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優輝と影美  作者: 在江
第一章
4/13

4 あちらの事情

 塩原弁護士は、事務所の共同経営者である桑名と、何から何まで対照的であった。

 鶴のように細長い体つきに、きちんと撫でつけた豊富な白髪が載る姿は、その穏やかな性格と併せて仙人に喩えられた。もっとも今日は休日なので、開襟シャツに綿ズボンという気楽な恰好をしている。髪型もラフだった。


 「お休みのところをお邪魔してすみません」

 「構へん構へん。どうせうちは息子達も皆独立して、老夫婦二人暮らしや。ま、座りや」


 洋風の応接間へ通されると、間もなくころころして人好きのする奥方が、お茶と菓子を運んできた。彼女が去るのを待って、優輝は塩原に桑名美乃利との顛末と、実家の事情を話した。


 「ふうん。桑名は、もう結婚が決まっているような話ぶりやったが」


 塩原は戸惑った様子で茶を啜り、自ら菓子をつまんで優輝にも勧めた。優輝も礼を言って茶を啜る。塩原は暫く頭の中で考えをまとめている風だったが、やがて口を開いた。


 「桑名の娘は、君も話してみて感じたように、男に捨てられてから大分壊れてしもうてな。まあ、もともとの性格もあったとは思うがな。一人娘やから桑名も色々手を尽くしたが、ああいう心の病は風邪みたいにけろっと治るいう訳にはいかん。一番の薬は、当人が愛せるような男から受ける愛情なんやて。桑名がな、藤野君には愛人がおるんやけど、結婚できへん。でも後継ぎは欲しいやろうから、この話は断れない筈や、と言っておった」


 抗議しかけた優輝を手で制して、塩原は続けた。


 「できれば婿養子になって親元で暮して欲しいとは思っているのやが、藤野君が娘を愛してくれるのであれば、嫁に出してもよい、と言っておった。知ってのとおり、桑名は強引な男やが、娘のために懸命になっておるのや。君もそろそろ身を固める年頃やし、桑名の娘をもらえば、たとえ大阪に事務所がのうても、悪い方には転ばないやろう。結婚は好いた惚れただけでは続かないものや。これも何かの縁と思うて、考えたらどうや」


 言い終えて、塩原はまた茶を啜った。これ以上塩原に相談しても埒があかなそうだった。しかし、真偽はともかく塩原が優輝の知らない情報をいろいろ提供してくれたのも確かである。この会見自体は無駄ではなかった。

 そして、自分の意思を塩原に明らかにしておくことも無駄ではなかろう。


 「桑名先生にも色々事情があることはわかりました。彼女が気の毒な状態にあることもわかりました。しかし、それをもって私が彼女との結婚を承諾するか否かは別問題です。確かに、私には現在結婚を考えているような相手はおりません。好きという気持ちだけでは結婚が成り立たないというお説には賛成です。それでも、全く好意を持てない女性と結婚して、上手くいくとは思えません。彼女の病のためにも良くないと思います」


 「ま、そうやな。わしの息子でも、桑名の娘を嫁にもらおうとは思わん。もう皆所帯を持っているのが幸いだったかもしれん」


 意外なほどあっさりと、塩原は優輝に同意したが、ほっとしたところで付け加えた。


 「それにしても、どんな事情があるか知らんが、弁護士たるものが愛人持ちとは如何なものや。弱みを持っていると、そのうち仕事に差し支えるで」

 「その愛人、というのが私にはわからないのですが」


 質問しようと思っていた事柄である。愛人とみなされそうな人間には心当たりがあるが、一応確認しておく必要はある。


 「司法修習同期の青柳君や。一緒に住んでいるそうやないか。そういう人間がいるなら、早く結婚すればいいのや。何で結婚できへんのや」


 予想通りの答えだった。優輝は家のしきたりについて説明し、一緒に住んでいるというのは誤りであること、ついでに確証はなかったが、影美には互いに好き合っている相手がいる、と付け加えた。

 塩原は優輝の説明を要領を得ない顔で聞いていたが、影美に相手がいると聞いて、納得した様子だった。


 「なるほど、わかった。いずれにしても、もう藤野君は独立してもいい時分や。いつまでも居候しとらんと、故郷へ戻るのなら準備した方がええ。桑名もああ言うておったが、君の故郷までは追わないのやないか」

 「はい。その時は、よろしくお願いします」


 優輝は塩原に頭を下げ、会見は終わった。


 双海の運転で家へ戻ると、母からの伝言が電話に残っていた。さっそく電話を掛け直す。

 塩原の話から、桑名は勝手に結婚話を進めていると察せられた。対抗するため、自分の意思を明確にする必要があった。母は、すぐに電話口へ出た。


 「優輝、桑名さんの娘さんとご両親に会って結婚を決めたそうだね。明日さっそく不動産屋さんに土地と家が幾らで売れるか見てもらうよ。まずは、おめでとう」

 「母さん!」


 早い。桑名の動きは早過ぎる。母の動きも早すぎる。実家が田舎で本当によかった、と優輝は天に感謝しながら自分を立て直した。


 「家も土地も売らないでよ。僕は当分結婚するつもりもないし、故郷を捨てるつもりもないんだから」

 「なんですって」


 優輝は受話器を耳から離した。それでも母の興奮した声がはっきりと聞こえてくる。唾が飛び散るような勢いで、母は今回の結婚が如何によい条件か、優輝が適齢期をどのくらい越えているか、祖母も母も優輝の幸せを如何に願っているか、を延々と熱弁した。


 優輝は途中で切りたい衝動に耐えて、母の興奮が落ち着くのを待った。ここで短気を起こすと、再び母に桑名から誤った情報を吹き込まれる可能性があった。


 「母さん、聞いて」


 母が息切れしたのを見計らって、優輝は呼びかけた。返事はないが、受話器の向こうに気配は感じられる。


 「桑名さんが何を言ったのか知らないけど、僕は今日初めて娘さんと会食をして、初めて二人で話をしたんだ。娘さんは心を病んでいて、とても結婚できるような状態じゃない。僕は、母さん達の側で弁護士をしながら家業もして、地元の人と結婚したいんだ。聞いてる、母さん?」

 「そう、娘さん病気なの。大変なのね」


 その情報だけは母の耳にしっかり残ったらしい。美乃利には悪いが、そうでも言わなければ母は猪突猛進してしまいかねない。優輝は念を押した。


 「だから、桑名さんが何を言ってきても、家と土地は絶対に売らないでね」

 「わかったわ。でも早く結婚して欲しいわ。やっぱり地元の娘がいいわよね。いい人いないか明日」

 「頑張るよ」


 受話器を置くと、すぐ電話の呼び出し音が鳴った。影美から夕食の連絡だった。


 向かいの部屋へ行くと、いつものように、双海が先に来ていた。

 影美は普段通りの地味な姿に戻っていた。昼間の光景が幻のように感じられた。優輝は食事をしながら、影美をまじまじと観察した。太い縁の眼鏡と大量の黒髪で顔をぼかしているが、どちらかというと端正な顔立ちだった。背が高く細身で胸も目立たないものの、昔武道をしていただけあって締まった体つきをしている。


 そう言えば昔、と古い記憶を掘り起こしかけたところで、影美と目が合う。


 「なんか、いやらしい事を考えていますね」


 双海も優輝の視線に気が付いていたらしい。慌てて否定し、桑名家との会食の話を始めた。


 「お前達がいるとは思わなかったから、驚いたぞ」

 「仕事ですから、いるのは当然です」

 「いなかったら、あの場から逃げ出すのは大変だったでしょう」

 「聞いていたのか」

 「見ていればわかります」


 と、影美。そして付け加えた。


 「今のお話からしても、優輝様は桑名様とのご縁談はお受けにならない、ということでよろしいのでしょうか」

 「うん。正直に言って全く気乗りしない。ただ、彼女を見捨てるみたいで気が咎めるけど。つまり、彼女が俺を好きなら、俺にしか彼女を治せないのではないか、逃げるのは卑怯ではないかって」


 影美は座り直した。


 「それは違います、優輝様。責任があるのは、最初に彼女を捨てた男性です。如何に彼女が優輝様を愛していると主張しても、優輝様が心から彼女を愛していない限り、責任感だけで結婚したところで、彼女の心は満たされず、心の傷が回復することもないでしょう。彼女を結婚によって治すことが出来るとすれば、それは彼女と対等に愛し合える存在だけです。何より、彼女は医療機関できちんと治療を受けるべきです。ですから、優輝様がこの縁談を断ることは、逃げでも卑怯でもありません」


 影美の言葉は、すとんと優輝の胸に落ちた。


 「ありがとう」

 「お茶を淹れてきます」


 影美は席を立った。双海が残った食器を片付ける。息が合っている。優輝は胸にモヤモヤしたものを感じた。上司や母の言う通り、早く結婚した方がいい。


 今日は、紅茶とクッキーが食後の食卓に並んだ。高級ホテルの売店で買ったそうな。紅茶を飲みながら、優輝は塩原との話と母との話を二人に告げた。ただし、影美が愛人扱いされたことについては伏せた。


 「桑名様も必死ですね」


 影美は煙草の煙を扇風機の風に乗せ、一見気のない様子だが、目は真剣だった。優輝が縁談を断るつもりでいる以上、桑名の動向には注意せねばなるまい。


 「それで、塩原先生にも話したのだけれど、この際だから実家に帰って独立しようかと思う」

 「わかりました、早速物件を当ります。桑名様と、それからお館様にも当面は内密ということで、弁護士会の方もそれとなく見てみます」


 細かく指示せずとも意図を汲み取る影美に、優輝は思った。忠実なイメージはなくとも、こいつは優秀な守護人なのかもしれない。

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