第六話「サキュバスを学校に連れてきたら即バレしかけました」
「……で?」
制服を持ったまま、あたしはメイベルを見下ろした。
場所は自室。
昨日、澄鈴に「服をどうにかしろ」と言われた流れで、クローゼットを漁っている最中である。
「これ、着れる?」
「えっ」
手に持っているのは、予備の制服。
正確には去年のやつ。ちょっとサイズが合わなくなってきて、予備枠に落ちたものだ。
メイベルはそれを見て、目をぱちぱちさせた。
「わ、わたしが……?」
「他に誰がいるの」
「で、でも……こんなちゃんとした服……」
「ちゃんとした服着ないと、外出せない」
「外……!?」
びくっとした。
ああ、そうか。
この子、まだ“外に出る”って発想があんまりないのか。
「ずっと家にいるわけにもいかないでしょ」
「そ、それは……」
「あと、学校」
「が、学校!?!?」
今度はガチで飛び上がった。
留守番させるのも不安だった。ひとりで置いていけば、何をしでかすかわからないという意味じゃない。ただ、この子は多分、“ひとりで待つ”だけで勝手に悪い方へ考え込む。
だったら、目の届くところに置いておいた方がまだいい。多少無茶でも、その方があたしは安心できた。
それに、澄鈴もいる。完全に安全とは言えなくても、少なくとも家に閉じ込めたままよりは“普通”の練習になる気がした。
「む、むりですぅぅぅ……!」
「声でかい」
「だ、だって……人がたくさんいるところなんて……!」
「昨日の段階でそれはわかってる」
「ぜ、絶対泣きます……!」
「それもわかってる」
問題はそこじゃない。
「泣くのはまあいいとして」
「いいんですか!?」
「よくないけど、どうせ止まらないでしょ」
「うぅ……」
「問題は“サキュバス”って言わないこと」
「っ」
メイベルがぴしっと固まった。
「それ言った瞬間、全部終わるから」
「お、終わる……」
「主にあたしの生活が」
「す、すみません……!」
「謝らない」
「は、はい……!」
よし、条件反射が少し改善されてきている。
あたしは制服をベッドの上に広げた。
「とりあえず着替えてみて」
「き、着替え……」
「うん」
「こ、ここで……?」
「……あ」
しまった。
メイベルの顔がみるみる赤くなる。
耳まで真っ赤だ。わかりやすい。
「……ごめん、普通に考えればそうだよね」
「は、はい……!」
「洗面所使って」
「わ、わかりました……!」
メイベルは制服を抱えて、ぱたぱたと部屋を出ていった。
途中でドアに軽くぶつかっていた。うん、知ってた。
あたしはその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
――学校。
軽く言ったけど、かなり無茶だと思う。
この子の性格的に、初日で精神的に崩壊してもおかしくない。
でも。
「……ここに閉じ込めておくのも違うしな」
ぽつりと呟く。
メイベルは“何もできない”と思い込んでいる。
だからこそ、何もさせない環境に置いたら、そのまま固定される。
それは、多分よくない。
あたし自身が、それで苦しかったから。
「……やるしかないか」
◇ ◇ ◇
「ど、どうでしょうか……」
数分後。
洗面所から戻ってきたメイベルは、おそるおそるそう言った。
あたしは一瞬、言葉を失った。
「……」
普通に、かわいい。
いや、元々かわいいのは知ってた。
でも、あの露出過多な格好だと“目立つかわいさ”だったのが、制服になると一気に“普通にいると振り向かれるタイプの美少女”に変わる。
ずるい。
「……依夜さん?」
「うん、似合ってる」
「ほ、ほんとですか……?」
「ほんと」
「よ、よかったです……」
ほっとした顔をする。
そのまま鏡を見て、少しだけ不思議そうに首をかしげた。
「なんだか……別の人みたいです」
「それでいい」
「え?」
「今日からは“普通の女の子”って設定でいくから」
「ふ、普通……」
メイベルはその言葉を、少しだけ大事そうに繰り返した。
「……できるかな」
「できなくてもやる」
「き、厳しいです……」
「現実はだいたいそう」
あたしがそう言うと、メイベルは少しだけ考えてから、小さく頷いた。
「……がんばります」
「うん」
今度の“がんばります”は、少しだけちゃんとしていた。
◇ ◇ ◇
「依夜、準備できた?」
リビングに降りると、澄鈴がすでに待っていた。
なぜいる。
――そういえば昨夜、「明日の朝、ちゃんと見に来るから」と勝手に宣言していた気がする。実行力があるの、こういう時だけやたら怖い。
「見届ける」
「監査か」
「見守り」
言い方変えただけじゃん。
メイベルがあたしの後ろから顔を出した。
「お、おはようございます……」
「……」
澄鈴が止まる。
数秒、じっと見て。
「……似合ってる」
「えっ」
「制服」
「あ、ありがとうございます……!」
ぱっと顔が明るくなる。
よかった、第一関門クリア。
「ただし」
「はい」
「歩き方がぎこちない」
「すみません……」
「謝らない」
「は、はい!」
矯正入った。
「あと、視線を下げすぎ」
「え」
「常に下見てると怪しい」
「そ、そうなんですね……」
「普通はもう少し前を見る」
「前……」
メイベルが恐る恐る顔を上げる。
そのまま澄鈴と目が合って、またびくっとした。
「こ、こわくないですか……?」
「何が?」
「目が合うの……」
「慣れ」
「が、がんばります……」
よし、ちょっとずつ人間になってきてる。
澄鈴が腕を組んだ。
「とりあえず、今日一日様子を見る」
「一日で済む?」
「無理そうなら延長」
「長期監査じゃん」
「見守り」
絶対譲らないなこの人。
◇ ◇ ◇
通学路。
朝の空気はいつも通りで、いつも通りの人の流れがあって、いつも通りの会話があって。
――そこに、メイベルがいる。
「……」
隣を歩きながら、ちらっと見る。
めちゃくちゃ緊張してる。
歩き方がロボットみたいだし、手の位置も変だし、視線はさっきよりマシだけどまだ不自然だし。
でも。
「……まあ、最初はこんなもんか」
あたしも最初はこんな感じだった気がする。
“普通”って、案外難しい。
「依夜さん……」
「なに」
「人、多いです……」
「朝だからね」
「みんな、こっち見てる気がします……」
「気のせい半分、事実半分」
「ど、どっちも怖いです……」
メイベルが小さく震える。
……正直、少しは見られてる。
単純に顔がいいから。
でも、それを今言うとパンクするな。
「大丈夫」
「ほんとですか……?」
「みんなそんなに他人に興味ないから」
「……そうなんですか?」
「うん。自分のことで精一杯」
それは、わりと本音だ。
メイベルは少しだけ考えてから、小さく頷いた。
「……じゃあ、わたしも……」
「うん」
「自分のことで、精一杯になります……!」
「それはそれで極端」
でも、少しだけ肩の力は抜けたみたいだった。
◇ ◇ ◇
そして。
校門前。
「……」
メイベルが止まった。
人の流れが一気に校内へ吸い込まれていく。視線も声も近くなる。その境目を前にして、メイベルの足がぴたりと止まった。
「どうした」
「ここが……学校……」
「そうだけど」
「か、帰りたいです……」
「早い」
門くぐる前にリタイア宣言はさすがに想定外。
「無理です……無理です……」
「まだ何も起きてない」
「これから起きます……!」
「未来予知やめて」
メイベルは本気で涙目になっていた。
ここで引き返すか?
一瞬だけ考える。
でも、それをやったら多分、この子はもう外に出られなくなる。
「……メイベル」
「は、はい……」
「一歩だけ入る」
「え」
「それで無理なら帰る」
「……ほんとですか?」
「ほんと」
嘘は言ってない。
一歩入るのも無理なら、それ以上は無理だ。
メイベルは少しだけ迷ってから、小さく息を吸った。
「……いきます」
「うん」
そして。
一歩。
校門の中に入った。
「……」
「……」
数秒。
「……だ、大丈夫かも……?」
意外そうな顔で、メイベルが言った。
「ほらね」
「で、でも……」
「でも?」
「次、二歩目です……」
「段階踏みすぎ」
でも、その慎重さは嫌いじゃない。
その時。
「依夜ー!」
聞き慣れた声。
「げ」
反射で出た。
クラスメイト数名が、こちらに向かって手を振っている。
「おはよー! って……え?」
視線が、メイベルに集まる。
止まる。
「……誰?」
来た。
最大の関門。
メイベルの肩がびくっと震える。
口が開く。
「わ、わたしは――」
――言うな。
心の中で叫ぶ。
「ともだち!」
私がかぶせた。
一瞬の沈黙。
「え、めっちゃかわいくない?」
「転校生?」
「紹介してよー!」
……乗り切った?
いや、まだだ。
メイベルを見る。
メイベルは、ものすごく頑張っていた。
震えながらも、口を開く。
「め、メイベルです……よろしくお願いします……」
ちゃんと、“普通の挨拶”をした。
……これは。
「よし」
思わず小さく呟いた。
第一関門、突破。
だけど――
「ねえ依夜、この子どこから来たの?」
その一言で。
次の地雷が、静かに顔を出した。




