第五十三話「三人の距離」
最近。
ミラベルが、よく一緒にいる。
いや。
正確には。
「……なんでいるの」
「あら」
放課後。
あたしとメイベルが校門を出たところで。
当然のようにミラベルが隣へ並んできた。
「同じ学校なんだから、帰る方向が同じことくらいあるでしょう?」
「三日連続だけど」
「偶然ね」
「昨日コンビニまでついてきたよね」
「偶然ね」
「一昨日うちの前まで来たよね」
「偶然」
「絶対違うでしょ」
隣でメイベルが困ったように笑っている。
ただ。
その笑い方も、前とは少し違う。
以前なら。
ミラベルが近くにいるだけで肩を固くして。
姉が何を言うか。
何を求めてくるか。
そればかり気にしていた。
でも。
今はちゃんと。
面倒くさい姉を見て困っている妹の顔だ。
「……姉さま」
「なあに?」
「もしかして」
一瞬迷って。
それでも聞く。
「わたしと一緒に帰りたいんですか?」
「違うわ」
即答。
「……」
メイベルがしょんぼりする。
「おい」
「何よ」
「そこは素直になりなよ」
「別に」
ミラベルは髪を払う。
「妹がちゃんと生活できているか、観察しているだけ」
「それ一緒に帰りたいって言うんじゃない?」
「言わない」
「言うよ」
「言わないわ」
面倒くさい姉だな。
「……でも」
メイベルが小さく言う。
「わたしは」
「……」
「姉さまと一緒に帰れるの、嬉しいです」
ミラベルの足が。
一瞬だけ止まった。
本当に一瞬。
でも。
あたしには見えた。
「……そう」
「はい」
「なら」
すぐに歩き出す。
「付き合ってあげてもいいわ」
「はい……!」
「顔」
「え?」
「にやけてる」
「す、すみません……!」
「謝る必要ないでしょ」
「……あ」
メイベルが口を閉じる。
その横で。
ミラベルがほんの少しだけ笑った。
ほんと。
姉妹そろって面倒くさい。
でも。
そんな二人を見ながら。
あたしも少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
途中。
コンビニに寄った。
「アイス食べたい」
あたしが言う。
「この気温で?」
ミラベルが呆れた顔をする。
「アイスは一年中食べるもの」
「依夜さん」
「なに」
「わたしも食べたいです」
「ほら」
「何が、ほら、なのよ」
三人で店に入る。
あたしはチョコ。
メイベルは苺。
ミラベルは。
「……それ選ぶんだ」
「何よ」
「バニラ」
「悪い?」
「もっとこう、ラムレーズンとか選びそう」
「どういう偏見?」
「なんか大人ぶったやつ」
「東さん、私を何だと思ってるの」
「面倒くさい姉」
「喧嘩売ってる?」
「姉さま、昔からバニラが好きなんです」
「メイベル」
「はい?」
「余計なこと言わない」
「……すみません」
メイベルの肩が。
反射みたいに縮こまる。
その瞬間。
ミラベルの顔が少しだけ曇った。
「あ」
自分でも気づいたらしい。
「……違う」
「え?」
「今のは」
一度、言葉を選ぶ。
「怒ってないわ」
「……」
「恥ずかしかっただけ」
メイベルが目を丸くする。
「姉さまが?」
「何よ」
「恥ずかしがるんですね」
「あなた、最近ちょっと遠慮なくなったわね」
「……!」
メイベルが慌てる。
「す、すみ――」
途中で。
止まった。
「……」
「……」
あたしもミラベルも見る。
メイベルは口を閉じて。
少し考える。
多分。
いつもの癖で謝ろうとした。
姉の機嫌を損ねたかもしれないから。
自分の発言で空気を悪くしたかもしれないから。
でも。
今は。
その先を考えている。
「……今のは」
一度。
息を吸う。
「謝りません」
言った。
ミラベルが目を細める。
「へえ」
「だって」
「……」
「悪いこと、してません」
声は。
少しだけ震えている。
それでも。
ちゃんと姉を見る。
「姉さまがバニラ好きなのは、本当です」
「ええ」
「それを言っただけです」
「そうね」
「だから」
「……」
「謝りません」
ミラベルは数秒黙っていた。
あたしも。
口は挟まない。
ここは。
二人の話だ。
やがて。
ミラベルがふっと笑った。
「生意気」
「……!」
メイベルの肩が揺れる。
「でも」
ミラベルはバニラアイスを一口食べる。
「それでいいわ」
メイベルの顔が。
ゆっくり明るくなる。
「……はい」
「あと」
「はい」
「私はバニラが好きだから選んでるだけよ」
「……?」
「大人っぽくないとか言った誰かに伝えておいて」
「こっち見て言いなよ」
ミラベルが無視して歩き出す。
「姉さま」
「何?」
「わたしも、バニラ好きです」
「……そう」
「今度、一緒に食べたいです」
「気が向いたらね」
そう答えるミラベルの歩幅が。
ほんの少しだけ。
メイベルに合わせて遅くなった。
◇ ◇ ◇
コンビニを出て。
三人で公園のベンチに座った。
なんとなく。
誰もすぐには立たなかった。
あたしが真ん中。
右にメイベル。
左にミラベル。
この並びも。
ちょっと前なら考えられなかった。
「……変ね」
ミラベルが言う。
「何が」
「私たちが」
あたし。
メイベル。
自分。
順番に見る。
「こうして三人でいること」
「そう?」
「少し前まで」
ミラベルがアイスの棒を見る。
「私はあなたを嫌ってたもの」
「あたし?」
「ええ」
「初耳なんだけど」
「言ってなかったから」
「普通に絡んできてたじゃん」
「あれは観察」
「嫌いな相手に距離近すぎでしょ」
「私、嫌いな相手ほど近くで見るタイプなの」
「怖」
「冗談よ」
「どこから?」
「さあ?」
この人。
本当に。
「……どうして」
メイベルが聞く。
「依夜さんが嫌いだったんですか?」
「あなたを取られたから」
「えっ」
即答。
メイベルが固まった。
あたしも固まった。
「……それ」
「何?」
「めちゃくちゃ姉じゃん」
「姉だけど」
「いや、そうじゃなくて」
ミラベルは小さく息を吐く。
「私が何を言っても」
「……」
「メイベルは変わらなかった」
メイベルが黙る。
「強くなりなさいって言って」
「……」
「自分で決めなさいって言って」
「……」
「いつまで泣いてるのって言って」
ミラベルは自嘲するみたいに笑う。
「でも」
「……」
「何も届かなかった」
それは。
多分。
ミラベルにとって。
かなり苦しかったんだと思う。
「なのに」
今度はあたしを見る。
「あなたのところに来たら」
「……」
「泣いて」
「……」
「逃げて」
「……」
「失敗して」
「……」
「面倒をかけて」
「そこまで言う?」
「事実でしょう?」
「まあ」
「それでも」
ミラベルの声が。
少しだけ柔らかくなる。
「少しずつ変わった」
笑う。
でも。
その笑いは、少しだけ寂しそうだった。
「腹が立ったわ」
「……」
「姉の私ができなかったことを」
一拍。
「どうしてこの子が、って」
「姉さま……」
「嫉妬よ」
あっさり言った。
「格好悪いでしょう?」
メイベルは首を横に振る。
「いいえ」
「慰めなくていいわ」
「慰めてません」
「……」
「わたし」
メイベルが自分の手を見る。
「姉さまに助けてもらってました」
「……」
「ずっと」
「……」
「わたしが知らないところでも」
一度。
息を吸う。
「たくさん」
ミラベルは何も言わない。
「でも」
メイベルが少し考える。
「姉さまに助けてもらうのと」
あたしを見る。
「依夜さんに助けてもらうのは」
「……」
「違ったんだと思います」
ミラベルは黙って聞く。
「姉さまは」
「……」
「わたしを強くしようとしてくれました」
「……」
「一人でも立てるように」
「……」
「依夜さんは」
今度はあたしを見る。
「最初」
「うん」
「ただ、一緒にいてくれました」
「まあ」
あの頃は。
どうすればいいかなんて。
あたしも知らなかった。
泣かれたら困るし。
消えられたらもっと困るし。
だから。
ただその場にいた。
それだけ。
「どっちが正しいとかじゃなくて」
「……」
「違うから」
一拍。
「両方、必要だったんだと思います」
ミラベルが。
少しだけ目を見開いた。
「姉さまがいたから」
「……」
「わたしは、今まで生きてこられました」
「……」
「依夜さんがいてくれたから」
「……」
「自分で生きてみたいって、少し思えるようになりました」
ミラベルが。
何も言わない。
でも。
その目は。
少しだけ嬉しそうだった。
「……メイベル」
「はい」
「あなた」
「……」
「本当に生意気になったわね」
「えっ!?」
「今、姉を評価したでしょう」
「そ、そんなつもりでは……!」
「成長した証拠」
あたしが言う。
「東さんは黙ってて」
「なんで」
「今いいところなの」
「自分で言う?」
三人で。
少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
「じゃあ」
あたしは空になったアイスの袋を丸める。
「これからどうするの」
「何が?」
「ミラベル」
「……」
「メイベルのこと」
ミラベルが少し考える。
「見てるわ」
「今までと一緒じゃん」
「違う」
即答。
「前は」
「……」
「間違えないように見てた」
「……」
「間違えそうなら」
「……」
「先に止めようとしてた」
それが。
結果的に。
メイベルから選ぶ機会まで奪っていた。
「今は」
ミラベルがメイベルを見る。
「何を選ぶのか」
一拍。
「見ていたい」
メイベルの顔が。
ゆっくり笑顔になる。
「……はい」
「ただし」
「え」
「馬鹿なことをしたら止めるわよ」
「……はい」
「泣いてても言う時は言う」
「はい」
「東さんにべったりになったら引き剥がす」
「なんで最後だけ物理なの」
「必要でしょう?」
「必要じゃない」
「必要よ」
「いらないって」
「……あの」
メイベルが手を挙げる。
「何?」
「それも」
一度、息を吸う。
「わたしが決めます」
「……」
「……」
あたしとミラベル。
二人で黙る。
「依夜さんに」
「……」
「べったりしたい時は」
「……」
「します」
顔を真っ赤にしながら言った。
「メイベル」
「は、はい」
「それ今言う必要あった?」
「だ、だって!」
「ふふ」
ミラベルが笑う。
「いいじゃない」
「よくない」
「東さん、顔赤いわよ」
「うるさい!」
「依夜さん?」
「あんたも見るな!」
「す、すみません!」
「あ」
メイベルが止まる。
そして。
「……これは」
「うん」
「謝ります」
「そこは謝るんだ」
「はい……」
最悪。
でも。
三人とも。
少しだけ笑っていた。
◇ ◇ ◇
公園を出る。
分かれ道。
ミラベルは右。
あたしたちは左。
「じゃあね」
「うん」
「姉さま」
「なに?」
メイベルが。
少しだけ迷ってから。
「また」
「……」
「一緒に帰りたいです」
ミラベルが。
ほんの少しだけ。
嬉しそうな顔をした。
「気が向いたらね」
「はい」
「いや、そこは素直に――」
「東さん」
「何」
「余計なお世話」
「はいはい」
ミラベルが歩き出す。
数歩進んで。
止まった。
「メイベル」
「はい?」
「私も」
一瞬。
間があって。
「……悪くなかったわ」
それだけ言って。
今度こそ歩いていった。
メイベルは。
しばらくその背中を見ていた。
「……依夜さん」
「なに」
「姉さま」
「うん」
「やっぱり素直じゃないです」
「今さら?」
「はい」
メイベルが笑う。
あたしも笑った。
◇ ◇ ◇
帰り道。
メイベルは、あたしの隣を歩いていた。
距離は。
手を伸ばせば触れられるくらい。
でも。
触れてはいない。
「……依夜さん」
「なに」
「わたし」
「うん」
「前は」
歩きながら言う。
「誰か一人を選んだら」
「……」
「他の人はいらないって」
「……」
「そういうことだと思ってました」
「うん」
「一番大事な人がいたら」
「……」
「その人だけいればいいって」
「……」
「でも」
少しだけ笑う。
「違いますね」
「そうだね」
「澄鈴さんも」
「うん」
「朝輝さんも」
「うん」
「由斗さんも」
「うん」
「姉さまも」
「うん」
そして。
「依夜さんも」
「……うん」
「みんな」
胸に手を当てる。
「違う場所にいます」
その言葉。
なんとなく。
すごく大事な気がした。
「誰かがいるから」
「……」
「誰かがいらなくなるんじゃない」
「……」
「それぞれ」
一拍。
「違うところにいてくれる」
あたしは。
少しだけ笑う。
「なら」
「はい」
「その場所」
「……」
「あんたが決めなよ」
メイベルが、あたしを見る。
「誰をどこに置くか」
「……」
「あんたの中なんだから」
メイベルは少し考える。
「……依夜さんは」
「なに」
「近くがいいです」
「……」
「すごく」
「……」
「近く」
顔が熱くなる。
「……そういうの」
「はい?」
「急に言うのやめて」
「だ、だめでしたか?」
「だめじゃないけど」
「……よかったです」
メイベルが笑う。
「じゃあ」
「何」
「依夜さんの中で」
「……」
「わたしは?」
今度はこっちか。
「聞く?」
「……はい」
少しだけ。
期待した目。
でも。
前みたいに。
答え一つで全部が決まるような顔じゃない。
だから。
あたしも素直に答える。
「近いよ」
「……!」
「かなり」
「……はい」
「だから顔に出すぎ」
「す、すみません」
でも。
嬉しそうな顔は。
しばらく消えなかった。
その時。
スマホが鳴った。
「……姉さま?」
メイベルが画面を見る。
「何て?」
「えっと……」
読み上げる。
「『今度の休み、空けておきなさい』」
「何それ」
「その下に……」
メイベルの指が止まった。
「どうしたの」
「……」
さっきまでの笑顔が。
少しだけ固まる。
「メイベル?」
「姉さまから」
「うん」
メイベルが。
ゆっくり画面をこちらに見せる。
そこには。
『リオノーラさんが、あなたに会いたがってる』
と。
書かれていた。
「……誰?」
あたしが聞く。
メイベルは。
ごくりと唾を飲んだ。
「由斗さんの」
一拍。
「お母さまです」
「……」
ああ。
昨日。
ミラベルの話に出てきた。
ミラベルに。
何度も間違いを指摘した先輩サキュバス。
「それと」
メイベルが。
もう一度息を飲む。
「姉さまが」
「……」
「絶対に逆らえない人です」
嫌な予感しかしない。
あたしは小さく息を吐いた。
「……次は母親か」
「依夜さん」
「なに」
「たぶん」
「……」
「姉さまより」
メイベルが真顔で言った。
「ずっと怖いです」
「先に言わないでよ」
「す、すみません……」
「そこは謝っていい」
「はい……」
三人の距離が。
やっと少しだけ。
ちょうどよくなったと思ったのに。
どうやら。
次の人が。
その距離を測りに来るらしい。




