第三十七話「頼るって、負けじゃない」
その日の放課後。
あたしは、ほんの少しだけ意図的に時間を作った。
すぐ帰ることもできた。
いつも通り、何もなかったみたいに一日を終わらせることも。
でも今日は、それじゃ足りないと思った。
――もう一つ、やっておきたいことがある。
「……メイベル」
「はい」
「ちょっとだけ残るけど、大丈夫?」
一拍、間があく。
「……はい」
その声は、ほんの少しだけ不安を含んでいた。
「無理そうなら言う」
「はい」
短い返事。
でも、ちゃんと自分で判断しようとしている感じがある。
あたしはそのことに、小さく安堵した。
それから教室の後ろを見る。
「澄鈴」
「なに」
「少しだけ付き合って」
「いいけど」
「外」
「了解」
迷いがない。
澄鈴は椅子を引いて立ち上がると、ほんの一瞬だけメイベルの方を見た。
観察するみたいな視線。
「メイベルさん」
「は、はい」
「すぐ戻る」
「……はい」
そのやり取りを確認してから、あたしは教室を出た。
背後で扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。
◇ ◇ ◇
校舎裏のベンチ。
人目がなくて、でも完全に閉じているわけじゃない場所。
風が抜けるこの感じが、こういう話をするにはちょうどいい。
「で」
澄鈴が腰を下ろしながら言う。
「今日は何の相談」
「相談っていうか」
「うん」
「確認」
「何を」
言葉を選ぶ。
雑に言えば済む話じゃない。
でも、回りくどくしても意味がない。
「メイベルのこと」
「……」
「今のやり方でいいのか」
澄鈴はすぐには答えなかった。
視線を少しだけ外して、思考を整理する顔。
それから、ゆっくりあたしを見る。
「どういう意味で?」
「そのまま」
「曖昧」
「……」
やっぱり誤魔化しは通じない。
「守りすぎてないか、とか」
「……」
「逆に、止めすぎてないか、とか」
「……」
「どっちにも転びそうで、ちょっと気持ち悪い」
そこまで言って、ようやく息を吐く。
自分でも、はっきりしていない感覚だった。
だから余計に、引っかかっている。
「珍しい」
「何が」
「自分でバランス見ようとしてる」
「失礼だな」
「事実」
むかつくけど、否定できない。
今まではもっと単純だった。
やるか、やらないか。
引くか、押すか。
でも今回は違う。
「で」
澄鈴が続ける。
「結論から言うと」
「うん」
「今のところは悪くない」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
その即答に、肩の力が少し抜ける。
でも。
「ただし」
「……」
「まだ危うい」
「……だろうね」
そこは、あたしも同じ感覚だ。
どこかで崩れる予感がある。
それがどこなのか、まだ見えてないだけで。
「あなた」
澄鈴が、いつも通り淡々と続ける。
「“一人でやろうとしてる感じ”がまだある」
「……」
「完全に、ではないけど」
「……」
図星だった。
「朝輝さん、いるでしょ」
「いる」
「北条さんも」
「いる」
「なのに」
「……」
「基本、あなたが前に立つ前提になってる」
その言葉は、静かに刺さる。
否定できない。
「……だって」
「うん」
「一番近いの、あたしだし」
「それはそう」
「じゃあ」
「でも、それだけで抱える理由にはならない」
切り方が容赦ない。
でも、正しい。
「……」
「頼っていい」
「……」
「というか、頼らないとそのうち崩れる」
現実的すぎる言い方だった。
慰めじゃない。
予測だ。
「……負けた気がするんだけど」
「何に」
「自分で全部やれないことに」
「それ、勝ち負けで見てる時点でズレてる」
「……」
言葉が出ない。
「頼るのは」
澄鈴は続ける。
「弱いからじゃない」
「……」
「構造の問題」
「……構造?」
「一人で支える設計になってない」
その言葉は、不思議なくらいすっと入ってきた。
今まであたしは、“強さ”で考えていた。
できるか、できないか。
耐えられるか、折れるか。
でも澄鈴は違う。
“仕組み”で見ている。
「あなたが全部受けると」
「うん」
「メイベルさんもそこに全部乗せる」
「……」
それは、もう経験している。
重さが増えていく感覚。
受け止めきれなくなる寸前の感覚。
「だから」
「……」
「分散させる」
「……」
「役割を」
あたしは少し考える。
「……例えば?」
「朝輝さん」
「うん」
「空気を軽くする役」
「……まあ、得意そう」
「北条さん」
「うん」
「言葉で整理する役」
「……確かに」
「あなた」
「……」
「選ぶ役」
その一言で、呼吸が少し止まる。
「……選ぶ役」
「そう」
「……それだけ?」
「それが一番重い」
即答だった。
「止めるか」
「……」
「任せるか」
「……」
「どこまで引くか」
全部、あたしがやっていること。
でも――
「それがあなたの役」
「……」
「だから」
「……」
「全部やる必要はない」
あたしはゆっくり息を吐いた。
胸の奥にあった何かが、少しだけほどける。
「……そっか」
「うん」
「あたし、ちょっと」
「うん」
「抱え直してたかも」
「だと思った」
即答。
ほんと遠慮ない。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「素直だね今日は」
「たまにはね」
澄鈴は、ほんの少しだけ笑った。
それから。
「あと」
「うん」
「もう一個」
「なに」
「あなた」
「うん」
「昨日から、ちょっと変わった」
「……どこが」
「言葉」
首をかしげる。
「“いていい”から」
「……」
「“一緒にいたい”に変わった」
その指摘に、胸の奥がわずかに詰まる。
言われて初めて気づく。
「……」
「それ」
「うん」
「いい変化」
まっすぐな言い方だった。
「だから」
「……」
「そこは、自信持っていい」
「……」
こういう肯定には、まだ慣れていない。
でも。
悪くない、と思った。
「……戻るか」
「うん」
立ち上がる。
夕方の空は、少しずつ色を深めていた。
終わりに向かっていく時間。
でも同時に、何かが整っていく感じもあった。
◇ ◇ ◇
教室に戻ると、メイベルはちゃんと席にいた。
あたしを見ると、すぐに顔を上げる。
「……依夜さん」
「ただいま」
「……おかえりなさい」
そのやり取りが、少しだけ自然になっている。
前よりも、ほんの少しだけ。
「大丈夫だった?」
「……少しだけ、不安でした」
「うん」
「でも」
「うん」
「待てました」
その言葉に、あたしは笑う。
「えらいじゃん」
「……えらい、ですか」
「うん」
「……」
目を逸らす。
でも、嫌そうじゃない。
「……依夜さん」
「なに」
「さっき」
「うん」
「澄鈴さんと、何話してたんですか」
「……」
一瞬考える。
ごまかすこともできる。
でも、それは違う気がした。
「頼る話」
「……頼る」
メイベルの表情が少し揺れる。
「……それって」
「うん」
「わたしのこと、ですか」
「そう」
「……」
沈黙。
視線が少し落ちる。
「……依夜さん」
「なに」
「わたし」
「うん」
「重い、ですか」
ちゃんと考える。
逃げない。
「重い時はある」
「……」
肩がわずかに揺れる。
でも、そこで終わらせない。
「でも」
「……」
「それだけじゃない」
「……」
「一緒にいたいとも思ってる」
「……」
ゆっくり、言葉を置く。
「だから」
「……」
「重いからいらない、にはならない」
メイベルが、息を止める。
「……じゃあ」
「うん」
「頼るのは……」
「うん」
「いいんですか」
あたしは少しだけ笑った。
「むしろして」
「……え」
「全部一人でやろうとする方が困る」
「……」
「あと」
「……」
「頼る相手、あたしだけじゃなくていい」
「……!」
目が大きく開く。
「澄鈴もいるし」
「……」
「朝輝もいるし」
「……」
「由斗もいる」
「……」
戸惑いが見える。
でも、拒絶じゃない。
「……でも」
「うん」
「いいんですか」
「何が」
「そんなに、分けて」
少し考える。
そして、はっきり言う。
「分けた方が」
「……」
「ちゃんと続く」
その言葉は、あたし自身にも向けたものだった。
メイベルは静かに頷く。
「……はい」
さっきより、少しだけ強い声。
頼るって、負けじゃない。
それはきっと。
一人で抱え込まないための選択で。
続けるための方法で。
――誰かと一緒にいるための、前提なんだ。
あたしも。
メイベルも。
今、やっとそれを理解し始めている。




