表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/20

第十五話「姉は妹を甘やかさない、でも壊す寸前までは追い込む」


挿絵(By みてみん)


 昼休みが終わって、午後の授業が始まっても。


 メイベルは、明らかにおかしかった。


「……」


「……」


 いや、元からちょっと挙動はおかしい。

 それはそう。

 でも今のはそういう“いつものポンコツ”じゃない。


 顔色が悪い。

 ノートは開いてるのに、ほとんど書けてない。

 先生が何か言うたびに、ほんの少しだけ後ろを気にしてる。


 後ろにはもちろん、美良がいる。


 そしてその美良は、授業中だというのに妙に余裕があった。

 ちゃんと板書もしてるし、当てられたらすらすら答えるし、姿勢も綺麗だ。

 完璧な優等生に見える。


 ……見える、だけならまだよかった。


「依夜」

「なに」


 澄鈴が小声で言う。


「後ろ、気になる?」

「めちゃくちゃ」

「同感」

「君もなんだ」

「空気が変」


 その表現はだいぶふわっとしてるけど、言いたいことはわかる。


 あたしは何度目かのため息を飲み込んで、黒板に目を戻した。

 でも、その直後。


 コツ…。


 小さな音がした。


「……?」


 横目で見ると、メイベルの消しゴムが床に落ちていた。

 ああ、緊張で手元が狂ったんだな、と思う。


 拾おうとして、メイベルがしゃがむ。


 そのタイミングで。


 後ろから、白い指先がすっと伸びた。


 美良だ。


 何の迷いもなく、その消しゴムを先に拾い上げる。

 そして、机の横で固まっているメイベルへ、にこっと笑って差し出した。


「はい」


「っ、あ……」


「落としちゃだめよ、メイベル」


 声は小さい。

 でも、私には聞こえた。


 ――やっぱり、わざとだ。


 “西宮美良”としてじゃない。

 今のは明らかに、“姉”として話しかけていた。


 メイベルは真っ青になって、消しゴムを受け取った。


「……ありが、とう……ございます」


「ふふ。どういたしまして」


 先生は気づいていない。

 周りも、ただの親切な転校生だと思ってるだろう。


 でもあたしにはわかる。


 この人、わざとやってる。


 授業が終わるまでの残り二十分が、やけに長く感じた。


 ◇ ◇ ◇


 休み時間。


「メイベル、ちょっと」


 あたしは即座に立ち上がって、メイベルの机の横に行った。


「は、はい……」


 立ち上がるのもぎこちない。

 トイレ前の件から、完全に調子を崩している。


「外行こ」

「え……」

「少し空気変えたい」

「……!」


 メイベルが、露骨にほっとした顔をした。


 ――ああ、だめだな。


 その顔されると、もう連れ出す以外の選択肢がなくなる。


 でも、そう思った瞬間。


「東さん」


 背後から、甘い声。


 振り返らなくてもわかる。

 美良だ。


「その子、借りていってもいい?」


「は?」


 意味がわからない。


 振り返ると、美良はいつも通りきれいに笑っていた。

 席の周りにはまだ何人かクラスメイトがいるのに、その中で平然とそんなことを言える図太さが怖い。


「ちょっと姉妹で話したいことがあって」

「……」


 クラスの空気が止まる。


「えっ」

「姉妹?」

「そうなの!?」


 あー、そうなるよね。

 思ったけど、こんなにあっさり明かすとは思わなかった。


 メイベルがびくっと震える。


「え、メイベルちゃんのお姉ちゃん!?」

「全然似てなくない?」

「でも美人姉妹ってやつ?」


 ざわつく教室の中で、美良は軽く肩をすくめた。


「異母とか異父とか、そういう複雑な感じじゃないわよ」

「聞いてない」

「ふふ」


 軽い。

 全部が軽い。


 でも、私の腹の中は全然軽くなかった。


「……何の話」

「ん?」

「メイベルと」

「秘密」


 にこっと笑う。


 その笑顔が、ほんとに腹立つ。


「いや、意味わかんないんだけど」

「姉妹で話すのに、いちいち許可が要るの?」

「いるでしょ、今のメイベルの様子なら」

「……」


 その瞬間、美良の目がほんの少しだけ細くなった。


 笑っている。

 でも、笑ってるだけじゃない。


「へえ」

「なに」

「ちゃんと見てるのね、あなた」

「……当たり前でしょ」


 売り言葉に買い言葉みたいに返してから、ちょっとだけ後悔した。

 この人にそういう“関係の深さ”を見せるの、得策じゃない気がする。


 美良は一瞬だけ黙って、それからくすっと笑った。


「そう。なら、なおさら話してみたいわ」


 何その理屈。

 めんどくさいな本当に。


 あたしはメイベルを見る。


「……メイベル」

「は、はい……」

「あんたはどうしたい」


 本人に聞くのが一番早い。


 メイベルは、私と美良を交互に見た。

 視線が泳いで、唇が震えて、それでもどうにか言葉を出そうとしているのがわかる。


「……わたし、は」

「うん」

「……」

「……」


 長い沈黙のあと。


「……依夜さんと、いたいです」


 小さい声だった。

 でも、はっきり聞こえた。


 教室の空気が、また少し変わる。

 クラスメイトたちが「おお……」みたいな顔をしているのが視界の端に入ったけど、今はそれどころじゃない。


 あたしは、ちょっとだけ息を吐く。


「だって」

「……」

「本人こう言ってるけど」


 美良に向かってそう言うと、美良は少しだけ目を丸くした。


 それから、ああ、と納得したみたいに微笑む。


「ほんとに懐いてるのね」


「……」


 その言い方は癪に障る。


 でも、美良はそれ以上は何も言わず、すっと引いた。


「わかったわ。じゃあ今日はやめておく」

「今日は?」

「また今度、って意味」


 やめてほしい。

 その予告。


 チャイムが鳴る。

 次の授業が始まる合図。


 美良は席に戻りながら、振り返りもせずに言った。


「でもメイベル」

「っ」


「逃げ続けても、何も変わらないわよ」


 その言葉に、メイベルの肩がびくっと揺れた。


 あたしは無意識に舌打ちしそうになるのをこらえた。


 ◇ ◇ ◇


 放課後。


 今日は珍しく、メイベルの方から何も言ってこなかった。


 いつもなら「一緒に帰っていいですか」とか「近くにいてもいいですか」とか、何かしら不安そうに確認してくるのに、今日はそれすらない。


 ただ、静かに鞄を持って、私の近くに立っている。


 その“近くにいるのに何も言わない”感じが、逆に心配になる。


「……帰るよ」

「……はい」


 声も小さい。


 澄鈴が私の横に来て、小さく言った。


「重症」

「見ればわかる」

「後ろの転校生」

「うん」

「かなり意地が悪い」

「……あんたがそこまで言うんだ」

「ルールを守るふりして、人の不安を煽るタイプは苦手」


 珍しく、はっきりしている。


「依夜」

「なに」

「一人で抱え込まない方がいい」

「……」

「あなた、ああいう相手に感情で反応すると負ける」

「わかってる」

「ならよし」


 よし、で済まない気もするけど。

 でも、澄鈴なりに心配してくれてるのはわかった。


 昇降口を出る。

 夕方の空気が少し冷たい。


 しばらく歩いても、メイベルは黙ったままだった。


「……メイベル」

「は、はい」

「さっきの」

「……」

「本音?」

「え」


 振り返るように、メイベルが私を見る。


「教室で言ったやつ」

「……依夜さんと、いたいって……」

「うん」

「……ほんとです」


 迷いのない答えだった。


「……」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、なんで謝るの」

「だ、だって……重いかなって……」

「自覚はあるんだ」

「少しだけ……」


 少しだけじゃないよ、とは言わなかった。


 今は多分、それを言うタイミングじゃない。


「……姉さま」

 と、メイベルがぽつりと言う。


「昔から、ああなんです」

「……どういう意味で」

「こ、こわいわけじゃないんです」

「うん」

「やさしい時もあるんです」

「うん」

「でも……」


 メイベルが、自分の指先をぎゅっと握る。


「わたしが、いちばん言われたくないことを」

「……」

「いちばん、きれいな言い方で言うんです」


 その言葉が、妙にわかりやすかった。


 ああ、そうか。

 だから怖いんだ。


 怒鳴るわけでも、殴るわけでもない。

 ただ、相手の一番痛いところを、一番上品に、逃げ場がない形で突いてくる。


 たしかに、それはきつい。


「……最低だね」

「え」

「そのやり方」

「……」


 メイベルが、少しだけ目を見開く。


「で、でも……姉さまは、わたしのために言ってる部分もあるので……」

「それでも言い方ってあるでしょ」

「……!」


 自分でも、少し驚いた。

 ここまで強く言うつもりはなかったのに。


 でも、多分もうあたしはだいぶ腹を立ててる。

 美良にも、そう思わされているメイベルの状況にも。



「……依夜さん」

「なに」

「怒ってますか……?」

「うん」

「わ、わたしに……?」

「違う」

「……!」


 その一言で、メイベルの表情が少しだけほどける。


「あんたには怒ってない」

「……はい」

「ただ」

「……」

「あんたがあんなふうになるの、見てて腹立つ」


 言ってから、ちょっとだけ自分でびっくりした。


 でも、嘘ではなかった。


 メイベルはぽかんとした顔をして、それからみるみるうるっとした目になる。


「な、なんでそこで泣くの」

「うれしくて……」

「そこは違うでしょ」

「で、でも……」

「……」

「わたしがいやな思いしたことで、怒ってくれる人……あまり、いなかったので……」


 あ。


 その一言は、ずるい。


 あたしは少しだけ顔をそらした。

 まともに見たら、多分変な顔になる。


「……そっか」

「……はい」


 それ以上は、何も言えなかった。


 帰り道、メイベルはまた少しだけ私の近くに寄ってきた。

 でも今日は、袖をつかんだりはしない。

 ただ、半歩だけ距離を詰めて、静かについてくる。


 それが妙に慎重で、さっきまでの会話をちゃんと考えてる感じがして、少しだけ胸が苦しくなった。


「……メイベル」

「は、はい」

「次、もしまた姉に何か言われたら」

「……」

「一人で受け止めないで」

「え」

「あたしに言って」

「……!」

「すぐ解決できるかはわかんないけど」

「……」

「聞くくらいはできるから」


 メイベルはしばらく黙って、それから、こくりと頷いた。


「……はい」

「うん」

「……依夜さん」

「なに」

「わたし、やっぱり」

「うん」

「依夜さんといると、安心します……」


 その言葉が、やけにまっすぐで。


 ああ、だめだな、と思う。


 多分あたしはもう、“放っておけない”を通り越してる。

 この子が傷つくと嫌だし、揺らされると腹が立つし、守りたいみたいな感情まで出てきてる。


 それが何なのか、まだちゃんとは言えないけど。


 少なくとも。


 あの美良って姉の好きなようには、させたくない。


 そう思うくらいには、もうかなり手遅れだった。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ