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優輝と影美  作者: 在江
第一章
7/13

7 いとこ同士

 夕方、仕事にきりがついたので、引継書類を作っていると、卓上の電話が鳴った。電話番の女性は既に帰宅しているので、事務処理をしていた長尾が素早く受話器を取り上げた。


 「藤野さんに、向坂くんからお電話です」


 双海と長尾は司法修習の同期である。イソ弁をせずに事務所を開いた双海を、長尾は羨ましく思っているらしい。確かに、独立して自分の事務所を開くのは簡単なことではない。

 いずれ父親の事務所を継ぐ長尾も、実は人から羨ましがられる立場である。


 「今日のご帰宅は遅いでしょうか」

 「何かあれば、すぐにでも帰れる」


 優輝は、事務所の中を素早く見回し、声を落して答えた。長尾も村下も、揃って机に向かって仕事をしている。調べればわかることではあるが、優輝は影美や双海との関係を事務所の人間に話していない。先日塩原にしたのが初めてである。もうすぐ辞めるというのに、ここで余計な説明をしたくなかった。


 「いえ、遅い方がよいのです。そうですね、お仕事が終わったら、梅田の『くじらや』で夕飯をご一緒しましょう。お待ちしております」

 「わかった」


 電話は切れた。双海は何処か外から掛けているようだった。悪い予感がする。気になって優輝は仕事が捗らず、引継ぎ項目を立てて書類の体裁を整えるだけ整えると、いつもより早目に事務所を後にした。


 『くじらや』は路地裏にある小さな店だが定食も一品料理も充実しており、酒も出した。無口な親父と愛想のよい女将が切り盛りしているが、客の様子を見て適度に放っておいてくれるところが優輝の気に入っている。


 弁護士は双海と影美以外に見たこともなく、内輪の話をするにも便利だった。


 行ってみると、まださほど混雑しておらず、双海がカウンターで女将と楽しげに話していた。双海は優輝にすぐ気がついて、座敷へ席を移すよう女将に頼んだ。


 「まず腹ごしらえね。秋刀魚がおいしいから」


 言葉遣いからは、影美の仕事絡みではなさそうだ。手酌で熱燗を飲みながら、双海が勧める。影美も優輝も酒を飲まない方だが、双海は酒好きで酒豪である。


 学生時代は顔を赤くしながら正体を失うほどぐいぐい飲んでいた。今は目元を赤くしてはいるが、優輝が来るまでの場繋ぎとして控え目に飲んでいたらしく、すぐ真面目な顔付きになった。


 「例の娘が来て、事務所に居座っていて、仕事にならないんだ」

 「影美は?」


 双海のお勧めに従って秋刀魚定食を注文し、とりあえずビールについてきたお通しをつまむ。双海は優輝に顔を寄せて声を落した。


 「午後に戻って、出くわしちゃって。影美様を愛人と思い込んでいるらしくて、えらい剣幕でわめいてた。そのくせ影美様が警察を呼ぼうとすると急にしおれて泣き出す。さすがの影美様も手を焼いて、優輝様が彼女に掴まらないよう、僕を先に帰すふりをして連絡させたのです」


 「彼女に独立の話はしていないだろうな」

 「影美様はそんなヘマはしないよ。具体的な事は言わずに、彼女の思い込みを利用して応対していたと思う。僕は事務所の仕事もあって、途切れ途切れにしか聞けなかったけど」


 優輝の愛人ということにしておいた方が、断り易いと踏んだのだ。


 「でも、従兄妹同士で結婚できないと知ったら、余計悪いことになるかも」

 「え、誰が」


 問い返した優輝に、双海の徳利を持つ手が止まった。優輝が卓に両手をついて詰め寄ろうとしたところへ、秋刀魚定食が来た。

 女将が去るのを待つ間も、優輝は双海を見据えたままだった。双海はあたふたと意味のない身振り手振りを交えてもごもごと口を動かしていたが、優輝の無言の圧力に屈して大きく息を吐いた。


 「優輝と影美様」


 てっきり知っているかと、と横を向いて付け加えた。優輝には初耳だった。


 「お館様と杏次郎様が本当のご姉弟。お館様は、ご先代様の守護人だったのを、結婚する前に向坂家の養子になられた。確かに、お館様は青柳家出身を仄めかされるのも嫌がっていたから、直接聞いたことはないかもね。でも名前を見れば普通わかるでしょ。名前に影、しかも女子にって、まず聞かない。それに、青柳家の菊乃様が優輝に熱を上げていた時期があったの覚えているかな。あれも、どうあがいても結婚できないと知って熱が冷めたんだよ」


 「青柳家の影久様が影美様の先代として教育を施したのも、本当の先代がお館様になったから。そう思うと、終戦で男手不足の時期に復員して、引退を止められたのは幸運だったね。影久様が大お館様と同じ年代で、変だと思わなかった?」


 思う訳なかった。母は、影美が守護人であることも長いこと隠蔽していた。確かに戸籍上の名前は和影だが、普段は「和江」で通していた。年賀状の宛名もそれで届いていた。優輝は、母の戸籍上の名前など、ほぼ失念していた。

 まして、守護人の育成システムなど知らない。


 「影美は、そのことを知っているのか」


 優輝は双海の問いを無視した。確かに名前については、疑問に思った時期はあった。随分昔のことだ。その時には、確かめる術がなかった。そして、いつの間にか、疑問自体を忘れてしまっていた。


 「そりゃ、もちろん」


 自分だけが何も知らなかった。影美と結婚しようなどと考えない限りは、一生知らなくてもよいことではあった。考えるつもりもないが。しかし、自分だけが知らないというのは、座りの悪いものである。

 優輝は、定食に手をつけた。双海は酔いもさめ、両手を膝においてかしこまっている。

 その様子が何故か可笑しくて、優輝は笑いながら双海に話しかけた。


 「もっと気楽にしてくれ。それでは俺が叱っているみたいだ」

 「怒っているように見えるもの」

 「怒ってはいない。そんなにかしこまられていては、飯が食えない」


 漸く双海は姿勢を崩した。女将を呼んで、茶漬けを注文する。優輝は秋刀魚を解体し続けた。腹が膨れるにつれて、気持ちが落ち着く。


 「そうなると、双海は影美と結婚できるのだな」


 軽く言ったつもりが、双海の表情が固くなった。


 「優輝は、影美様と結婚を考えていたとか?」

 「まさか。何でそういう話になるんだ?」

 「違うなら、いい」


 双海はそれ以上説明をしなかったし、優輝もしつこく尋ねなかった。

 店を出た時には、結構な時間になっていた。マンションへ帰りつくと、事務所には灯りがついていて、影美がパソコンに向かって猛烈な勢いで仕事をしているのが外から見えた。

 他に誰もいないようなので、優輝は事務所へ入った。影美はすぐに仕事を止めて立ち上がった。


 「桑名の娘は?」

 「ここを出てからもその辺をうろうろしていましたが、門限があるようで、しばらく前に帰りました。多分もういないと思いますが、優輝様が戻られた時に一緒に入られても困るので、お帰りをお待ちしておりました。今事務所を閉めますから、少しだけ待っていていただけますか」


 影美は優輝の問いに応えながらも、てきぱきとパソコンを終了し、戸締りをして回った。美乃利は本当に帰宅したらしく、三人は無事にマンションへ入ることができた。影美の部屋でお茶を飲みながら、優輝は今日の出来事について報告を受けた。


 「専門医をつけて身柄を押さえておくよう、桑名様に進言していただけるとありがたいのですが」


 煙草をふかしつつ、影美が言った。優輝は承知して、今の事務所を月末で辞めることを明らかにした。

 今後について話す中、従兄妹の件は持ち出せなかった。今更持ち出したところでどうなる訳でもない。知らない振りが一番よいのかもしれなかった。



 “ダーリン! お久しぶりね。元気?"


 カツカツとハイヒールの踵を鳴らして、ミシェル=ブリュガーは相変わらず派手に登場し、真っ先に優輝に抱きついた。髪の色がくすんだ金色からプラチナブロンドに、長さもショートから背中まで届くほどに変わり、盛大に、しかし計算的に波立たせた髪の毛が優輝の鼻をくすぐった。


 出迎えの同僚ばかりか、フランスの弁護士達からも棘のある視線を浴びて、優輝は急いでミシェルを引き剥がした。


 “あなたまだ独身なんですってね。てっきり彼女と結婚したと思っていたわ"


 個人的な話になるとドイツ語でまくし立てるミシェルを遮り、優輝は自己紹介と今後の予定を一行に説明し、仲間と連携して送迎バスへ誘導した。


 ミシェルはフランスの若い弁護士達に囲まれて、何やら談笑していた。どうやらミシェルは、一行のマドンナ的存在のようであった。出迎えの挨拶以上に迫られる心配はなさそうだった。


 一行はホテルに直行し、翌日の午前中に弁護士会館と大阪高裁の見学を済ませた。午後は大阪市内見学をするというので、優輝はお役ご免かと思っていたら、ミシェルに引き留められた。


 “あなたの通訳が気に入ったわ"


 本職の通訳がいるので、優輝は大した働きをしていない。わざわざ皆に聞こえるように言ったのは、引き続き優輝を確保するためだった。


 渋々午後まで残り、大阪城や通天閣、道頓堀を案内して回った。

 夕食は昭和三十年代の雰囲気を再現している滝見小路で幾つかに分散して取る事になっており、優輝もしっかり通訳の数に入れられていた。


 優輝達が入ったのはお好み焼きの店で、ミシェル達はヘラの扱いに苦戦しながらも、喜んで平らげていた。

 散々食べた後、お好み焼きだけではお腹が膨れないとフランス人達が言い、ラーメン屋に移動した。


 他のグループも一つの店では足りなかったらしく、横丁で何度かすれ違った。

 ラーメンを食べた後、誰かがクレープの店があったと言い出して、クレープ屋へ連れて行くと、他のグループも来ていたので、店の前はフランス人でごった返した。旺盛な食欲である。


 ホテルへ戻る道中、クリームたっぷりのクレープを嬉しそうに食べるフランス人の集団は、混沌たる夜の大阪でも充分に目立っていた。


 “明日からは影美に京都を案内してもらうわ"


 予め影美から聞いている。生ビールと日本酒をちゃんぽんしても飲み足りない様子のミシェルが、クレープに齧りつきながらドイツ語に切り替える。


 “影美が好きなら、ちゃんと言わなきゃだめよ"


 ミシェルは、優輝と影美が好きあっていると未だに思い込んでいるらしい。

 ここで影美とは従兄妹で結婚できないとでも言おうものなら、話が長くなる。

 優輝は適当に、はいはいと返事をした。

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