第十八話「できる子とできない子って、そうやって並べるものじゃない」
「甘いものでも食べる?」
そう言ったあたしに、メイベルは本当にちょっと泣きそうな顔で「食べたいです……!」と返した。
大げさだなと思う。
でも、その大げささのおかげで、さっきまでの嫌な空気が少し薄れたのも事実だった。
帰り道の途中、駅前の小さなカフェに入る。
放課後の時間だからそれなりに人はいたけど、運よく窓際の二人席が空いていた。
「……ここでいい?」
「は、はい……!」
メイベルは店に入ってからずっと、落ち着かない様子で周囲を見ていた。
そりゃそうか。
学校とはまた別の“人の多い場所”だし、知らない匂いと音がたくさんある。
でも、嫌そうというよりは緊張してる感じだった。
「座って」
「は、はい……」
椅子を引く手つきまでぎこちない。
ほんと、どこまで見てればいいのかわからなくなる子だ。
メニューを渡すと、メイベルはそれを両手で受け取って、真剣な顔で開いた。
数秒後、目が泳ぎ始める。
「……どうしたの」
「し、種類が多すぎます……」
「カフェだからね」
「ぜ、全部甘いんでしょうか……?」
「大体そうだと思う」
「え、えらべません……」
予想通りだった。
「じゃあ、無難にパフェとかにする?」
「ぱふぇ……」
「嫌いじゃないなら」
「き、嫌いかどうかも、わからなくて……」
「なるほど」
そこからなのか。
あたしはメニューを覗き込んで、適当におすすめっぽいものを指差す。
「これと、これなら甘すぎず食べやすいと思う」
「……依夜さん」
「なに」
「なんでも知ってますね……」
「いや、普通に生きてると覚えるだけ」
「それがすごいです……」
「また始まった」
ほんと、この子の中であたしは何なんだろう。
注文を済ませて、少し間ができる。
窓の外では人が行き交っていて、店内にはやわらかい音楽が流れていた。
メイベルは最初、落ち着かなさそうに背筋を伸ばしていたけど、少しずつ呼吸が整ってきた。
多分、あたしが向かいにいるのと、今は美良がいないっていう安心感が大きいんだろう。
「……さっき」
「うん」
「依夜さんが、甘いもの食べようって言ってくれたの……」
「うん」
「うれしかったです」
「そう」
「すごく」
「それは伝わった」
だって、目がきらきらしてたし。
メイベルは少し照れたみたいに俯いた。
そのあと、小さな声で続ける。
「……ああいう時」
「うん」
「依夜さん、いつも引っ張ってくれます」
「……」
「わたし、一人だと、多分ずっと固まってるので……」
その言い方が、なんだか少しだけ痛い。
「……別に、そんな大したことしてないけど」
「わたしには大したことです……」
「……」
「すごく」
真正面からそう言われると、困る。
否定したらこの子はしょんぼりするだろうし、肯定するのもなんか違うし。
ちょうどそのタイミングで、注文したものが運ばれてきた。
助かった。
「はい、来たよ」
「……!」
メイベルの顔がぱっと明るくなる。
よかった。
このくらいわかりやすい方が、今はありがたい。
「た、食べていいんですか……?」
「頼んだんだからね」
「そ、そうですけど……」
「冷めるものじゃないけど、溶けるから」
「は、はい……!」
メイベルがスプーンを持つ。
その動きもまだ少しぎこちない。
一口。
「……!」
「……どう?」
「……おいしい、です……」
じわっと目が潤む。
「いや、そこで泣く?」
「だ、だって……!」
「今日は割と泣く理由が忙しいね」
「おいしくて、うれしくて……」
「そっか」
パフェ一つでここまで幸せそうにされると、ちょっと笑ってしまう。
でも、その笑いもすぐに少し薄れた。
だって、こういう“普通の楽しい時間”が、この子にはあまりなかったのかもしれないと思ってしまうから。
「……メイベル」
「は、はい」
「姉と、昔からああなの」
「……」
スプーンが止まる。
「嫌なら言わなくていい」
「……いえ」
「うん」
「嫌じゃ、ないです……」
「……そっか」
メイベルはパフェを見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「姉さまは、ずっとすごいんです」
「うん」
「何をしても上手で、きれいで、みんなに好かれて……」
「……」
「わたしは、子どものころからずっと、その隣でした」
隣。
その言い方に、少しだけ胸がざわつく。
比べられる位置だ。
「姉さまは、やさしい時もあります」
「うん」
「でも……」
メイベルが、スプーンを握る手に少し力を込める。
「できないままだと、捨てられるって思うような言い方をします」
「……」
「直接じゃ、ないです」
「うん」
「でも、そう聞こえるんです」
やっぱり、そうなんだ。
美良は多分、言い方を選ぶのがうまい。
だから余計に逃げ道がない。
「……で」
「はい」
「あんたは、それで頑張ろうとする」
「……はい」
「頑張れないと、また刺される」
「……はい」
最悪だな、ほんとに。
「でも、姉さまは多分……」
と、メイベルが迷うように言う。
「わたしのこと、嫌いじゃないです」
「……」
「多分、すごく好きです」
「……」
そこは否定しないんだ。
でも、不思議じゃない気もする。
美良のあの執着みたいな視線は、無関心とは真逆だった。
「好きなほど、厳しくするタイプ?」
「……なのかもしれません」
「迷惑だね」
「……ふふ」
メイベルが、少しだけ笑った。
ほんの少しだけだけど、肩の力が抜けた感じがする。
「依夜さん」
「なに」
「怒ってくれて、うれしかったです」
「……」
「姉さまに、あんなふうに言い返してくれたの、初めて見ました」
「そっか」
「……わたし、ずっと」
「うん」
「“できない方”って、そういうものなんだと思ってました」
その一言が、思ったより重かった。
できる子と、できない子。
優秀な姉と、だめな妹。
何でもこなせる兄と、普通のあたし。
そういう並べ方をされ続けると、自分でもそうとしか思えなくなるのかもしれない。
「……そうやって並べるの、嫌いなんだよね」
「え?」
「できる子と、できない子って分け方」
「……」
「そんなの、見てる場所が違うだけの時もあるし」
「……」
「そもそも、比べる前提なのがしんどいし」
口にしてから、自分で少し驚いた。
これ、半分以上、自分に向けて言ってる。
メイベルはじっと私を見ていた。
それから、すごく大事なものを見るみたいに、小さく頷く。
「……依夜さんも」
「うん」
「そういうの、いやだったんですね」
「……まあね」
「……」
「兄がいると、余計にね」
そこまで言って、ちょっとだけ視線をそらした。
自分からここまで口にするつもりはなかったのに。
「……お兄さま」
「うん」
「すごい人、なんですね」
「すごいよ」
「……」
「すごいから、別にこっちが普通でもいいだろって思うんだけど」
「でも周りはそう見ないし」
「自分でも、つい比べるし」
なんか、情けない話だなと思う。
今さら。
兄が優秀だからって、それであたしの価値が下がるわけじゃないのに。
頭ではわかってるのに、感情はそう簡単に切り替わらない。
「……でも」
「うん?」
「依夜さん、普通じゃないです」
「は?」
思わず顔を上げる。
メイベルは真剣だった。
冗談とか慰めとか、そういう顔じゃない。
「やさしいし」
「……」
「ちゃんと見てくれるし」
「……」
「怒ってくれるし」
「……」
「助けてくれるし」
ひとつずつ数えるみたいに言ってくる。
「それ、全然、普通じゃないです」
「……」
そんなふうに言われると、困る。
だって、あたしはあたしで自分が特別じゃないと思ってるから。
でも、メイベルの中では違うらしい。
「……あんたの基準、だいぶ壊れてると思うけど」
「そうかもしれません」
「認めるんだ」
「でも」
「……」
「壊れてても、依夜さんがすごいのは本当です」
だめだ。
真正面から来るの、ほんとに弱い。
あたしはスプーンでアイスを少し崩しながら、ため息をつく。
「……ありがと」
「……!」
「でも、あんまり真に受けると調子狂うから」
「そ、それでも言います」
「強いなそこだけ」
「依夜さんのことなので……」
そこだけ妙に頑固だな、この子。
少し沈黙が落ちる。
でも、その沈黙は気まずくなかった。
さっきまでの教室の重たい空気と違って、ここではちゃんと息ができる。
多分、メイベルも同じなんだろう。
「……依夜さん」
「なに」
「わたし、できない方ですけど」
「うん」
「できないままでも、少しずつなら変われますか」
「……」
その聞き方は、ずるい。
即答したい。
変われるよって、まっすぐ言ってしまいたい。
でも、無責任なことも言いたくなかった。
だって変わるのって、結局本人がしんどい思いをして、少しずつ進むしかないから。
「……変われるとは思う」
「……!」
「でも、いきなりじゃない」
「はい」
「怖いのは多分すぐにはなくならないし」
「はい」
「失敗もする」
「……はい」
「でも、昨日のあんたより今日のあんたの方が、ちゃんと前に進んでた」
メイベルの目が、大きく開く。
「……そう、ですか」
「うん」
「……」
「だから、できない方のままでも」
「……」
「少しずつなら、十分変われるんじゃない」
メイベルはしばらく何も言わなかった。
ただ、その言葉を胸の中で大事に抱えるみたいな顔をしていた。
それから。
「……依夜さん」
「なに」
「今の、わたし、ずっと覚えてます」
「重いなあ」
「だ、だめですか……?」
「だめじゃない」
「……!」
「ただ、あとで勝手に美化しないで」
「びか……?」
「なんでもない」
多分この子、本当にずっと覚えてるんだろうな。
そういうところがちょっと怖くて、でも嫌じゃない。
店を出る頃には、外はすっかり夕方だった。
歩き出すと、メイベルが昨日までより少し自然にあたしの隣に並んだ。
距離は近いけど、前みたいに不安だけで寄ってくる感じじゃない。
少しだけ、自分の足でちゃんと立ってる感じがした。
「……どうしたの」
「え?」
「なんか今日は、いつもより歩き方がしっかりしてる」
「……そうでしょうか」
「うん」
「……」
「……」
「依夜さんが、さっき、変われるって言ってくれたので」
「……」
「ちょっとだけ、ちゃんと歩こうかなって」
そういうとこだよ、と思う。
あたしの何気ない一言を、すぐそういう力に変えるところ。
危なっかしくて、重いけど、でも目が離せない。
「……がんばりすぎなくていいよ」
「はい」
「今日は少しマシ、くらいで十分」
「……はい」
メイベルが笑う。
まだ弱いけど、ちゃんと前を向いた笑い方だった。
できる子と、できない子。
そんなふうに並べてしまえば、世界は簡単かもしれない。
でも本当は、多分違う。
強い人の隣で、しんどいまま立ってる誰かとか。
そういうものまで見ないで、簡単に分けるのは、やっぱり嫌だ。
そして多分。
あたしがメイベルを放っておけないのは、その途中を知ってるからなんだと思う。
自分だって、まだ全然うまくできてないくせに。
……それでも、この子の隣にいる時だけは、少しだけ“普通”以外の自分になれる気がした。




