第五十二話「選び続けるということ」
朝。
「依夜ちゃん、今日の晩ご飯どうする?」
「なんでもいい」
「一番困る回答だねえ」
朝輝が冷蔵庫を開けながら言う。
「じゃあ、お兄ちゃんの愛情たっぷりハンバーグにしようか」
「普通のハンバーグにして」
「愛情抜くの?」
「抜いて」
「悲しい!」
朝からうるさい。
テーブルの向かいでは、メイベルがトーストを両手で持ったまま、困ったように笑っていた。
「……朝輝さん」
「なあに、メイベルちゃん」
「愛情は……入れた方がおいしいのでは?」
「ほら! メイベルちゃんはわかってる!」
「真に受けなくていいから」
「でも……」
「入ってても味変わんないでしょ」
「依夜ちゃん冷たい!」
朝輝が胸を押さえる。
あたしは無視して牛乳を飲んだ。
「じゃあメイベルちゃん」
「は、はい」
「今日の晩ご飯、何がいい?」
「えっ」
メイベルが固まる。
朝輝はいつもの調子で笑う。
「好きなの選んでいいよ」
「……」
その言葉で。
メイベルが少し考え込んだ。
以前なら。
たぶん「なんでもいいです」と答えていた。
本当に何でもいいからじゃない。
自分の希望を出したら迷惑かもしれない。
相手が食べたいものを選んだ方がいい。
自分は合わせればいい。
そうやって。
“選ばないこと”を選んでいた。
でも。
「……オムライス」
小さく言う。
「お」
「オムライスが……食べたいです」
「了解!」
朝輝がびしっと敬礼する。
「本日の東家ディナー、オムライスに決定!」
「朝からテンション高い」
「依夜ちゃんはケチャップで何書いてほしい?」
「何も」
「『お兄ちゃん大好き』?」
「皿ごと投げるよ」
「反抗期!」
メイベルが笑う。
普通の朝。
ただそれだけ。
別に。
オムライスを選んだくらいで、何か劇的に変わったわけじゃない。
でも。
あたしは少しだけ思った。
メイベル。
ちゃんと。
自分が食べたいものを選べるようになってる。
◇ ◇ ◇
学校へ向かう途中。
「……依夜さん」
「なに」
「昨日」
「うん」
「姉さまと、お話ししたんですか?」
あたしは一瞬止まる。
「なんで知ってんの」
「姉さまからメッセージが来ました」
「何て?」
「……『東さんは思ったより生意気だった』と」
「あいつ」
余計なことを。
「あと」
「まだあるの?」
「『でも、悪くない』って」
「……」
「依夜さん?」
「何でもない」
なんか腹立つ。
でも。
悪い気はしない。
むしろ、ちょっとだけ。
本当にちょっとだけ。
認められたみたいで嬉しい。
それがさらに腹立つ。
「何話したか聞いた?」
「いいえ」
メイベルは首を横に振る。
「聞かなくていいんです」
「いいの?」
「はい」
少しだけ笑う。
「姉さまが依夜さんに話したことなら」
「……」
「わたしが勝手に聞くものじゃないと思うので」
あたしはメイベルを見る。
前なら。
姉が自分について何を話したのか。
不安で仕方なかったかもしれない。
悪く言われたんじゃないか。
依夜に嫌われるようなことを言われたんじゃないか。
そんなふうに。
全部確認しないと安心できなかった。
でも今は。
「そっか」
「はい」
「じゃあ言わない」
「はい」
それで終わった。
何でも共有しなきゃいけないわけじゃない。
知らないことがあるから。
信じていないわけでもない。
近くにいることと。
相手の全部を知ることは。
多分。
同じじゃない。
◇ ◇ ◇
昼休み。
「今日、放課後どうする?」
あたしが聞くと。
メイベルが弁当の卵焼きを箸でつまんだまま止まった。
「……放課後」
「うん」
「一緒に帰る?」
「……」
メイベルが少し考える。
その間。
あたしは何も言わずに待つ。
「今日は」
「うん」
「澄鈴さんと、図書室に行ってみたいです」
「お」
向かいの澄鈴が顔を上げる。
「私は構わない」
「だって」
「……はい」
メイベルがあたしを見る。
ほんの少しだけ。
不安そう。
「……いいですか?」
「だから」
あたしは卵焼きを口に入れる。
「それ、あたしに許可取ることじゃないって」
「……あ」
「行きたいんでしょ」
「はい」
「なら行ってきな」
「……はい!」
ぱっと笑う。
でも。
その直後。
メイベルが少しだけ表情を曇らせた。
「……でも」
「なに」
「依夜さんは」
「うん」
「一人になります」
「なるね」
「……」
「何その顔」
「少し……悪い気がします」
なるほど。
自分がやりたいことを選んだ。
でも。
そのせいであたしが一人になる。
それを“迷惑”だと思い始めたらしい。
あたしは箸を置く。
「メイベル」
「はい」
「あんたが澄鈴と図書室行ったくらいで」
「……」
「あたしたちの関係終わる?」
「終わりません!」
即答。
しかも声がでかい。
教室にちょっと響いた。
近くの席の何人かがこっちを見る。
メイベルの顔が真っ赤になる。
「……す、すみません」
「いや、そこまで全力で否定しなくても」
「だって……!」
澄鈴が淡々と言う。
「必死」
「澄鈴さん……」
「良い意味で」
「それフォローになってる?」
「なってる」
多分なってない。
あたしはメイベルを見る。
「一緒にいたいって」
「……」
「ずっとくっついてるって意味じゃないでしょ」
「……はい」
「今日、澄鈴と行きたいなら行く」
「……」
「明日あたしと帰りたいなら帰る」
「……」
「一人になりたい日は一人になる」
「……」
「それでいいじゃん」
メイベルが、少しだけ考える。
「……毎日」
「うん」
「違っていいんですね」
「そりゃそうでしょ」
澄鈴が補足する。
「昨日選んだことに、今日も従う必要はない」
「……」
「人間の状態は変わる」
「澄鈴、それ恋愛の話?」
「一般論」
「絶対わかってて言ってるでしょ」
「何のこと?」
こいつ。
たまに本当にわからない。
◇ ◇ ◇
放課後。
メイベルと澄鈴は予定通り図書室へ向かった。
「では、行ってきます」
「うん」
「またあとで」
「またあとで」
メイベルはそれだけ言って。
今度は振り返らずに澄鈴と歩いていった。
あたしは一人。
「さて」
どうしよう。
特に用事もない。
帰るか。
そう思ったところで。
「東さん」
「……」
聞き覚えのある声。
「嫌な予感」
「失礼ね」
ミラベルだった。
「暇?」
「暇じゃない」
「何するの?」
「帰る」
「暇じゃない」
「帰るっていう予定がある」
「屁理屈」
ミラベルが横に並ぶ。
「メイベルは?」
「澄鈴と図書室」
「あら」
少しだけ嬉しそうな顔。
「いいじゃない」
「うん」
「寂しい?」
「……」
「何その間」
「うるさい」
正直。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
寂しい。
毎日一緒にいるのが普通になってたから。
隣を見ればいる。
帰る時もいる。
それが当たり前になっていた。
「ふふ」
「笑うな」
「あなたも大概ね」
「何が」
「メイベルに選ばせたい」
「うん」
「でも、自分を選んでほしい」
「……」
「面倒」
「殴るよ」
「怖い」
全然怖がってない。
でも。
否定できなかった。
メイベルには自由に選んでほしい。
あたし以外の誰かと話して。
あたし以外の誰かを頼って。
あたしの知らない場所でも笑えるようになってほしい。
そう思ってる。
でも。
その上で。
あたしを選んでほしい。
矛盾してるようで。
多分。
そんなに矛盾してない。
「でも」
ミラベルは少しだけ真面目な声になる。
「それでいいんじゃない?」
「……」
「選ばれたいと思うのは自由よ」
「うん」
「ただ」
一拍。
「選ばれなかった日に、相手を責めなければ」
あたしは黙る。
確かに。
メイベルが自分で選ぶなら。
当然。
あたし以外を選ぶ日もある。
澄鈴といたい日。
朝輝に相談したい日。
由斗の意見を聞きたい日。
ミラベルと姉妹で話したい日。
一人で考えたい日だってあるかもしれない。
そういうの全部。
あっていい。
「……なるほどね」
「何?」
「選ばせるって」
「ええ」
「結構大変」
「今さら?」
「今さら」
ミラベルが笑った。
「選ぶ自由を渡すってことは」
「……」
「自分が選ばれない自由も渡すってことよ」
「……ほんと嫌な言い方するね」
「でも正しいでしょう?」
「正しいから嫌なんだよ」
「ふふ」
でも。
覚えておこうと思った。
◇ ◇ ◇
夜。
「ただいま帰りました!」
「おかえり」
メイベルが帰ってきた。
少し疲れてる。
でも。
かなり楽しそうだ。
「図書室どうだった?」
「楽しかったです」
「何読んだの」
「占いの本です」
「そこ?」
「はい」
「意外」
「依夜さんが好きなので」
「……」
不意打ち。
あたしは一瞬黙った。
「依夜さん?」
「……何でもない」
なんだそれ。
ずるい。
あたしと一緒にいない時間に。
あたしの好きなものを知ろうとしてた。
それを聞いただけで。
さっきまでの小さな寂しさが。
急に馬鹿らしくなった。
「おかえり、メイベルちゃん!」
台所から朝輝。
「ちょうど完成したよ!」
テーブルにはオムライス。
しかも。
メイベルの皿にはケチャップで大きなハートが描いてある。
「わあ……!」
「愛情たっぷり!」
「朝輝」
「何、依夜ちゃん」
「あたしのは?」
「はい!」
差し出される。
そこには。
『妹』
でかでかと書いてあった。
「なんで」
「愛を込めた」
「情報じゃん」
「じゃあ書き足すね」
朝輝がケチャップを持つ。
「やめて」
遅かった。
『かわいい妹』
になった。
「増やすな!」
「依夜さん、かわいいです」
「メイベルまで乗らないで!」
「でも、かわいい妹さんです」
「具体化しなくていい!」
メイベルが笑う。
朝輝も笑う。
あたしだけ納得いかない。
でも。
まあ。
悪くない。
◇ ◇ ◇
食事のあと。
メイベルと並んで座る。
「……依夜さん」
「なに」
「今日」
「うん」
「澄鈴さんと図書室に行くって選びました」
「うん」
「すごく楽しかったです」
「よかったじゃん」
「はい」
「また行けば?」
「……はい」
メイベルは嬉しそうに頷く。
「でも」
「……」
「帰ってきたら」
少しだけ。
照れたみたいに笑う。
「依夜さんの隣にいたいって思いました」
「……そっか」
「はい」
メイベルは自分の膝を見る。
「前は」
「……」
「一度選んだら」
「……」
「ずっと同じじゃないといけないと思ってました」
「うん」
「依夜さんを選んだら」
「……」
「ずっと依夜さんだけを選ばないと」
「それは重い」
「……はい」
自覚あるんだ。
ちょっと成長した。
「そうしないと」
「……」
「裏切ってるみたいで」
「誰を?」
「……依夜さんを」
「あたし、そんな契約結んだ覚えないけど」
「……はい」
「澄鈴と遊んだら違約金とか取らないよ」
「それは、困ります」
「でしょ」
メイベルが小さく笑う。
「でも」
少しして。
また真面目な顔になる。
「違うんですね」
「何が」
「今日」
一つずつ確認するように言う。
「澄鈴さんといたいって選んで」
「うん」
「そのあと」
「……」
「依夜さんのところに帰りたいって選びました」
「うん」
「どっちも」
「……」
「わたしが選んだことです」
あたしは少しだけ笑う。
「そうだね」
「……」
「選ぶって」
「……」
「一回やって終わりじゃないんだよ」
メイベルがあたしを見る。
「今日選んでも」
「……」
「明日また選ぶ」
「……」
「明後日も」
「……」
「その次も」
「……」
「違うと思ったら、違う方を選ぶ」
メイベルが静かに聞いている。
だから。
少しだけ怖い。
一度選ばれたからって。
明日も選ばれる保証なんてない。
でも。
多分。
それでいい。
「あたしも」
「……」
「一緒にいたいって言ったけど」
「はい」
「それで終わりじゃない」
「……」
「明日も」
一拍。
「あんたの隣にいるか、あたしが決める」
メイベルの表情が。
少しだけ揺れる。
でも。
前みたいに怯えなかった。
「……はい」
「で」
「……」
「あんたも決めて」
言ってから。
少しだけ恥ずかしくなる。
「明日も」
「……」
「あたしの隣にいたいか」
メイベルは。
すぐには答えなかった。
それが。
少しだけ嬉しかった。
反射的に。
“はい”って言うんじゃなくて。
ちゃんと考える。
自分の気持ちを確認して。
自分で決める。
それから。
「……明日は」
「うん」
「依夜さんと、一緒に学校へ行きたいです」
「うん」
「帰りも」
「……」
「できれば、一緒がいいです」
「そっか」
「はい」
「じゃあ、明日はそうしよ」
メイベルが笑う。
「はい」
一度選んだことを。
永遠の約束にしなくていい。
昨日の選択に。
今日の自分を縛らせなくていい。
その代わり。
今日も選ぶ。
明日も選ぶ。
何度でも。
あたしがメイベルを選んで。
メイベルがあたしを選んで。
時々。
違うものを選んで。
違う人のところへ行って。
一人になることもあって。
それでも。
また隣にいたいと思ったなら。
戻ってくればいい。
その時。
もう一度。
お互いを選べばいい。
多分。
一緒にいるっていうのは。
一度きりの大きな決断じゃなくて。
そういう小さな選択を。
何度も。
何度も。
積み重ねていくことなんだと思う。




