第6話:輪郭が溶ける日
二〇二七年、七月十二日。
世界は、破滅に向けて一気に加速し始めていた。
テレビのニュースも、スマートフォンの画面を埋め尽くすSNSのトレンドも、すべてが「巨大な顔」と「謎の不協和音」の話題で持ちきりだった。
あの日、駅前で僕たちが目撃した現象は、日本全土、いや、地球上のあらゆる主要都市で同時に観測されていた。SNSには、ニューヨークの摩天楼の上空を引き裂く青白い顔や、ロンドンのビッグベンの背後に浮かぶ虚ろな瞳の動画が、無数にアップロードされ、拡散され続けている。フェイクなのか現実なのかすら、追いつかない状況。
小国では宗教戦争まで起きているぐらいだ。あの顔を求めて……。
「奏多。ニュースは見ているな」
夕暮れ時、誰もいない病院の屋上で、健介からかかってきた電話の向こう、彼の声はいつになく低く沈んでいた。
「あの音は……???……それに、あの巨大な顔も今の人類の科学じゃ説明がつかない。ホログラムでも、大気屈折でもない。本物の『物質』であり、『生命』だ」
「健介。何が言いたいんだ?」
僕は病院屋上のフェンスに背中を預け、濁った灰色の空を見上げた。
「これはあくまで、俺の仮説だが……」
健介はそこで言葉を濁した。受話器の向こうから、彼の激しい呼吸の音が聞こえる。何か重大な、そして残酷すぎる結論に達しているような気配がした。
「……いや、また連絡する」
プチ、と一方的に通話が切れた。
スマートフォンを耳から離し、僕は大きく息を吐き出す。健介の言っていることは、今の僕には計り知れない世界の話だった。宇宙、次元。そんな壮大な言葉が飛び交うたびに、僕の胸の中には先の見えない真っ暗な空洞が、じわじわと広がり続けていく。
「奏多? どうしたの?」
背後から声をかけられ、僕は心臓が止まるかと思った。
振り返ると、雪那が立っていた。しかし、彼女の記憶は、相変わらず高校入学の直前で止まったままだ。
「あ、雪那。……何でもないよ。大丈夫だ」
僕は無理に笑顔を作り、スマートフォンをポケットに隠した。
「じゃあ――その涙は、何?」
「――え?」
言われて初めて気がついた。僕の頬を、冷たい一筋の液体が伝い落ちていた。
恐怖なのか、それとも、目の前にいるのに手の届かない場所へ行ってしまった幼馴染への絶望なのか。自分でも分からない感情が、涙となって溢れていた。
「あ、いや……これは、目にゴミが……」
雪那が悲しそうな目で僕を見つめる。僕はこれ以上彼女の前にいることに耐えられなくなり、彼女の手を振り切るようにして、その場から走り去ってしまった。
病院を飛び出し、夕闇に包まれた街へと駆け出す。
暗く蒸し暑いアスファルト。そこは、何百回と雪那と一緒に歩いた、いつもの通学路のはずだった。だけど、世界はもう、僕たちの知っている姿をしていなかった。自衛隊の車両が遠くの幹線道路を慌ただしく走り抜け、街行く人々の顔からは生気が失われている。世界は静かに、けれど確実に壊れ始めていた。




