第三十八話「ひとりぶん減らす」
次の日の朝、あたしはいつもより少しだけ早く家を出た。
隣にはメイベル。
そのさらに少し後ろから、朝輝がついてくる。
「……なんであんたもいるの」
「依夜ちゃんが“たまには朝の様子見て”って言ったから」
「言ったけど、ほんとに来るとは思わなかった」
「ひどいなあ」
「お、おはようございます……」
と、メイベルが小さく頭を下げる。
「おはよ、メイベルちゃん」
朝輝は相変わらず軽い。
でも、今日はその軽さがちょっと助かる気もした。
昨日、澄鈴に言われた。
全部一人で抱える必要はないって。
あたしの役は、“全部やること”じゃなくて“選ぶこと”だって。
だから今日は、ひとつ試してみることにした。
あたし一人が前に立ち続けるんじゃなくて。
ちゃんと、ひとりぶん減らす。
「……メイベル」
「はい」
「今日の目標、覚えてる?」
「……はい」
「言ってみて」
「えっ、い、言うんですか……?」
「言う」
「……」
「……」
「く、苦しい時は言う」
「うん」
「無理そうなら、無理って言う」
「うん」
「ひとりで消えようとしない」
「うん」
「……頼る」
「うん」
最後の一言だけ、少しだけ声が弱かった。
あたしはそこを拾う。
「誰に」
「えっ」
「頼る相手」
「……」
「そこ、曖昧だとまたあたしだけに寄ってくるでしょ」
「うぅ……」
図星らしい。
朝輝が横で吹き出した。
「依夜ちゃん、容赦ないね」
「あんたが甘いんだよ」
「否定はしない」
そこでメイベルが、おそるおそる口を開く。
「……依夜さんと」
「うん」
「澄鈴さんと」
「うん」
「お兄さまと」
「……」
「北条さん……も」
言えた。
少しだけ詰まりながらも、ちゃんと全部言えた。
「よし」
と、あたしが言うと、
「よし、なんだ」
と朝輝が笑う。
「大事だから」
「うん、わかるよ」
「わかる顔やめて」
「依夜ちゃんって、こういう時ほんと先生っぽい」
「うるさい」
「でも似合うよ」
「褒めてないよね、それ」
「半分くらいは」
あたしは小さくため息をつく。
でも、その横でメイベルが少しだけ緊張を緩めたのがわかった。
朝輝がいると、空気が少しだけ軽くなる。
そこは、素直に認めるしかない。
◇ ◇ ◇
校門前で朝輝と別れる。
「じゃ、依夜ちゃん」
「なに」
「今日は“守る”だけじゃなくて」
「……」
「ちゃんと“任せる”もやるんでしょ」
「……見抜いた顔すんな」
「見抜いてるからね」
「うざ」
「でも応援してる」
「それも若干うざい」
「ひどいなあ」
そう言って、朝輝はメイベルにも手を振る。
「メイベルちゃんも、無理しすぎないでね」
「は、はい……!」
「でも無理しそうになったら」
「……」
「依夜ちゃんより先に、澄鈴ちゃんに言うのもありだよ」
「ちょっと」
「依夜ちゃん、背負いがちだから」
「……」
「図星でしょ?」
「うるさい」
返しながら、でも少しだけ胸に残る。
そうだ。
あたしは“選ぶ側”でいたい。
でも、その選び方が全部自分だけに寄ると、結局また抱え直すことになる。
その意味で、今の朝輝の一言は正しい。
メイベルは少しだけ迷って、それから頷いた。
「……はい」
「よし、いい返事」
朝輝が去っていく。
その背中を見送ってから、あたしはメイベルを見る。
「……今の、覚えた?」
「……はい」
「依夜ちゃんより先に、ってとこ」
「……そこまで、ですか」
「そこまで」
メイベルは少しだけ困ったように笑った。
「依夜さん」
「なに」
「ほんとに、抱えやすそうです」
「褒めてないよねそれ」
「いえ、たぶん褒めてないです」
「素直だなあ」
でも、そうやって少し冗談っぽく返せるなら、今日は昨日よりいい。
◇ ◇ ◇
教室に入ると、澄鈴が先に来ていた。
「おはよう」
「おはよう」
「お、おはようございます……!」
澄鈴はメイベルの顔を見て、それからあたしを見る。
「今日は朝から兄がついてた」
「見てたの?」
「見えた」
「監視?」
「観察」
便利な言い換え。
「……で」
と、澄鈴。
「今日はどうするの」
「昨日の続き」
「雑」
「でも合ってるでしょ」
「まあ」
澄鈴は小さく頷いて、それからメイベルに向き直る。
「メイベルさん」
「は、はい」
「今日は私にも言う」
「……!」
「依夜にだけ寄らない」
「……はい」
「よろしい」
そこで、メイベルが少しだけあたしを見る。
“これでいいですか”みたいな視線。
あたしは小さく頷いた。
そう。
それでいい。
それを、今日はちゃんと通したい。
後ろの席では、美良がもう座っていた。
今日も今日とて、何もかもわかってるみたいな顔。
「おはよう」
と、美良。
「おはよう」
「お、おはようございます」
いつも通りの挨拶。
でも、今日はそこに一個だけ違うものがある。
あたしが、美良の前でも、メイベルの前でも、同じ方針で立ててること。
美良はその空気を読んだのか、ほんの少しだけ目を細めた。
「今日は、また少し違うわね」
「そう?」
「ええ」
「まあ、昨日と同じじゃ困るし」
「……そうね」
そこまで言って、美良はそれ以上何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
一時間目と二時間目の間の休み時間。
メイベルが小さくあたしを呼ぶ。
「……依夜さん」
「なに」
「少し、だけ」
「うん」
「息が浅いです」
よし、言えた。
「今どれくらい」
「……四、くらい」
「うん」
「でも、ちょっと増えそうです」
「……」
あたしは立ち上がりかけて、そこで止まった。
前なら、多分そのまま一緒に外へ出てた。
でも今日は、それだけじゃない。
「澄鈴」
「なに」
「一緒に行ける?」
「行ける」
「お願い」
「了解」
澄鈴がすっと立ち上がる。
メイベルが少しだけ目を丸くした。
「……わたし」
「うん」
「依夜さんじゃなくて、いいんですか」
「いいんですか、じゃない」
「……」
「今日はそれもやる日」
「……はい」
メイベルは少し迷ったあと、ちゃんと頷いた。
それを見て、あたしは少しだけ肩の力を抜く。
「行ってきな」
「……はい」
「あとで戻ってきたら報告」
「ほ、報告……?」
「なんで少し嫌そうなの」
「い、いえ……」
「ちゃんと聞くから」
「……はい」
澄鈴とメイベルが教室を出ていく。
あたしはその背中を見送りながら、少しだけ変な気分になった。
手持ち無沙汰、というか。
落ち着かない、というか。
その時、後ろから声。
「いい選び方じゃない」
美良だった。
振り返ると、頬杖をついたままこっちを見ている。
「……褒められても嬉しくない」
「でも本心よ」
「珍しい」
「失礼ね」
あたしは少しだけ眉をひそめた。
「……正直」
「うん?」
「ちょっと変な感じ」
「何が」
「自分が行かないの」
「……」
美良はそこで、少しだけ笑った。
「でしょうね」
「何そのわかった顔」
「だって、あなた」
「……」
「ずっと“一番近くで支える人”でいたかったんでしょう?」
言われて、少しだけ息が詰まる。
図星だった。
そうだ。
あたしは多分、メイベルを支える役を、自分の特権みたいに感じてたところがある。
それは優しさでもあるけど、少しだけ傲慢でもあったのかもしれない。
「……でも」
と、あたしは言う。
「それで潰れたら意味ないし」
「そうね」
「メイベルも」
「ええ」
「あと、あたしも」
「……」
美良は少しだけ黙って、それから珍しく、からかい抜きの声で言った。
「やっと気づいたのね」
その言い方はやっぱり少しムカついたけど、否定はできなかった。
◇ ◇ ◇
数分後、メイベルが戻ってきた。
澄鈴と一緒に。
顔色は少しだけましになっている。
「……どうだった」
と、あたしが聞く。
メイベルは席の横で立ち止まって、それから少しだけ考えて言った。
「……外の空気を吸って」
「うん」
「澄鈴さんに」
「うん」
「“今は四で、でも放っておくと七になるタイプだね”って言われました」
「何その評価」
「事実」
と澄鈴が横から入る。
「あと」
とメイベルが続ける。
「“依夜ばかりに頼るの、少しずつ減らそう”って」
「……」
「“でもゼロにする必要はない”って」
「……」
あたしは思わず澄鈴を見る。
「それ、あんたが言ったの?」
「言った」
「優しいじゃん」
「事実整理」
「言い方」
でも、ありがたかった。
あたしが言うより、今のメイベルには澄鈴のその冷静さの方が効くこともある。
「……依夜さん」
「なに」
「ちゃんと、戻ってこれました」
「うん」
「……少しだけ、自分で」
「……うん」
それが嬉しくて、ちょっとだけ笑う。
「えらい」
「……」
「今日はそれで十分」
「……はい」
メイベルが、小さく笑った。
その笑い方は、前みたいに“依夜さんが見てくれたから”だけじゃない感じがした。
もちろんそれもあるんだろうけど。
それだけじゃなく、自分で一個できたっていう感覚が混ざってる。
それが、たぶん大事なんだと思う。
◇ ◇ ◇
放課後。
帰り道で、メイベルが少しだけ慎重な声で言った。
「……依夜さん」
「なに」
「今日」
「うん」
「澄鈴さんに頼れたの」
「うん」
「ちょっと、こわかったです」
「だろうね」
「でも」
「うん」
「思ってたより、だいじょうぶでした」
「……」
あたしは少しだけ息を吐いた。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、それ覚えといて」
「……はい」
少し沈黙が落ちる。
「……依夜さん」
「なに」
「頼るって」
「うん」
「負けじゃ、ないんですね」
「……」
昨日、澄鈴に言われたことが頭をよぎる。
頼るのは弱いからじゃない。
構造の問題だって。
「うん」
と、あたしは答えた。
「負けじゃない」
「……」
「むしろ」
「……」
「ひとりで抱えて潰れる方が、よっぽどまずい」
「……はい」
メイベルが、静かに頷く。
「……じゃあ」
「うん」
「これからも、少しずつ」
「うん」
「増やしていきます」
「何を」
「頼る相手」
「……」
あたしは少しだけ笑った。
「いいじゃん」
「でも」
「うん」
「依夜さんには、一番頼りたいです」
「……」
そういうこと、さらっと言うな。
心臓に悪い。
「……重い」
「うぅ……」
「でも」
「……」
「今はそれでいい」
そう言ったら、メイベルは少しだけ安心したみたいに笑った。
頼るって、負けじゃない。
それはきっと、あたしにも必要な言葉なんだろう。
全部一人で背負わなくていい。
全部自分で証明しなくていい。
そうやって、少しずつひとりぶん減らしていく。
たぶんそれが、今のあたしたちには一番ちゃんとしてる。




