潜ることは禁止されてるってことは知っての行動かしら?」
「もちろん、知ってるよ。俺は『ラビリンス』に巻き込まれたんだ」
「ラビリンス……なるほど、そういうことだったのね。てっきり、勝手にダンジョンに潜ったのかと疑っちゃったわ」
星羅は眉をハの字に曲げたまま、笑って謝罪する。
可愛らしく小首を傾げたところで、簡単に許されると思ってるタイプの女だな、これ。
「ラビリンスに巻き込まれたってことは、何かしらの強い負の感情に支配されたってことでしょ。何があったの?」
「別に、あんたにゃ関係ねぇよ」
「助けてあげたことへのお礼だと思って、話して。
私、困ってる人は見過ごせないお節介さんだから」
「……」
そんなことを言われては、話さないわけにもいかないか。
仮にも、命を助けてもらったんだしな。
「さっき、俺の彼女が他の男とその……ヤってる動画が送られてきてさ」
「うぅわ、もうグロいわ」
「そんで、急いで彼女の家に行ったら、相手の男に殺されてたんだ。
ベッドに裸に剥かれた状態で、ナイフでめった刺しにされてた」
「――」
一切の誇張も捏造もない、紛れもない事実をありのまま口にした。
すると星羅は血相を変えて、深く息を呑んだ。
「初めてだったんだよ、彼女できたの。
幼稚園の時からの幼馴染で、中学の卒業式の時に告白してさ。
あん時の嬉しそうな顔、今でも忘れらんねぇ」
「――」
「家族同士も仲良かったから、色んなとこ遊びに行ったんだよ。
あの子、遊園地の観覧車が好きでさ。デート行くたびに乗ってたんだぜ。
初めてキスしたのも、観覧車のゴンドラの中だったっけな」
懐かしむように、次から次へと思い出を口にする。
星羅は口を挟むことなく、俺の話に聞き入っている。
「あとな、甘いもんが好きだったんだ。特にケーキな。
俺あんまり料理とか分かんねえけど、頑張ってケーキ作ってあげたことがあってさ。
恰好も不細工だし、持ってった頃にはぐっちゃぐちゃだったけど、『美味しい』って言いながら全部食べてくれたんだ。ホールケーキを一人で食ったんだぜ? すげぇよな」
「……うん」
自嘲ぎみに笑いながら語る俺の声は、震えている。
唇もわなわなと震え始め、双眸が潤んでいく。
「俺、何か悪いことしたのかなぁ……?」
「――」
「めちゃくちゃ好きだった。七海のためなら、死んでもいいとすら思ってた。
それなのに、七海は他の男にまたがって、あんなに幸せそうな顔してたんだ。
それってやっぱり、俺に非があったってことなんだろうなぁ……」
ついに、小さな涙が頬を伝い始めた。
体勢的にも、精神的にも、もう止めようがない。
溢れだす涙を星羅の太腿にこぼしながら、
「ごめんなぁっ、七海っ……!」
もうこの世にはいない彼女の名を呼んだ。
「――あなたは何も悪くないよ、零」
「……ぇぇ?」
星羅は泣きじゃくる俺に向けて、慈しむようにそう言った。
「話を聞いてて分かったもの。零が、彼女をどれだけ大切にしてたかってことくらい」
「……その結果が、このザマだろ」
「冷静に考えてみなさい。あなたは大事な彼女を理不尽に奪われて、挙句殺されてるのよ。
それでも、自分が悪いと思える?」
「だから、こんな……ッ」
だから、こんな結果になったんだろうが。
そう言おうとしたが、
「――辛かったね」
愛おしむようにそう言って星羅が伸ばした手が、俺の短い黒髪に柔らかく触れた途端、それは言葉になる前に消えていった。
その瞬間、内側にあったボロボロの堤防が決壊した。
溜め込んでいたものがすべて噴き出し、流れる涙の粒が大きくなっていく。
「辛……かった。信じたく、なかった。めちゃくちゃ、悲しかったんだよ」
「うん」
「あんなに、俺の隣で笑ってたのにさぁっ……!
こんなのって、あんまりじゃんかよぉっ……!」
「……うん」
ぎこちない動きで俺の頭を撫でるその手は、 虚無感と喪失感に飲み込まれそうな俺の手を優しく引いてくれるかのように、とても温かく柔らかかった。
俺はその後、しばらく泣き続けた。
泣きすぎて、両目を蜂に刺されたのかというほどパンパンに腫れあがった。
「その、色々ありがとう……ございました」
「何、今さら敬語はやめてよね」
何だか照れ臭くなってしまったため、根性で起き上がった。
先ほどに比べて痛みはかなり引いているが、まだうっすらと痛みの残滓は残っている。
どうやら、回復ポーションとやらが徐々に効いてきているためであるらしい。
俺は立ち上がり、星羅の部屋のドアノブに手をかけた。
「じゃ、そろそろ帰るよ。澪も心配するだろうし」
「あれ、もう他の女を作ったの?」
「バカ言え。妹がいるんだよ」
「へぇ、妹がいるんだ。それは早く帰ってあげないとね。
でも、このまま帰っちゃうのはもったいなくない?」
俺は「どういう意味だ」とこぼして、白い目を向ける。
悪いが、俺にそんな気は――
「――ダンジョンについて……いや、冒険者について、興味があるんじゃないの?」
ドアノブを捻ろうと力を込めた瞬間、詮索するような口ぶりで尋ねてきた。
「…………ある」
「よしきた。じゃ、もうちょっとここにいなさい」
「それはできないって」
「えぇ、釣れないな~。それじゃ、連絡先くらい交換しときましょうよ」
「悪い、スマホも持たずに飛び出してきちまったんだよ」
「……はぁ。じゃあ、ちょっと待ってて」
星羅はそう言って立ち上がり、紙とペンを取り出した。
そして、何やらスラスラと文字を綴って、その紙を俺に渡してきた。
「これ、私の電話番号。家に帰ったら、私に連絡すること」
「はぁ? 母親かよあんた」
「別に、報連相目的で連絡を寄越せって言ってるんじゃないの。
これ以上ここにいられないなら、電話越しにでも冒険者について教えてあげられるでしょ。
それに、電話番号があればついでにLINEも登録できるし」
そう説明を受け、俺は渋々ではあるが紙を受け取った。
深く息を吐き、今度こそドアノブを捻った俺に、
「零」
「ん?」
「――――私、冒険者だから。何でも聞いてね」
手を当てた腰をくの字に曲げて、ニヤッと笑いかけた。




