閑話 『粕谷晴也』
一人の男がいた。
ボディビルダーのように筋骨隆々の肉体。
金色の短髪を散らし、前髪は鼻骨のあたりまで伸びている。
肌は日に焼けて黒く、常に薄ら笑いを浮かべているその男は、
「……くははッ」
眼前に広がる光景を、嬉々として見守っていた。
ねじれ角が特徴的なミノタウロスの握る鎌が、赤褐色の甲殻を持つアイアンマンティスの前足を両断する。
飛び散る紫色の返り血を浴びたミノタウロスの頭を、棍棒を握ったトロールが跡形もなく潰した。
モンスターたちの、仲間割れ。
それは、ダンジョン内では珍しくない。
縄張り争いや食料の争奪、同個体間での共食いなども稀に起こる。
この男の前で起きているそれは、傍から見ればただの同士討ちだ。
だが、その真理は彼だけが知っている。
――粕谷晴也。
冒険者としては最高位である『S級』の冒険者の彼のスキルは、触れた相手を『洗脳』するスキルを持つ。
人間であろうがモンスターであろうが、生命がある存在すべてが洗脳の対象。
彼の持つスキルの強力さは、彼の成長に大いに貢献しているといえよう。
普段は、こうしてモンスターたちを殺し合わせることで暇をつぶすことが多い。
自分で殺すよりも、触れるだけで発動するスキルを使った方が効率的であると気づいた日から、晴也のステータスは指数関数的に上がっていった。
通常、駆け出しの冒険者が『S級冒険者』になるまでには短くても十年弱はかかると言われている。
だが、この男はスキルが発現してからわずか五年足らずでその座へ上り詰めた。
これは異例中の異例であり、冒険者界隈の間では『粕谷』の名を知らない者はいない。
――良くも、悪くも。
晴也の『洗脳』は、人間にも発動可能だ。
退屈が何よりも嫌いである彼は、そのスキルを人間相手に使い始めた。
主に、若い女を標的にして。
幼少期はきわめて粗暴な性格であったため、男女問わず他人から忌避されがちだった晴也。
故に、友達と呼べる人間はほとんどいなかった。
それは小学校に上がってからも、中学・高校に上がってからも変わらず。
無論、性格には多少の改善はみられたものの、彼の根底にある他人への『支配欲』が透けて見えていたのだ。
自分に都合のいい存在が欲しかった。
何を言っても嫌な顔一つせずに従ってくれる『傀儡』のような存在を手に入れることが、彼の望みだった。
そんな晴也に、示し合せたかのように生まれた『洗脳』のスキル。
それを用いて、これまでに何人もの女を洗脳した。
操った相手を抱いて、殺して、そして抱いた。
最初は、わずかながら背徳感があった。
だが、もはや彼の中にそんな三文字はすでに存在しない。
――島村七海。
彼の洗脳を唯一破りかけた、女の名だ。
七海の行動パターンを入念にチェックし、ストーキングをしたうえで、人混みに紛れて路地裏へと連れだした。
手を引こうと七海に触れた時点で洗脳は発動していたため、七海はすぐに術にかかってしまい、そのまま「家まで連れていけ」と指示をした。
服を脱がせ、下着を外させて、彼女にまたがろうとしたその時。
虚ろだった七海の目に、光が灯った。
自分にまたがっている男の顔を見てひどく取り乱し、泣き叫びながら『零、零』と何度もその名を呼んでいた。
しかしそれはたった一瞬の出来事であったため、再び触れるとまた洗脳にかかり、二度とその目に光が灯ることはなかった。
甘い嬌声にこの上ない快楽を味わっていた晴也は、とあることを思いつく。
七海が何度も口にしていた「零」とやらに、この様子を撮影したものを送りつけてやろう、と。
――そして、心ゆくまで味わった末、七海の命を奪った。
殴り込みにきたあの男の顔は、滑稽なものだった。
大切なものを奪われて慟哭している様を、家の外から聞いていた時は、上がった口角が中々下がらなかったものだ。
環境に恵まれている人間は、全員嫌いだった。
現実が充実している人間から向けられる視線が、嫌いだった。
だからこれまでに洗脳した女も、すべて交際相手のいる相手を挙って選んだ。
さらにはその交際相手でさえも、探し出して殺した。
だが、まだ彼は殺せていない。
御影零という男は、まだ殺せていないのだ。
「粕谷晴也。御影零は殺せたのか?」
「それが、まだなんだよ。雇ったロリっ子サポーターに奴を殺せって指示したんだけど、スキル破られてとんずらこかれた」
背後から聞こえた声に振り返り、そう答えた晴也。
肉が裂け、骨が砕ける音に浸るように目を閉じた晴也に声をかけた男は、
「僕の『探知』使ってやってんだから、いい加減事を済ませろ。
僕だって、お前の悪趣味に長々と付き合ってる暇はないんだよ」
「悪い悪い。あんたには感謝してるよ、亜蓮」
「他人を利用することに関しては僕も人のことは言えないけどさぁ。
たまには自分で片付けるってことをしたらどうなの?」
「自分の手を汚したくねぇんだよ、オレは。
せっかくのスキルなんだし、使わなきゃもったいないだろ」
「はっ、破られてるくせによく言うよ」
亜蓮と呼ばれた白髪の男は、肩をすくめて鼻を鳴らす。
「……まあ、僕らの《《ネスト》》の面子に泥を塗らないならそれでいいんだけどさぁ」
「仮にもS級冒険者だぞ? そんなヘマするかよ」
「新入りは口の利き方に気をつけることだな」
亜蓮は低く冷たい声でそう言って、その場を後にした。
晴也はしばらくその背を意味もなく見つめていたが、すぐに向き直ってモンスターたちの同士討ちをやめさせる。
ピタッと動きを止めたモンスターたちは、数にして数十。それも、大型のモンスターばかりだ。
「御影零。お前の弱点は、全部知ってる」
十一階層の真ん中で、晴也は気味の悪い笑みを浮かべながら肩を震わせた。




