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第10話 『イレギュラー』

 鈴音と顔を見合わせ、声のした方へ駆け出す。

 すると、すぐ近くに腰を抜かして動けなくなっている男が恐怖で顔を歪ませていた。


「どうした? 何があったんだ?」

「た、助けてくれ……! 頼む、助けてくれ……!」


 見た目からして、この男は冒険者だ。

 呼吸が荒く、傷だらけの体は激しく震えている。


「落ち着け。何があったか、ゆっくりでいいから説明してくれ」

「そんな暇、ねぇんだよ! 一刻も早くここから逃げないと……!」


 状況説明を求めたものの、パニックを起こしているのか話が通じない。


(この先に、何かがあるのか……?)


 そう思い、俺は行く先を見据える。

 広がっているのは暗闇だけで、何かが迫ってくる様子もない。

 一体この男は、何から逃げているんだ?


「早く、十一階層から逃げた方がいい! この先には絶対進むな!」

「だから、何があったのか説明してくれねぇと何も――」


 そう言いかけたところで、俺は言葉を失った。

 その男には――右腕の肘から下がなかったのだ。

 血に染まった袖口からは血がとめどなく流れており、男の下に血だまりを作っている。


「金なら、いくらでもやる。だから、頼む。俺を地上まで連れて行ってくれ」


 懇願するように俺たちを見上げた冒険者に、俺は鈴音を横目で見る。

 目を見開き、瞳孔を震わせながら呼吸を荒げている。


 そうか。

 まだ駆け出しのサポーターだから、こういった光景には慣れていないのだ。

 俺は今まで何度か冒険者の遺体を見たことがあるため、ある程度耐性はついているが、この子は違うのだろう。


「……分かった。立てるか?」

「本当、ありが――」


 手を差し伸べ、残った方の手を握ろうとした刹那。


「――っ!」


 男の首が落とされ、足元まで転がってきた。

 思わず息を呑み、一歩、二歩と後ずさりをする。


「鈴音、絶対俺から離れるな」

「はぁ……! はぁ……!」


 ダメだ。鈴音もパニックを起こしている。

 鈴音が激しく上下させている肩に手を置き、軽く握る。


 落ち着け。

 ここで俺が落ち着いてなきゃ、そろってパニックを起こしてしまう。

 そうなれば、二人仲良くお陀仏だぞ――


「零くん、前――!」

「――ッ!?」


 鈴音の叫びが鼓膜を震わせた瞬間、鈴音の肩に置いた手に体重をかけつつ反射的に身を屈めた。

 頭頂部を何かが掠め、髪の毛が数本持っていかれたのを感じる。


「何、だよ。今の……」


 そう呟いた俺の眼前。

 暗闇の中に、二つの赤い光が浮かんで見えた。

 内臓が震えるほどの足音が洞窟中に響き渡り、それはみるみる近づいてくる。


 俺は右腕を握り、「下がってろ」と鈴音から手を離して前に出た。

 男の遺体から漂ってくる血の匂いが鼻を突くが、そんなことは気にならないほどに、心臓が高く跳ねている。


 暗闇から光が薄くなっていくにつれ、その足音が近く聞こえる。

 そして、完全に光が失われてからすぐに、それは姿を現した。


 鈍く光る、黒い鋼のような分厚い甲殻。

 三メートルはあるであろう天井に届きそうな大きさのそれは、一目見て『カマキリ』であることが分かる。


 だが昆虫のような生々しさは一切感じられず、冷たい金属の質感しか伝わってこない。


「アイアン、マンティス……?

 でも、このモンスターは中層以下にしか出ないはずじゃ……」


 震えた声で、背後でそうこぼした鈴音。

 彼女の言う通り、『アイアンマンティス』は中層よりも下の階層でしか見られないはずだ。

 ここが十一階層、つまり上層であることを踏まえると。この階層に現れること自体がありえない。


 ――とにかく、戦うしかない。


「鈴音! ちょっと下がったところに、洞穴があるはずだ!

 お前はそこで大人しくしてろ!」

「れ、零くんは!?」

「俺は戦う。もしものことがあったら、上手くやり過ごして逃げてくれ」


 鈴音は少しばかり躊躇いつつも、俺の指示に従ってくれた。

 逃げていく鈴音に目を向けているアイアンマンティスに、


「テメェの相手は俺だ、カマキリ。俺だけ見てろ」


 恐れを知らない――否、恐れを見せないように、俺は不敵に笑った。

 すぐに唇を引き締め、左手を右腕に添えて駆け出した俺は、『自壊』のチャージを始める。


「――っぶね!」


 アイアンマンティスは、さながら本物の鎌のような腕を振るう。

 するとそこから太い針のようなものが射出され、俺の体を捉えようとする。

 俺は間一髪で身を翻してかわし、一方通行の洞窟の中を駆け回る。


「食らえッ!」


 秒針の音が『五度』鳴り、チャージが完了したところで、俺は中指を弾く。

 マッドアントを一瞬で消し炭にしたものと変わらない威力の風圧を繰り出し、瞬きをする間にアイアンマンティスの巨躯に到達した。


 だが――、


「……効かない」


 確かに、届いたはずだ。

 それなのに、アイアンマンティスは吹き飛ばされるどころかビクともせず、その場に鎮座している。

 俺は引き締めた唇を強く噛み、舌打ちをした後、再びチャージを行う。


 俺は今、本来の威力の一割ほどに抑えてスキルを使った。

 現状、俺はそれ以上出力を上げようとすると骨が砕けてしまう。

 これはステータスに関係なく、俺がまだ調整に慣れていないことによる暴発だ。


 しかし、一割の力では通用しないことが分かった。

 それならば、やることは一つ。


「――がァッ!」


 雄叫びをあげた俺は、全力で中指を弾いた。

 骨が砕けていくのを感じながら解き放った一撃は、アイアンマンティスが同時に放った針とぶつかり、かき消し――直撃した。


 痛みに悶絶する俺は膝から崩れ落ち、右手首を強く握る。

 歯を食いしばりながら顔を上げ、塵となって消えていくのを見届けようとした俺だったが――、


「嘘、だろッ……!」


 全力の一撃をもってしても、アイアンマンティスは死んでいなかった。


 ダメージがないわけじゃない。

 現に、食らった部位からは紫色の液体が滴り落ちている。

 だが、それをもろともせずに動き出し、俺に向かって突っ込んでくる。


 この時点で、俺はすでに確信した。


 ――コイツは、深層で戦った『アサルトベアー』よりも手強いと。


 痛みによろけながら立ち上がり、今度は人差し指を弾く。

 グシャっと何かが潰れる音とともに顔面に傷をつけたが、アイアンマンティスは足を止めない。

 拳を握り、指だけにとどめていたチャージを腕全体に広げて走り出すが、


「ぐぁッ――!」


 俺は、太い鎌に殴り飛ばされた。

 洞窟の壁に叩きつけられた俺は急いで立ち上がり、次の攻撃に備えようとしたが、


「……?」


 足音は、段々と遠ざかっていく。

 元いた場所へ戻ったのかと暗闇の方を見据えるが、その姿は見えない。

 まさかと思い、鈴音を逃がした洞穴の方へ目を向けると、


「鈴音!」


 アイアンマンティスは、俺たちが来た方向へと進んでいた。

 そこまで動きは速くないため走れば追いつけるが、あの方向には鈴音がいる。


 洞穴の中を見られたら、一巻の終わりだ。

 鈴音は戦えないうえ、先ほどあれだけパニックを起こしていたのだ。

 もし見つかれば、確実に殺されてしまうだろう。


 出会ったばかりだが、あの子は死なせたくない。

 俺はチャージをキープしたまま走り出し、アイアンマンティスの後を追う。

 折れた指に冷たい風が当たり、痛みに顔を歪めながら、アイアンマンティスとの距離を詰める。


 壁に空いた穴に差しかかったアイアンマンティスは、その中を覗く――


「……っ?」


 ことはせず、洞穴を無視してなおも突き進む。

 違和感を覚えた俺は、アイアンマンティスの背を追いかけながら、洞穴の中を覗き込む。


 ――そこに、鈴音はいなかった。


「どういう、ことだ……?」


 眉をひそめた俺は、足元に何かが転がっているのを感じる。

 視線を落としてそれを拾い上げると、


「『キラースパイダー』のドロップ品……」


 それは、俺がこの階層に到達するまでに倒したモンスターの一つ。

 そのドロップ品の周りに、いくつものドロップ品が散乱している。


 そして再び視線を上げ、遠くなっていくアイアンマンティスの方を見やると、他にもいくつものドロップ品が点々と落ちていた。


「――何で!? 言われた通りにしたのに!」


 目の前から、そんな声が聞こえた。

 これは、鈴音の声だ。


 ドロップ品が大量に入った風呂敷を下ろし、泣き叫びながら中身を投げつけている。

 それを見ながら、俺はその場で固まってしまう。


 言われた通りに、した。

 その言葉だけで、俺は理解できてしまった。



 ――――俺は、あの女にハメられたのだと。

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