第一章 エピローグ
次話投稿です。
よろしくお願いします。
そこは広々とした湿原であった。
青々と茂った草花が腰の高さまで伸びて、時折湿った風がそれらを揺らす。
無数の虫達が点在する水場を中心に複雑な生態系を作り出し、小型の獣達が水や食料を求め顔を覗かせている。
そんな湿原の中で俺こと宮地 司は
「うおぉあああああああ!」
自分よりも一回りは大きな牛の化け物に追い掛けられていた。
鼻が大きく円らな瞳の特徴的な顔付きと、発達した二本の角を振りかざす四足の獣の事を牛と呼ぶのであれば、あれは間違い無く牛なのであろう。
全身が蛇の様な鱗に覆われ、その口には鋭利な歯が並んでいなければ……ではあるが。
足場の悪い個所を避けながら走っているのであまりスピードは出ないが、逃げる途中であらかじめ設置しておいた罠を経由しながら風上に逃げて行く。
罠と言っても、牛の化け物の足に丁度掛かる高さに丈夫な草を結うという嫌がらせ程度の物だ。
当然その程度では転ばせる事は出来ないが、複数同じ罠を設置してそれにはめる事で速度を緩めさせる事には成功していた。
(さて、そろそろ良いかな)
下準備はこれくらいで十分だろうと当たりを付け、後ろから迫る化け物を走りながらも観察する。
普段なら簡単に跳ね飛ばし甚振るか捕食している筈の小さな生き物に、中々追い付けないうえ足に絡み付くうっとおしい感覚にすっかり興奮し切っている様だ。
「さあ! こっちだノロマ野郎!」
自分を鼓舞する意味でも大きな声を上げて挑発し、目的地へと到達する直前に懐から小さな革袋を取り出して投げつける。
走りながらではあったが、相手の体が大きいのと真っすぐこちらに突っ込んで来ているので、運よく顔付近に命中し中身をまき散らす。
中身はただの白い粉だが相手の目を暗ます事に成功し、それと同時に俺は素早く横に飛ぶ事で突進を躱した。
勢い余って草が生えていない開けた場所に飛び出した牛の化け物は、丁度その先にあった泥沼にはまり脚を深く沈みこませる。
本来この辺りを生息域にしている生き物にとって、決して抜け出せない深さでは無い。
しかし、この泥沼には前もって捕獲用の丈夫な網を下に敷き詰めており、暴れる程に絡まって上手く抜け出せない様に細工をしていた。
網に掛かり思う様に抜け出せない相手に向かって、投擲用の紐を使って手ごろな石を投げつけ更に暴れて抜け出せなくしている所で、不細工なロバに乗った中性的な容姿のチビッ子が顔を出す。
ちなみに今日は可愛らしいフリルの沢山付いたスカートスタイルをしている。
「おお、なかなか上手くやったではないか」
「何とかな。結構ギリギリな事が何度かあったし、用意した道具も殆ど無くなったよ」
今回この牛の化け物を狩る為に様々な物を準備して挑んだが、用心して多めに作っておいた罠や道具を目の前の一匹に全て使ってしまった。
「いやいや、以前の事を思えば格段の進歩ではないか」
「よっと! 確かにそうかもな」
「……ブヒィン」
おいこの駄ロバ、何で俺が上手くやって残念そうなんだよ。
適当に石を飛ばしつつニドと喋っていると、牛の化け物の動きが段々と鈍ってふらつき出した。
どうやら出会い頭にぶつけたのと、逃げている途中にも撒いていた特製の薬がようやく効いて来たみたいだ。
「お主が薬草学について教えてくれと頼んで来た時は、一体何をするのかと思っていたがな」
「俺もまさか実物を見ながら方が勉強になる! なんて言われて大森林に連れて行かれた時は死ぬかと思った」
「良い経験になったであろう?」
「いつ襲ってくるか分からない野生動物に怯えながらと、自分の体を実験に使う方法じゃ無かったらもっと良かったけど」
以前立ち寄った街での演奏会の後、俺は老執事さんに紐を使った投擲術を、ニドに薬用植物の知識の指導をそれぞれお願いした。
二人はそれを快く了解し教えてくれたのだが、老執事さんの指導も厳しかったが問題はニドの方だ。
その方法と言うのが先程も言った通り、突然に大陸中央に広がる大森林に連れて行かれ、一週間を過ごすというものだった。
危険な生き物が沢山居る上に、食べてみろと言われて渡された花を口にしたら、半日体が痺れて動かない何て事が頻繁に起こる、まさに地獄体験である。
当初は一ヵ月程度の滞在予定だったそうだが、流石に体がもたないという俺の懇願でその日数になった。
「しかし……あそこに入ったのはお主に魔力酔いの症状を体験させる目的もあったのだが、まさか毛ほどの魔管すら持っていないとは」
大森林に到着し、しばらく過ごしても体調に変化が訪れない事を不思議に思ったニドが、何やら俺に魔術を使って調べだした。
その結果、元々この世界の住人では無い俺はどうやら体に魔力を巡らす為の器官、通称「魔管」が備わっていないらしく、そのせいでこの世界では小さな子どもすら使う事の出来る魔術が使えないとの事だ。
その代わりに、体内の魔管が狂わされて起こるとされている「魔力濃度障害」になる事が無いのだとか。
「魔力濃度障害」通称「魔力酔い」と呼ばれるこの症状は、魔力濃度の極端に濃薄がある場所に行くと起こる一種の中毒症状で、これが起こる代表的な場所が大陸中央に広がる大森林なのだそうだ。
元の世界に無い魔術に憧れて、この世界に来て以来ずっと練習していたのだが、自分ではどう足掻いても使えないという事が判明し静かに涙した覚えがある。
だが魔力酔いが無い分、ニドの教えてくれる薬草学の勉強や貴重な薬用植物を採取が出来たので、そればかりはこの体に感謝したい。
「まあ魔力酔いが無いだけで、俺にとってあそこが危険な事には変わり無いんだけどな」
何度も大森林に住む野生動物に襲われそうになっては、命からがら逃げるというのを経験して無駄に気配に敏感になった。
それも今となっては良い経験……という事にしておこう、俺の精神衛生の為に。
そんな事を考えながら、既に単純作業と化した牛の化け物への投石を繰り返していると、遂にその大きな体を泥沼の中に横たえる。
これで相手が人だったら、最初にぶつけた一つ目でとっくの昔に動けなくなる大森林性の強力な薬だったのだが、用意していた三つを全て使い切ってしまった。
強力な薬ではあるのだが、致死性の物ではないので止めを刺す為に自分も沼に入り、横たわる牛の化け物に近付いて行く。
首の付け根辺りまで来て改めて全体を眺めて見ると、本当に大きな体と角をしている。
こんな物に跳ねられたり刺されれば即死だろうなと身震いしながら、腰に差したナイフを抜き放つ。
この度のナイフはしっかり目利きをしてもらいながら選んだので、以前の故デュランダルの様には成らないはずだ。
足下の悪さと牛の化け物の威容に、止めを手間取っているとニドから声が飛んで来た。
「ツカサよ、早く止めを刺せ。あまり瀕死の獣の側に居ると危ないぞ」
「そんな事言ったって……」
そんな会話で気がそれた一瞬の間に、首だけを起こして角を振り回した牛の化け物に、手に持ったナイフを吹き飛ばされる。
「ほれ、言わんこっちゃない」
そう言いつつ溜め息をつくニドに対して、俺は何か返事をする余裕は無かった。
慌てて角の範囲外に逃れようとしたのだが、沼に足を取られて素早く離脱出来ない。
先程の不意打ちでナイフを吹き飛ばされてしまい、防ぐ事も出来ない俺に再び勢いを付けた角が迫って来た。
(ああ、今回は上手く行ったと思ったんだけど。俺は串刺しで死ぬのか)
そんな事を思いつつ、老執事さんとの訓練で叩き込まれた「最後まで目を反らさない」を律儀に守っている自分に呆れてしまう。
異世界人の串刺しがあと少しで完成という所で、丁度ニドの横辺りから飛んで来た縄が、牛の化け物首に巻き付き動きを止める。
次の瞬間その巻き付いた縄によって強く引っ張られた牛の化け物は、首を反らすどころかその巨体を空中に浮かせ派手に泥を散らしながら、ぷにるに乗ったニドを越えた少し先の地面に叩き付けられた。
「油断と咄嗟の判断が今後の課題だな。まあ……最後まで目を反らしたり瞑らなかったのは褒めてやろう」
どこか嬉しそうにそう言うニドの隣に目をやると、いつもの様に優し気な微笑みを浮かべる中年メイドさんが、手に縄とナイフを持っている。
どうやら今回はこの人に助けてもらったみたいだ。
あの巨体が宙を浮く衝撃映像にしばらく放心していたが、すぐに気を取り直して沼を抜け出すと、ニドや中年メイドさんの元へ寄って行った。
あの牛の化け物がどうなったのかと見てみれば、首元から大量に血を流して息絶えている。
「ツカサ様、丁度よい所に落ちていましたのでお借りしました。ありがとうございます」
そう言うと、中年メイドさんが全く使用後とは思えない綺麗なナイフを手渡してきた。
それにしても見事な物だ、俺は走り回ったり沼に入ったりしたので泥だらけだが、あれだけ派手な立ち回りをしたのに中年メイドさんや、側にいたニドの服には一切汚れが付いていない。
あの大きな牛の化け物に対してもこの細腕でどうやってとか、いつ斬り付けたのか等と思いはしたが、この人達の事を深く思い悩むのは止めておこうと気持ちを切り替える。
結局今回もニドの従者さんに助けてもらったな、とぼんやり考えているとニドに声を掛けられた。
「これツカサ、何をぼんやりと考え事をしている。早くこの獲物の処理について申せ」
「え、俺が?」
「当たり前だろう、此度の狩りはお主の成果なのだからな」
「しかし今回も止めを刺したのは俺じゃないしな……」
今回俺は、あの牛の化け物に対して油断をして、止めを刺し損ねたどころか殺されかけた。
そんな俺が声高らかに獲物の処理について意見するのは、何ていうか格好悪い。
「大体止めを刺したのはメイドさんだろ、だったらそれはメイドさんの物だ」
「だそうだが?」
ニドが中年メイドさんに問い掛けると、相変わらずの微笑みのままで諭す様に言って来る。
「私は本当に最後に止めを刺しただけ、この度の獲物は紛れも無くツカサ様の手柄であると考えます」
「ふむ……」
そう言ってもらえるのは正直嬉しいが、良いのだろうか。
「それに、そろそろツカサ様には捕えた獲物の処理について学んでもらわねばなりません」
そういう事かと妙に納得した俺は、中年メイドさんの指導の下で牛の化け物を教材に、獲物の処理についての勉強をする事になった。
結局、狩りよりも倍以上の時間を掛かけて全ての処理が終わり、中年メイドさんの手によって各部位がぷにるに収納された頃には辺りが赤く染まり始めていた。
「終わったか、余りに悠長にしているので今日はここで野宿になるかと思ったぞ」
「ごめんなさいね、手際が悪くて」
「ふむ、次からはもっと手早くやる様に」
「へいへい、分かりましたよ」
むしろ初めてであんな大きさの獲物を解体出来た事を誉めて欲しい。
中年メイドさんの優しい指導が無ければ、諦めていたレベルだ。
そんな愚痴を心の中で溢していると、ニドが帰り支度を急かしてきた。
「ほれ早くしろ、このくらいなら完全に日が沈む前に街に帰り着ける」
いつもの様にニドに急かされて支度を済ませると、現在拠点にしている街への帰路に着く。
その途中で、相変わらず不細工な顔のロバに乗って進むニドに何となく聞いてみた。
「なあ、俺ってやっぱりまだ弱いかな」
「強いか弱いかと問われれば、間違い無く弱いな」
「そりゃそうだ」
そんな分かり切っている事を何で今更聞いたのだろうと、自分でも不思議に思う。
何故か今のこの光景が以前のニドの言葉を思い出させ、そんな事を聞いてしまった。
色々な事を知れば知るほど、今までの自分が小さく感じる。
「だが、前のお主からすれば随分と成長している」
「……それは本当か?」
「お主にお世辞を言ってどうするのだ」
その言葉に少しだけ救われた気持ちになった。
だとしたら多分俺は、ちゃんと前に進めているのだろう。
そんな気持ちを胸に秘めながら、ニド達と共に道を歩いて行く。
きっとこの道を進んで行けば、いつかは辿り着けるはずだ。
それまではこの世界を歩いて行こう、この終わらない旅路を。
「ところでツカサよ、以前はうやむやになった演奏会の時の話しだが」
「言っておくけど居眠りは本当にしてないぞ」
「そうは言っておらんだろう。もしかしたら、お主にも何か特別な能力が有るかもしれんぞ」
「え? まじで!? どんな能力?」
「それは確かめなければいかんが、思った通りならば私が欲しいくらいの素晴らしい能力だ」
随分と勿体つけるが、こいつが羨ましいと言うくらいだから相当なのだろう。
一体どんなチート能力を持っているのだろうか。
否が応でも期待が高まる。
「ずばり……共感能力だ! どうだ凄いだろう!」
「共感能力?」
何だろうか一瞬「強化能力」と聞き間違えたが、言葉の感じからして感覚増幅系だろうか。
「それはどんな事が出来るんだ?」
「聞いて驚くなよ。吟遊詩人の歌う歌に込められた想いや意味を、余す事無く受け取れるというそれはもう素晴らしい能力なのだ!」
それは確かに歌が大好きなニドにとっては素晴らしい能力だろうが、俺にとっては全然必要だと感じないものだ。
それならまだショボくても、魔術を使えた方がましだった。
「何だろう、正直要らない」
「お主正気か!? そんな素晴らしい能力を要らないだと!」
「俺が欲しかったのは、こうお手軽に凄い強くなれる力なんだよ」
その言葉を聞いたニドは、先程の興奮した様子を一変させて冷たく言い放つ。
「戯け者が。そんな与えられた力で強くなった気でいれば、必ず足元を掬われるぞ」
「うっ……」
「力を制御するというのは言う程簡単な事では無い。結局は己で努力して身に着ける事で、始めて十全に力というのは発揮できるのだ」
その後もしばらくは迂闊な一言に対する駄目出しが行われ、ついでとばかりに俺が持っているかもしれない能力の素晴らしさについての説明を聞かされた。
決意を新たにしたがその直後に、少し元の世界に帰りたくなった。
今日は色々あって疲れてしまったし明日も早い、宿屋に着いたらさっさと寝てしまおう。
未だに隣で説明を続けているニドの話を聞き流しながら、俺はそんな事を思っていた。
お読みいただきありがとうございます。
ようやく第一章のエピローグに辿り着きました。
まだまだ、まだまだ彼らのお話は続く予定です。
もしよろしければ、評価やここまでの感想を頂けましたらとても嬉しいです。




