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優輝と影美  作者: 在江
第二章
11/13

3 備忘録

 結婚式の前日まで、優輝は仕事をしていた。新婚旅行中も美奈が事務所に出勤し、緊急の際には連絡をもらうことになっていた。


 「いざとなったら双海もいますし、何とかなりますよ。ご安心ください」


 戸籍上の親族である向坂一家は、結婚式にも全員出席する予定だった。双海も京都から戻っている筈である。青柳家からは、当主である菊乃夫妻だけが出席する。


 慣例で、影美は出ない。家で式を挙げていた昔は裏方として参加したらしいが、今の時代は会場となる式場のスタッフが全て請け負う。仕事はなくとも実の従兄妹なのだから出席してもおかしくはないのだが、それを母に言う勇気はなかった。


 母は影美が欠席するのは当然という態度だった。以前菊乃が漏らしたように、母は影美に何か含むところがあるようだった。


 早目に家へ帰り、夕食も早目に取った。挙式当日に備え、早く就寝する心積もりであった。風呂から上がると、双海の来訪を母が告げた。

 双海は離れに通されていて、父の本棚を眺めていた。


 「意外だな。こんな立派な全集を揃えているなんて」

 「その本棚は父のものだ」

 「ご先代様の。道理で古いと思った」


 母が用意したらしい座布団をよけ、双海は正座して優輝に挨拶した。


 「まずはおめでとうございます。ご無沙汰しておりまして、ご挨拶が遅れまして済みませんでした」

 「『儀式』まで会うつもりがなかったのじゃないのか」

 「影美様目当てだよ。呼ばないって、花嫁に遠慮したのか。美奈がベタ惚れだって言っていた」


 優輝の皮肉をあっさりかわし、反撃された。


 「影美が必要ない、と言ったんだ。青柳家からは当主夫妻が出席する。十分だろう」


 何しに来たんだ、と優輝は双海を睨む。双海は動じず、ご挨拶だよ、とあっさり立ち上がった。離れの入り口で振り返り、


 「時に影美様は禁煙したのかな?」

 「最近会っていないから知らん。お前達も早く結婚しろ」


 双海の表情が初めて曇った。応えず、一礼して去った。優輝は乱暴にベッドに転がった。明日の挙式への緊張感を双海にぶつけてしまった。


 影美の欠席については、優輝も気にしていた。長く一緒に仕事をした双海には、その辺の機微を理解してもらえていると思っていただけに、わざわざ口に出して言われたことが面白くなかった。


 大体、影美の禁煙が何に関係あるのか。そう、何の関係があるのだろう。時間が経つにつれ、疑問が膨れる。


 実家へ戻って以来、影美が煙草を吸う姿を見ていない。吸い始めたのが遅いから、止めるのも簡単だった。

 そう、優輝は吸い始めを知っている。いつからだったか。確か、風邪か何かで寝込んだ後だったような記憶がある。味で体調の変化がわかるから便利だと言っていた。優輝が、口の中がヤニ臭いと彼氏に嫌われる、と指摘すると、そういう人と付き合う予定はない、と返された。


 『影美様は意味のないことはしません』

 「そうか」


 あれは男除けだった。具体的には、双海。もしかしたら、優輝も入っていたかもしれない。


 ますます眠れなくなった。いつもならばまだ仕事をしている時間だ。眠れるはずもない。

 双海が本棚を眺めていたのを思い出した。父の本棚は壁に造り付けで、天井から床まで届き、本でびっしり埋まっていた。ベッドの上に立ち、一番上の棚からめぼしい本を探す。どれも昔教科書で読んだような作家の名前ばかりであった。優輝の興味を惹きそうにない。


 と、本の裏側に、高さの違う本が押し込まれているのに気付いた。優輝も昔、猥褻な本を他の裏側に隠そうとしたことがある。本が少なすぎて隠すだけの幅が取れず、断念したが。


 父も隅におけない、さては昔のその手の本か、と期待して前を塞ぐ小説をそっと取り出し、目当ての本を手に取った。


 期待したような本ではなかったが、興味をそそられた。日記帳のようだった。恐らく父の物だろう。

 優輝はベッドに座り、ページを開いた。何か変わったことがあった時だけ書いていたようで、年も日にちも飛び飛びだった。



 昭和○年○月○日

 演劇部に入ることにした。かずえの好きな人がいるからではない。藤野家の当主として、演技ができることは大事だからだ。片瀬先ぱいは僕とかずえの関係を知らないから、かずえについて僕に話しはしないけれど、同級生にかずえとのことをからかわれるところを見てしまった。先ぱいは大人だ。かずえをいい加減に扱ったりしない。


 昭和○年○月○日

 和影は高校の同級生が好きになったらしい。僕が同じ年に生まれていれば、共学の高校を選んで、一緒に通えたのに。


 昭和○年○月○日

 佐治が和影を連れ回している。悪い評判を聞くので心配だが、守護人の私生活にどこまで口を出すべきか悩ましい。藤野家と青柳家のこんな関係はもう終われば良いと思う。


 昭和○年○月○日

 和影を愛している。僕が藤野家の当主なのだから、僕が青柳家を解放すればいいのだ。それにしても、和影も僕を男として見てくれないものだろうか。


 昭和○年○月○日

 和影、愛している。とても嬉しい。


 昭和○年○月○日

 影久殿があんな事をしたのは、僕の責任だ。和影の何もかもがいとおしい。そして、すまなく思う。そのことを気にかけずに済むほどに、幸せにしたい。


 昭和○年○月○日

 何故向坂家が『儀式』に参加するのか。影久殿を引退させてはならない。それは死を意味する。和影にそんなことをさせてはならない。当主として介入する。ここを突破口とすれば、他の事についても解決できるかもしれない。



 記録は優輝が生まれるずっと前に途切れていた。内容からして間違いなく父の日記である。今では戸籍上の表記でしかない母の真の名、守護人としての名前が何度も書き込まれていた。


 優輝はベッドの上に座り直していた。最後の方を注意深く何度も読み返した。突然、文の意味が降りてきた。


 血の気が引いていくのがわかった。時計を見た。田舎の感覚では深夜だが、そう遅い時間ではない。優輝は着替え、日記を片手に離れから直接外へ忍び出た。母に気付かれてはならない。


 星空が広がっていた。優輝は街灯ひとつない道を歩き始めた。星明かりがあって、田圃に落ちる気遣いはない。舗装された一本道である。藤野家の奥には、青柳家しかない。


 青柳家の門を通り抜け、迷わず庭へ回った。母屋から漏れる明かりを避け、奥にある道場へ向かう。

 道場の脇に、影美の部屋があることは知っていた。元は先代、正しくは先々代の守護人である影久の部屋だった。


 近付くまでもなく、道場から細く漏れる光で、中に人がいることが知れた。影美に違いない。優輝は、静かに庭に面した道場の扉を開けた。眩しい光に、優輝は目を細めた。


 袴をつけた影美が、目隠しをして剣を振っていた。扉の開いた気配に向き直り、正面に構えた剣がぴたりと優輝を指した。


 「影美」


 剣先は微動だにしなかった。優輝は靴を脱いで道場に入り、扉を閉めた。


 「稽古中です」

 「今でないとダメだ」


 影美に迷いが生じたことに、優輝は気付いた。走り寄り、払われないよう、まず剣を握る手を押さえる。


 「ぐっ」


 目測を誤り、刃を握り込んでしまう。指に鋭い痛みが走った。模擬刀かと思ったのは、真剣だった。影美が息を呑んで固まる。下手に動くと、指を切り落としてしまう。


 「まずは、刀から手を離してください」


 影美の声が緊張を孕む。それだけ危ない、と知れた。優輝は大人しく指を開いた。そろそろと、刀から距離を置く。

 

 優輝の引いた気配を察し、影美が動いた。片手でもどかしく目隠しをずり下げると、懐紙を取り出し、刀身を拭って鞘へ収める。その後優輝の元へ来た。手首を掴み顔の前まで引き上げる。


 「ああ切れている。式前になんてことを」

 「右手だから」

 「そういう問題ではありません」


 右手の指に一直線、ぱっくり開いた傷から血が滴る。


 「拭く物」


 影美が呟いて視線を彷徨わせた。優輝はその両肩を掴んだ。影美の手が手首から外れる。ごとりと物の落ちる音がし、影美の眉が顰められた。


 「影美。言っておきたいことがある」

 「優輝さま?」

 「お前は、俺のものだから、勝手に死ぬな」


 「はい」


 一拍の間をおいて、影美が返事をした。


 「もとよりそのつもりですが、それより」

 「いや、そうじゃなくて。引退しろって俺が言っても死ねって意味じゃないってこと」


 影美から表情が消えた。


 元々感情を読み取り難い顔だったが、これほど無になったところは初めて見た。


 しかし、すぐに復した。


 「そのお話は、私の足の上に落ちた本と関係があるのでしょうか。先ほどから、結構な痛みが続いています」


 足元を見る。影美の甲に、父の日記が落ちていた。慌てて拾うと、素足の甲が赤黒い。角でもぶつけたかと本を見る間に、影美が救急箱を持ってきて、切れた優輝の指の手当をした。歩行に支障はないようだ。


 そこで優輝は本来の目的を思い出した。潮が引くように感情が落ち込んで行く。道場の灯の元でも、日記は黒々とした塊に見えた。

 影美に父の日記を見つけて読んだことを話した。開いて見せようとするのを、影美が止める。


 「ここは声が響くので、私の部屋へ行きましょう。母屋からは離れていますから、誰か来ればわかります」


 そこで、道場を出た。

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