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優輝と影美  作者: 在江
第一章
2/13

2 守護人の配下

 あれから何年経っただろう。優輝は影美と改めて出会ってからの日々を思い返した。その後京都の大学を卒業し、弁護士として大阪の弁護士事務所に勤めて数年になる。弁護士は自分で事務所を持つのが基本で、優輝のような者を居候弁護士、略してイソ弁と言う。


 そろそろイソ弁も潮時かな、と思っていた矢先、事務所のボスの一人である桑名に呼び出された。


 「そろそろ自分の事務所を持とうとは思っとるんかい」

 「は、はい。まあ一応」


 いきなり核心をついてくる。だが、本題は別にあった。


 「実は、年頃の娘がおってな。どうも藤野君が気になるらしいんや。一度会ってやってくれんか」

 「……」


 桑名に一人娘がいるのは知っていた。桑名家のホームパーティに呼ばれた折にでも会ったのだろう。しかし、父親を前にしても、娘の顔が思い浮かばない。


 言葉通り会うだけなら一向に構わないが、この流れで会うだけ、はあり得ない。


 優輝も年頃の独身息子である。結婚話に行き着くに決まっている。桑名は入り婿させたがるだろうし、一人息子の優輝だって藤野の家名を絶やす気はない。


 名字の問題が片付いたとして、新居の問題もある。桑名は関西だし、優輝は関東の出身である。結婚後も母を地元に一人で残す選択肢はない。かといって、ここで下手に断れば、桑名の性質上、いきなり首にもなりかねず、この先弁護士として立ち行かない可能性もあった。


 もう一人のボスである塩原とは対照的に、桑名は強引な男だった。こんな事で目をつけられる前に、大阪でも地元でもいいから、さっさと独立しておくのだった。


 「君の方の事情は、承知しておるよ。確か、おやじさんを早くに亡くしていて、一人っ子やったな。家は何百年も続く名家やそうやないか。そう簡単に家名を絶やす訳にもいかんやろ。昔は取り敢えず結婚して、生まれた子にそれぞれの姓を継がせるようなこともしたらしいがな」


 「しかし何やな。君のところの地元で事務所を開いても、そうそう客は取れん。弁護士バッジが泣くで。それよりこういう大きい土地に住んだ方が何かと便利や。今までの顧客も近いしな。お袋さんも動けるうちに、土地家屋一切合財売って、その金でこっちに事務所を開くちゅうのもええで。ほしたら、わしも力になるわ」


 やはり婿取りをして、大阪に住まわせる腹積もりでいる。黙っていたら、勝手に話を進めかねない。


 「おっしゃる通り、土地家屋が売るだけの価値のあるものなのか調べないといけませんし、母の意向も聞く必要がありますので、少々考えさせてください」


 「よっしゃ。ほなら、今度の日曜日の昼に、ウエスティンホテルのフレンチレストランで待ってるで」

 「ちょ、ちょっと待ってください。私はまだ……」

 「別に会うぐらいええやん。もう予約しておるんや。ええか、逃げるんやないで」


 最後の台詞に凄みを利かせてぐっと睨み据えた後、桑名は急ににっこりし、受話器を取り上げた。


 「待ってるで……あ、もしもし」


 話は終わりという事だ。優輝は一礼して部屋を出た。自前のパソコンに向かって書類を作成しながらも、桑名の話が頭から離れない。


 このままではまずい、という思いが頭の中をぐるぐると回る。あの土地を売って大阪に引っ越せなどという無茶を母が許す筈はないし、優輝だって望まない。大事な土地ではあるが、売るとなったら大した値はつかないだろう、と余計な考えまで浮かぶ。


 それにしても桑名の口振りは、優輝の事情をかなり細かく把握しているようだった。どういう口実を使ったにせよ、あんな田舎で藤野家の跡取の事を聞きまわったら、母の耳に入らない筈はない。ならば、電話のひとつも掛けてくるところである。まさか賛成ということはあるまい。


 「わからない」

 「どないしはりました」


 後輩のイソ弁である長尾が聞いた。優輝と影美が大学時代にアルバイトさせてもらった、長尾精一弁護士の息子である。息子も弁護士になったが、武者修行してこい、と父親が自分の事務所に入れなかった。親の期待通り、息子は他人の釜の飯で苦労している。


 「いや、何でもない」


 取り敢えず桑名の娘には、一度会うしかない。優輝は仕事に集中した。



 優輝は大学時代からそのまま京都に住んでいる。町屋に住んでいたこともあったが、今はマンション暮らしである。家に帰っても、母から連絡は来ていなかった。自分から電話を掛けて波風を立てるのも憚られた。まずひと風呂浴びる。上がると、伝言が入っていた。


 「青柳です。夕飯如何ですか」


 隣に住む影美の部屋へ行くと、いつもの通り向坂双海(こうさかふたみ)も食卓についていた。

 向坂家は医師の家柄で、長子以外は全て青柳家の守護人の配下になる。影美の代には長男の一志が家業の医師を継ぎ、長女の美奈と次男の双海が配下についた。


 優輝の母親の旧姓は向坂で、一志達は従兄妹にあたる。美奈は地元に就職し、双海は優輝達と同じ大学を卒業して弁護士になり、居候弁護士の期間を置かずいきなり京都に事務所を構えた。しかも先輩弁護士の影美をイソ弁として使っている。


 事務所はマンションの一階にあり、住居は優輝と同じフロアである。住居と事務所を両方借りるということで家賃か店賃をある程度負けてもらっているらしい。

 影美の指示に従ったのだろうが、優輝は何となく面白くなかった。


 仕事の関係で外食する以外、優輝の夕食は基本的に影美が用意する。自炊を試みたこともあったが、仕事は忙しいし段々面倒臭くなってカップ麺やコンビニの弁当ばかり食べていたら、見かねた影美が夕食に呼んでくれるようになった。


 普段の朝食は自分で準備できるパンとコーヒーで済ませている。それも休日の朝は影美の電話で起き、朝御飯を食べに行くという体たらくであった。自堕落に過ぎると忸怩たる思いはあるものの、身体は楽な方へ流れている。


 「それはおめでとうございます」


 夕食の席上、桑名の娘との縁談を聞いた影美の第一声である。影美は普段から表情に乏しく、本心から喜んでいるのかどうかわからない。気乗りのしない優輝には、むしろ慰めに聞こえた。


 「これで優輝も落ち着くね。めでたしめでたし」


 対照的に、明らかに嬉しそうな双海。優輝と直接的な主従関係ではなく、従兄弟でもあることから、影美が守護人として優輝に敬語を使い出した後も、変わらず気安い口調である。ただし彼の主である影美には敬語を使う。


 昔から二つ年上である影美への思慕を隠さない。しきたりによって影美が仕える優輝を、どういう訳か牽制し続けている。


 同じ大学へ進学し、同じ職業を選んだのも影美の側にいたいからであろう。藤野家と青柳家の関係と違い、青柳家と向坂家の関係はより緩やかである。


 守護人は必要に応じて補助的に配下を使うので、向坂家の人間の進路や職業に規制はなく、常に守護人の側にいる必要もないのだ。影美が双海をどう思っているのか知らないが、今や二人は四六時中一緒にいる。


 「ちっともめでたくない。母や祖母はどうなる。あんな年になって急に知らない土地へ住まわせられるか」

 「そうですか」


 優輝は箸をおいた。影美が席を立ち食器を片付け始める。卓上が片付き、彼女が食後の飲み物を用意するために台所へ立つと、双海は台所の様子を窺いながら、優輝に顔を近づけた。


 「ご当代様の本務は子孫を残すことじゃないか。それなのに、二十代後半になっても身を固める様子がない方がお館様も大お館様も心配するでしょ。今は付き合っている人もいないし」

 「お前、影美と結婚したくて、俺を急かしているんだろう」


 優輝も負けずに言い返した。図星を当てられ返事に窮したか、双海の表情が曇った。優輝から視線を外し、ほとんど聞き取れない小声で呟く。


 「僕だって‥‥のに」


 それから少し声を大きくした。


 「優輝は、わかっているの?」

 「何が」


 その時影美が戻り、話は中断された。優輝と影美の間、少し離して小型扇風機を置き、茶道具などを並べる。扇風機の前には蓋付きの灰皿。

 席についた影美は扇風機のスイッチを入れ、煙草を取り出して火をつけた。煙は扇風機で後ろに飛ばされ、ゆらゆらと漂った末に台所の換気扇へ吸い込まれて行く。灰まで飛ばされないよう、計算している。


 優輝は煙草が嫌いである。影美も嫌いだったと記憶していたが、大学の卒業も間近になって、急に吸い始めた。しかもニコチンが強いタイプの煙草である。

 折りある毎に禁煙するように言っても、止めない。その代わり煙が優輝に行かないように気を配る。そういうことではないのだが。


 「お館様から先日お電話がございました」


 一服つけた影美が切り出した。吐き出し切れなかった煙が唇から言葉と共にはふはふと零れ落ちている。見ているだけで茶の味が落ちる心地がする。優輝は梨をひと切れつまんだ。

 食後は、季節の果物が出ることが多い。実家から箱で送られてくるのだ。影美も煙草を灰皿に置き、梨を食べて茶を啜った。


 「少し前に、優輝様へ縁談を持ちかけるため身元調べをする者がいるとの情報があり、美奈さんに調べてもらったところ、桑名様の名前が出ました。それでお館様にご報告申し上げたのですが、優輝様がその娘さんと結婚したいのならば、土地屋敷を処分してこちらへ住んでもよいそうです。大お館様も賛成しておられるということでした」


 「まさか」

 と優輝が言ったのは、家族の賛意よりも、守護人の仕事の早さに対してであった。まずすべきは、本人の意思確認だろう。


 「お館様も大お館様も、土地や家名にこだわらず、優輝様のお気持ちを大切にしたいということです」

 「じゃあ、俺が一生結婚しなくても構わない訳だ」


 土地はともかく、数百年も続いた藤野の家名を絶やしてもよい、とまでは考えまい、と優輝は母と祖母を目の前にした気持ちで言ってみた。


 大体、家の大事を息子より先に守護人に話すのも気に入らなかった。

 影美は再び煙草を手にし、背もたれに寄りかかった。


 「そうなればきっと、どなたかが優輝様のお子を連れて藤野の家に入るでしょうね」

 「あれだけ遊んでいれば、優輝様の後継ぎには困りませんよね」

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