第二十九話「選ぶ側になる」
次の日の朝、目が覚めた時。
あたしは少しだけ、自分でもびっくりするくらいはっきりした気持ちを持っていた。
――もう、“なんとなく”ではだめだ。
今までは、流れでここまで来ていた気がする。
召喚してしまって、放っておけなくて、世話をして、助けて、守るみたいなことをして。
でも、最近のあたしはずっと、状況に押されて動いていた。
美良が来て、メイベルが揺らいで、由斗が現れて、“一人じゃ無理だ”と突きつけられて。
そこに反応してるだけだった。
それだと、また同じことを繰り返す。
何かが起きてから慌てて、限界になってから支えて、取り返しがつかなくなる寸前でようやく気づく。
……もう、それは嫌だった。
「……」
床に敷いた毛布の上で、メイベルがまだ眠っている。
寝顔は少し穏やかだった。
昨日の夜、「今日も帰っていいですか」と確認してから眠った時より、ほんの少しだけ。
あたしはその顔を見ながら思う。
この子をどうしたいのか。
守りたい。
それは本当。
でも、守るだけじゃ足りない。
甘やかすだけでもだめだ。
“傷つかないように囲う”のも、多分違う。
美良のやり方は嫌いだ。
でも、美良が言っていたことの一部に、嫌でも引っかかる部分はあった。
弱いまま守られるだけでは、結局どこかでまた崩れる。
だったら。
「……あたしが、選ばないと」
小さく呟く。
何を許して、何を許さないか。
どこまで支えて、どこからは自分で立たせるか。
誰を巻き込んで、どこで止めるか。
“状況に流される側”じゃなくて、“選ぶ側”にならないといけない。
そうじゃないと、次も間に合わない。
◇ ◇ ◇
「……おはようございます」
しばらくして、メイベルが目を覚ました。
少し眠そうで、でも今日は昨日より顔色がましだった。
「おはよう」
「……」
「……」
「……何か、ありましたか?」
「何で」
「依夜さん、朝から顔がちょっと……」
「どんな」
「決まってる感じです」
鋭いな、と思う。
たまにこういうところだけ鋭い。
「……まあ」
「……」
「ちょっと考えた」
「……わたしのこと、ですか」
「うん」
「……」
メイベルが少しだけ緊張する。
わかりやすい。
「怖がらなくていいよ」
「で、でも……」
「怒る方向じゃない」
「……」
「整理しただけ」
「……はい」
あたしはベッドから降りて、カーテンを開けた。
朝の光が部屋に入る。
「メイベル」
「はい」
「今日から、ちょっとやり方変える」
「……え」
振り返ると、メイベルがきょとんとしていた。
「どう変えるんですか……?」
「まず」
「はい」
「あんたが“大丈夫です”って言っても、顔がダメなら信用しない」
「えっ」
「えっ、じゃない」
「そ、それは……」
「今まではあんたの言葉を優先しすぎた」
「……」
「でも、それで昨日みたいになった」
「……はい」
メイベルが少しだけ俯く。
「だから、これからは」
「……」
「言葉と顔と呼吸、全部見る」
「……」
「それで無理そうなら、あたしが止める」
「……」
しばらく黙ってから、メイベルが小さく聞いてきた。
「……それって」
「うん」
「依夜さんが、決めるんですか」
「うん」
「……」
その確認は、ちょっと意外だった。
でも、そうか。
今まであたしは、流れで支えていただけで、“私が判断する”ってあまり言ってこなかったのかもしれない。
「嫌?」
「い、いえ……」
「じゃあ何」
「……少しだけ、安心しました」
「……」
思わず目を瞬く。
「安心するんだ」
「はい……」
「なんで」
「わたし、自分で“大丈夫”って言って」
「うん」
「そのまま無理することが、多いので……」
「……」
「止めてもらえるなら、少し……」
そこでメイベルは、ほんの少しだけ笑った。
「こわくないです」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
よかった、と思った。
勝手に全部決めるのは違う。
でも、曖昧にして流すのも違う。
今は多分、“あたしが線を引く”ことが必要なんだろう。
「あと」
「はい」
「あんたも選ぶ」
「……え?」
「何でもあたし任せは禁止」
「……」
「しんどい時は言う。嫌な時も言う。今日みたいに戻れそうか無理そうかも言う」
「……」
「全部受け身はなし」
「……はい」
メイベルは小さく頷いた。
少し不安そうだったけど、それでもちゃんと聞いている顔だった。
「つまり」
「はい」
「あたしは“守る側”だけじゃなくて」
「……」
「あんたと一緒に決める側になる」
「……!」
その言葉に、メイベルの目が少しだけ大きくなる。
「……依夜さん」
「なに」
「それ、なんだか……」
「うん」
「すごいです」
また始まったな、と思う。
でも今回は、少しだけ違った。
「“すごい”じゃなくて」
「……」
「必要だっただけ」
「……」
「気づくの遅かったけど」
そう言うと、メイベルはほんの少しだけ首を振った。
「……でも」
「うん」
「気づいてくれたので」
「……」
「それで、うれしいです」
だめだな、と思う。
そういう返しは、やっぱり少し照れる。
◇ ◇ ◇
朝食のあと、登校準備をしていると、リビングで朝輝と鉢合わせた。
「おはよ」
「おはよう」
「なんか顔つき変わった?」
「何それ」
「いや、昨日より決まってる顔」
「メイベルにも言われた」
「へえ、じゃあ当たりか」
兄は妙なところで感覚が近い。
それがたまに腹立つ。
「……兄さん」
「うん?」
「一個頼みたいことある」
「お、珍しい」
「茶化さないで」
「はいはい」
あたしは少しだけ迷ってから、言った。
「今後、メイベルが本気で危なそうな時」
「うん」
「あたし一人じゃ止めきれないと思ったら、手伝って」
「……」
「普段から全部じゃなくていい」
「うん」
「でも、限界っぽい時だけ」
「……」
朝輝は少しだけ目を細めて、それから笑った。
「了解」
「早いね」
「頼られるの嫌いじゃないから」
「そこはうざい」
「でも本音」
「知ってる」
それから、朝輝は少し真面目な顔になった。
「依夜ちゃん」
「なに」
「“全部背負わない”って決めた?」
「……うん」
「それならよかった」
「……」
そう言われると、ちょっとだけ引っかかる。
でも、今はそれでいいやと思った。
◇ ◇ ◇
学校へ向かう道。
メイベルは昨日までより少しだけしっかりした足取りで歩いていた。
まだ緊張はしてる。
でも、“崩れたらどうしよう”だけじゃなくて、“今日はどうするか”を考えてる感じがある。
「……依夜さん」
「なに」
「今日、もし姉さまが何か言ってきたら」
「うん」
「どうしますか」
「……」
いい質問だと思った。
今までなら、“その場になってから考える”だった。
でも、それだと遅い。
「まず、あんたが無理そうなら私が切る」
「……切る?」
「会話」
「あ、ああ……」
「で、あんたが自分で返せそうなら、一回待つ」
「……」
「でも刺し方がきついと思ったら、やっぱりあたしが入る」
「……はい」
メイベルは真剣に聞いている。
「つまり」
「はい」
「全部止めるわけじゃない」
「……」
「でも、放置もしない」
「……」
少し考えてから、メイベルが言う。
「……ちょうどいいです」
「そう?」
「はい」
「よかった」
自分で言っていて、少しだけ不思議だった。
“ちょうどいい”。
今までのあたしは、その加減が全然できてなかったのかもしれない。
助けすぎるか、遅すぎるか。
そのどっちかだった。
だから多分、今必要なのは。
ちゃんと選ぶことなんだ。
◇ ◇ ◇
教室に入る。
美良はもういた。
机に頬杖をついて、今日も完成された顔でこちらを見る。
「おはよう」
「おはよう」
「……お、おはようございます」
メイベルの声はまだ少しだけ揺れた。
でも、昨日みたいな崩れ方はしない。
美良はそれを見て、少しだけ笑った。
「今日は少し違うわね」
「……何が」
と、私が返す。
「東さんの顔」
「そう?」
「ええ」
「じゃあ気のせいじゃないんだ」
「ふふ」
その笑い方が、相変わらず好きじゃない。
でも今日は、そこに引っ張られない。
「美良」
「なに?」
「先に言っとく」
「……」
「今日は、昨日までみたいにはいかないよ」
教室のざわめきの中で、あたしの声は小さかった。
でも、美良にはちゃんと届いたらしい。
わずかに目が細くなる。
「へえ」
「……」
「選ぶのね」
「うん」
自分でも、驚くくらい迷いなく言えた。
「今までは流されてた」
「……」
「でも、それやめる」
「……」
「メイベルのことも、私のことも」
「……」
「もう、“どうなるか待つ側”じゃなくていい」
美良はしばらく黙っていた。
それから、ほんの少しだけ笑う。
「やっと、って感じ」
「……」
「遅いけど」
「うるさい」
「でも悪くないわ」
それは褒めてるのか、試してるのか、相変わらずよくわからなかった。
でも、前よりはっきりしていることが一つある。
あたしはもう、ただ反応して消耗するだけの位置にはいたくない。
メイベルが崩れないために。
あたしがまた同じ失敗をしないために。
ちゃんと選ぶ。
止める時は止める。
任せる時は任せる。
誰かを頼る時は頼る。
そう決めた。
授業が始まるチャイムが鳴る。
あたしは席について、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
隣ではメイベルが、緊張しながらも前を向いている。
たぶん今日も楽じゃない。
美良はいるし、全部が急に解決するわけじゃない。
でも。
少なくとも今日は、昨日までよりちゃんと戦える気がした。




