3 上司の娘
調子に乗る双海にも、優輝は返す言葉が見つからない。
確かに予備校時代は開放感から、次から次へと女性と付き合っていた。手当たり次第と言っても良い。
その頃付き合った女性達の大半は一夜もしくは一回限りで、遅くとも大学入学までに全てそういう交際は終えている。弁護士になってからは年齢や職業柄もあって、女性との交際に慎重になっていた。
それでも優輝が独身を続け、なおかつ予備校時代に付き合っていたと主張する女性が年相応の子を連れて現れた場合、母達はその子が本物であろうとなかろうと、家へ入れてしまう可能性はあった。優輝にしても、その頃付き合った全員の顔を覚えている自信はない。はっきり言って、覚えている方が少ない。
「その女に悪いヒモが付いていて、いつの間にか家も土地もなくなってしまったりするかもね」
「聞いた風なことを言うな」
調子に乗って想像を逞しくする双海にようやく反撃する。双海は口を噤んだが、頬が緩んだままである。影美は黙って煙草をふかす。
この不良部下が。
代々の守護人は、藤野家の当主に忠実だったと祖母から聞いたことがある。
優輝から見て、影美に忠実という言葉は似合わなかった。予備校時代に優輝が遊びまくっていた時も諌めなかったし、側にいないことすらあった。
先代の守護人は影美が十歳の時に亡くなったが、もし生きていたら彼女の態度も随分違ったのではないか。
「日曜日に桑名様とご会食の予定は決定ですよね。結論はお会いになってからで宜しいでしょう。そのために顔を突き合わせるのです。私共でも、桑名のお嬢様について調べておきます」
最後の煙を吐き出し、煙草を消しながら影美が言った。落ち着き払って貫禄がある。これで優輝と同年である。
日曜日、早目に指定の場所へ到着すると、既に先方は席についていた。
高級ホテルのレストランは上品な夫婦連れと見られる客が多く、空いたテーブルには予約札があった。
名前を告げ席へ案内される途中、優輝の姿に気付いた桑名が片手を軽く上げた。
ほかに、顔を見知った桑名の妻と、何処かで見たような気もする優輝と同年輩の娘が座っていた。
ほぼ見合いである。相手の親が職場の上司で、こちらに付き添いがいない状況では、非常に断りづらい。先に来て待つようにしたのも策のうちだろう。
「お待たせしてすみません」
「いやいや。わしらが早く来すぎたんや。まあ、座りや」
わかってはいるが礼儀上、謝罪から入って席に着く。心理的に、断りにくくさせるやり方である。
桑名の娘は美乃利といい、お嬢様学校で有名な関西の女子大を卒業した後、家事手伝いをしているということだった。要は無職だ。年齢を聞くと優輝よりも少し年下である。
母親に似て和風の比較的整った顔をしている。ほっそりとした体つきで、少なくとも外見は優輝の好みから外れる。覚えていないのも道理である。仮に好みの外見だったとしても、結婚条件が合わない以上、交際する気はない。
しかし、桑名の方には、見合いを先へ進める腹積りが見て取れた。
洗練された料理を丁寧に切り分けながら、優輝はどうやって穏便に断ろうか考えを巡らせた。会話は父親の桑名が一人で受け持ち、母親は時々同意の印に頷いたり控え目な笑い声を立て、周囲に歓談が盛り上がっていることをアピールする役回りを務めていた。
娘は外見通り大人しく、俯きがちに料理とワインを交互に口へ運んでいる。瓶で注文しており、ワインは二杯目である。特に顔色も変わらないところを見ると、なかなか酒に強いようだった。レストランはいよいよ満席となり、ウエイターが忙しくテーブルの間を回っている。
桑名夫妻の努力にもかかわらず、周囲が自分たちのテーブルに比べてやけに明るく感じられた。
デザートとコーヒーが運ばれてきて、表向きは寛いだ雰囲気になると、桑名は煙草を一服しながら当然のように妻に話しかけた。
「じゃあ、わしらはこの辺で失礼して、後は若い者同士に任せようやないか」
「ええ、あなた」
「いや、私は……」
仕事があるので、と言いかけて、美乃利のすがるような視線に気付いて言葉を飲み込んだ。
桑名夫妻は優輝が言いかけたことなど頓着せず、さっさと席を立つ。優輝は上司の娘を一人残す訳にもいかず、彼らの思惑通りに帰り損ねた。
美乃利は置き去りにされたとも知らぬ気に、俯き加減でデザートを平らげている。当然、事前に打ち合わせてある筈である。
話しかける気も起こらず、優輝はコーヒーをちびちび飲んだ。何気なく店内を見渡してぎょっとする。
優輝の斜め後ろのテーブルに双海がおり、影美が彼の向かいへ座るところだった。優輝の守護人は眼鏡を外し髪も結い上げ、イヤリングとネックレスをつけ、初めて見るブランド物らしい服を着ている。化粧も派手に仕上げており、背の高いこともあって、遠目にはそれなりに見えなくもなかった。
双海がいなかったら、気付かぬほどの変わりようではあった。優輝と目が合った瞬間、僅かに目を細めたが、それだけだった。何の合図も、安心も与えてくれない。双海もスーツを着こなし、髪型を普段と変えて、パッと見には別人である。向かい合って微笑みを交わす二人は、恋人同士に見えた。優輝が視線を戻した途端、美乃利の注視に合う。
「やはり、ああいう綺麗な女の人がお好みですか」
「別に大して綺麗でもないと思いますが」
反射的に返して、後悔する。案の定、美乃利は自分に対する好意と勘違いした。パッと頬を染める。
あの二人ときたら、見張るならば、もう少しましなやり方はできなかったものか。お蔭で断り辛くなった。優輝は内心で八つ当たりした。こちらの苦い思いを知らず、美乃利はうっとりと宙を見つめ、何やら思い出に浸っている。ワインの酔いも手伝っているようだ。
「初めて家のパーティでお目にかかった時、藤野様は接待に疲れて壁際で休んでいた私に飲み物を持ってきてくださいました。そのご親切がとても嬉しくて、私、たくさんお見合い写真を頂いていたのですが、藤野様に決めたのですわ。一生ついて行きます。事務所の心配も、お家の心配も、なさらなくて結構ですのよ。父が用意してくれますわ」
全く記憶にない。たまたま何かの偶然で居合わせたのだろう。顔は異なるが、この娘は父親そっくりだ。自分の中で勝手に話を進めている。
「まだお若くていらっしゃるのですから、将来をここでお決めになるのは早過ぎるでしょう。私は桑名さんよりも年嵩ですが、当分結婚する予定はありませんし」
「嬉しゅうございますわ。今お付き合いしている方がいらっしゃらないのですね。藤野様は素敵な方ですから、きっとどなたか決まった方がいらっしゃると思っておりましたの。父は、そんな事はない、と申しておりましたが、本当だったのですね」
「交際している人がいないのは本当ですが、結婚する予定もありません」
「私も、じっくり愛を深めるのに賛成ですわ。お見合いしてすぐ結婚なんて、藤野様も独立事務所の準備がございましょうし、慌しいですものね」
話はいつまで経ってもかみ合わなかった。わざとではないか、と勘繰りたくなるくらい、美乃利の話は優輝との結婚に収斂していく。
ウエイターがコーヒーのお代りを持ってきた。優輝はお代りを断った。もう限界である。
「桑名さん」
優輝は改まった声を出した。美乃利は、小首を傾げて優輝の次の言葉を待っている。微かな緊張が感じられた。まさかプロポーズされると思っているのではあるまいな、と心配になった。
何を言っても結婚の申し込みの言葉として受け取られる恐れがある。残酷なまでに、はっきり言う必要を感じた。
「藤野様ですね」
ウエイターが脇に立っていた。差し出されたメモを、優輝は眉根を寄せて一瞥し、すぐに内ポケットへ仕舞い込んだ。美乃利は相変わらず小首を傾げて待っている。
今すぐ断りたいのは山々だが、両親不在の、この場で泣き喚かれたら収拾がつかない。メモを利用することにした。
「急用ができましたので、これで失礼します。下までお送りしましょう」
「あら、残念なことですわ。お仕事なら仕方ありませんわね。また今度ゆっくりお話ししましょう」
歩きながら影美達のテーブルをさりげなく見ると、既に別の客が座っていた。食事代は、桑名夫妻によって支払い済みだった。後できっちり返さねば。
エレベータで出口へ下りるまでの間、優輝は美乃利にひと言も話し掛けず、美乃利も口を開かなかった。美乃利をタクシーに押し込み、車の姿が消えるまで見送ると、優輝は再びロビーへ戻って桑名家へ電話を入れ、地下の駐車場まで降りた。
苦もなく影美の車がみつかった。運転席には双海がいた。
「影美は?」
「先に戻りました」
短く答え、エンジンをかけた。双海は影美の配下として仕事をする時は、優輝に対して敬語を使うことが多い。これも影美に対する思慕から来ているに違いない。
どちらも口を開かない。しばらく進むうちに、優輝は不審を覚えた。
「何処へ行く」
「塩原様の元へ参ります。既に約束を取りつけてありますので、優輝様は桑名様とのことを相談されるとよいでしょう、と影美様から伝言です」
確かに、事務所では桑名の目が気になって打ち解けた相談はできない。
年中渋滞している大阪の中心部をすり抜け郊外へ出ると、徐々に車の流れがよくなってきた。
「それから桑名美乃利ですが、大学時代から付き合っていた男性に振られてから、情緒不安定になっているようです。ここ数年にわたり、都度知り合った男性との付き合いと平行して、お見合いを何回かしています。桑名弁護士は、娘さえよければ相手に多少疵があっても嫁入りさせる、と周囲に漏らしているそうです」
双海は口を閉じ、塩原の家に着くまでそのまま運転を続けた。塩原家は大阪市の郊外にある古い住宅地の一画に建っていた。前庭が広く、双海は玄関先まで車を乗り入れて菓子折りと一緒に優輝を下ろした。




