第四十四話「選ばれるだけじゃ、足りない」
その日の帰り道。
メイベルは、いつもより静かだった。
話さないわけじゃない。
でも、言葉を一つずつ選んでいる感じがする。
歩く速度も少し遅い。
あたしの隣にいるのに、どこか自分の内側を見ているみたいだった。
「……どうした」
あたしが聞くと、メイベルは小さく肩を揺らした。
「……いえ」
「その“いえ”の顔じゃないでしょ」
「……」
メイベルは少し困った顔をして、それから小さく言った。
「……考えてます」
「何を」
「……昨日のこと」
ミラベルの“条件”。
あたしもまだ、頭の中で何度も反芻している。
守るだけは駄目。
依存を肯定するなら敵。
途中で投げるなら最初から関わるな。
どれも面倒で、どれも正しい。
「……どのへん」
「……」
少し間があく。
「……依夜さんが」
「うん」
「選んだ、って言ったところ」
あたしは少しだけ眉を動かす。
「うん」
「……わたし」
メイベルは視線を落とした。
「選ばれてる側なんだなって」
その言葉に、少しだけ息が止まる。
「……それは」
「事実、ですよね」
否定はできない。
あたしが「一緒にいたい」と言った。
あたしが「選んだ」と言った。
あたしが「途中で投げない」と言った。
だから、構図としてはそうなる。
「……それが嫌?」
メイベルはすぐには答えなかった。
数歩ぶんの沈黙。
それから、ようやく口を開く。
「……嫌、というより」
「うん」
「……足りない、気がして」
その言葉は、思ったより真っ直ぐだった。
「……足りない?」
「はい」
メイベルは少しだけ顔を上げる。
「……依夜さんが」
「うん」
「わたしを選んでくれるのは」
「……」
「すごく、うれしいです」
その声は、本音だった。
照れも、遠慮もある。
でも、ちゃんと本音。
「でも」
「……」
「それだけだと」
一度、言葉が詰まる。
それでもメイベルは続けた。
「……わたしが」
「……」
「何もしてないまま、隣にいるみたいで」
あたしは少しだけ黙る。
予想していた悩みとは、少し違った。
もっと“重い”とか、“申し訳ない”とか、そういう方向かと思っていた。
でも違う。
これはたぶん。
「……対等じゃない感じがする?」
あたしが言うと、メイベルは少し驚いた顔をした。
「……はい」
「そっか」
なるほどね、と思う。
昨日の条件が、ちゃんと効いている。
守られるだけじゃ駄目。
依存するだけじゃ駄目。
選ばれるだけじゃなく、自分も選ばなきゃいけない。
メイベルは、それを自分の中で受け止めようとしている。
「……依夜さん」
「なに」
「わたしも」
「……」
「選びたいです」
その一言に、胸の奥が少し熱くなった。
「……何を」
「……」
メイベルは少し考えてから、まっすぐ言った。
「依夜さんを」
足が止まりそうになる。
「……それ」
「はい」
「結構、重いこと言ってるよ」
「……」
メイベルは小さく頷いた。
「わかってます」
「……」
「でも」
「……」
「選ばれるだけじゃ、足りないです」
声は震えていた。
でも、逃げていない。
あたしは少しだけ空を見る。
夕焼けが、ゆっくり色を変えていた。
少し前までなら、こういう言葉を聞いたら構えていたと思う。
重い。
危ない。
依存かもしれない。
そうやって、先に警戒したかもしれない。
でも今は違う。
これは、縋る言葉じゃない。
自分で立つための言葉だ。
「……いいじゃん」
ぽつりと言う。
「……え」
メイベルがこっちを見る。
「選びなよ」
「……いいんですか」
「いいでしょ」
あたしは肩をすくめる。
「一方通行の方が変だし」
「……」
メイベルの目が、少し揺れた。
「でも」
「うん」
「選ぶって」
「うん」
「どうすればいいのか、わかりません」
あたしは少し笑った。
「そりゃそうでしょ」
「……はい」
「いきなり完璧にできるもんじゃない」
「……」
少し考える。
「じゃあさ」
「……」
「簡単なのからでいいよ」
「簡単、ですか」
「うん」
あたしはメイベルを見る。
「今」
「……」
「隣にいるじゃん」
「……はい」
「それ、なんで?」
メイベルは戸惑ったように瞬きをする。
「……一緒にいたいから、です」
「うん」
「それがもう選んでる」
メイベルが、はっとした顔をした。
「……これで」
「うん」
「いいんですか」
「いいでしょ」
あたしは少しだけ笑う。
「大げさに考えすぎ」
「……」
メイベルは少し考えてから、小さく笑った。
「……難しくしてました」
「知ってる」
「すみません……」
「だから謝るなって」
その表情は、さっきより少し軽かった。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、朝輝がソファでだらけていた。
「おかえり、依夜ちゃん」
「ただいま」
「メイベルちゃんも、おかえり」
「た、ただいまです……」
朝輝は二人の顔を見て、にやっと笑う。
「なんか今日、空気違うね」
「何それ」
「ちょっとだけ“大人になった感”ある」
「意味わかんない」
「でも当たってるでしょ」
図星なのが腹立つ。
「……で」
朝輝が肘をついてこちらを見る。
「今日は何があったの」
「別に」
「その“別に”の顔じゃない」
「うるさいなあ」
あたしが軽くあしらうと、メイベルが少しだけ口を開いた。
「……あの」
「うん?」
「わたし」
「うん」
「依夜さんを、選びたいって思いました」
あたしは思わず振り返る。
朝輝は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「へえ」
「……」
「いいじゃん」
軽い。
でも、馬鹿にしている感じはなかった。
「それで?」
「……え」
「選ぶって言ったなら」
「……」
「どう選ぶの?」
メイベルが固まる。
あたしは思わず口を挟む。
「ちょっと」
「なに」
「いきなり詰めすぎ」
「いや、普通の質問でしょ」
「普通じゃない」
「依夜ちゃん甘いなあ」
「うるさい」
でも、朝輝の言葉にも一理ある。
“選ぶ”は、言葉だけなら簡単だ。
でも本当に選ぶなら、行動が必要になる。
迷った時。
怖くなった時。
誰かに流されそうになった時。
そこで、自分で決めること。
「……メイベル」
「は、はい」
「無理に今答えなくていい」
「……」
「でも」
「……」
「これから、少しずつでいいから」
「……」
「自分で決めていきな」
メイベルはゆっくり頷いた。
「……はい」
その返事は、前より少しだけ強かった。
朝輝は満足そうに笑って、ソファに沈み直す。
「うんうん、青春だねえ」
「黙って」
「はいはい」
軽いやり取り。
でも、そのおかげで空気が少し緩んだ。
◇ ◇ ◇
夜。
部屋で、メイベルがぽつりと言った。
「……依夜さん」
「なに」
「今日」
「うん」
「ちょっとだけ」
「うん」
「怖かったです」
あたしは少しだけ笑う。
「どのへん」
「……自分で選ぶって思ったところ」
「……」
正直だなと思う。
「でも」
「……」
「逃げたくはなかったです」
その言葉に、少し驚く。
「へえ」
「……」
「なんで」
メイベルは少し考えてから言った。
「依夜さんが」
「……」
「選んでくれたから」
少し間を置く。
「……わたしも」
「……」
「ちゃんと選びたいって思いました」
その言葉は、昨日より少しだけ重かった。
でも、その重さは嫌じゃない。
誰かに全部預ける重さじゃなくて、自分で持とうとする重さだった。
「……そっか」
あたしはベッドに倒れ込む。
「いいじゃん」
「……はい」
「そのままいけばいいよ」
「……」
メイベルは少しだけ笑った。
「……依夜さん」
「なに」
「明日も」
「うん」
「自分で、ひとつ選びます」
「何を?」
「……それは、明日考えます」
あたしは思わず笑った。
「いいね」
「はい」
まだ不安はある。
迷いもある。
たぶん、また戻ったり止まったりもする。
でも。
選ばれるだけじゃなくて。
選ぶ側にもなろうとしている。
その一歩は、かなり大きい。
あたしは天井を見ながら思う。
この関係は、もう前には戻らない。
でも、それでいい。
こっちの方がずっと、ちゃんと進んでる気がするから。




