第十四話「お色気転校生は、どう考えても空気が強すぎる」
朝から、教室の空気が少し変だった。
「……なんか騒がしくない?」
「うん」
「いつもより三割増しくらい」
あたしがそう言うと、澄鈴が頷いた。
「朝から女子の会話量が多い」
「分析しなくても見ればわかる」
「理由はわかってる?」
「いや?」
登校してからずっと、教室のあちこちで似たようなざわめきが起きている。
誰かが廊下を見て、ひそひそ話して、空気が揺れる。
嫌な予感しかしない。
あたしの隣では、メイベルが少しだけ緊張した顔で周囲を見ていた。
「な、なにかあるんでしょうか……」
「多分、ろくでもないこと」
「ろ、ろくでもないんですか……?」
「こういうざわつき方は大体そう」
「経験則なんですか……」
「高校生なめないで」
とはいえ、本当に何があるのかはまだわからない。
わからないけど、こういう時は大体、“何か目立つもの”が来る。
そして、それはホームルームが始まってすぐに判明した。
「はい、静かにー」
担任が教室に入ってきた。
その後ろに、見慣れない女子が一人。
その瞬間、空気が変わった。
「……」
「……」
いや、ちょっと待って。
美少女、とかそういう言葉で雑に片づけるのも違う気がした。
長い赤髪、白い肌、涼しげな目元。制服の着方もきっちりしてるのに、なぜか妙に色気がある。
立ってるだけで“自分が見られてる”ことを前提にしてる人間の空気をまとっていた。
――強い。
第一印象、それだった。
「今日からしばらく、このクラスに転入することになった西宮美良さんだ」
ざわっ、と教室が揺れる。
西宮美良。
先生がそう言った。
でも、その名前が耳に入った瞬間。
「……っ」
隣で、メイベルの体がびくっと震えた。
「……?」
私はそっと横を見る。
メイベルの顔色が、目に見えて変わっていた。
血の気が引いている。昨日までの緊張とは違う。
これはもっと直接的な、“見覚えがあるものを見た時の反応”だ。
「メイベル?」
「……」
「ちょっと」
「……あ、えと」
「知ってる人?」
「し、しりま……」
「知らない顔ではないよね」
小声で聞くと、メイベルはさらに顔を青くした。
その時だった。
「西宮美良です」
教壇の前で、美良が微笑む。
「短い間ですけど、仲良くしてくれると嬉しいです」
声まできれいだな、とか、そういう感想が一瞬浮かんで、それ以上に。
――あ、これは人気出るやつだ。
という確信が来た。
実際、教室の空気は一瞬で持っていかれていた。
男子も女子も見てる。しかもただ“綺麗”ってだけじゃなく、どこか近寄りがたい感じもあるから余計に目立つ。
なのにその美良は、教室を見回したあと、なぜか。
ほんの一瞬だけ。
まっすぐ、こっちを見た。
「……?」
いや、正確には。
あたしと。
メイベルを。
その視線に、メイベルの肩がさらに強く跳ねた。
――あ、だめだこれ。
絶対知り合いだ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ席は……」
担任が教室を見回す。
やめてくれ。
嫌な予感しかしない。
「東の後ろが空いてるな。そこにしてくれ」
終わった。
「……」
「……」
メイベルが完全に硬直した。
美良は「はい」と小さく答えて、まっすぐこちらへ歩いてくる。
歩き方ひとつとっても隙がない。音もなく近づいてくる感じがして、変に存在感がある。
「よろしくね、東さん」
机の横で立ち止まって、美良がふっと笑う。
「……どうも」
「ふふ。警戒されちゃった」
その言い方がもう強い。
初手から距離感の詰め方がうまいというか、慣れてるというか。
正直、苦手なタイプだ。
それから美良は視線をずらして、メイベルを見た。
「それから……」
「っ」
メイベルが息を呑む。
「あなたも、よろしく」
柔らかい声だった。
柔らかいのに、メイベルの表情はまるで死刑宣告でも聞いたみたいだった。
「……は、はい……」
「ふふ」
美良が席につく。
それだけで、私の背中側の空気が一気に落ち着かなくなった。
なんだこれ。
後ろにラスボスでも座った?
ホームルームが始まっても、あたしは妙に集中できなかった。
メイベルはもっとひどい。さっきから完全に挙動がおかしい。
黒板を見るふりをして、全然見てない。呼吸も浅い。
後ろから、時々、くすっと笑う気配がする。
美良だ。
何がそんなに面白いのか知らないけど、その余裕がまた怖い。
◇ ◇ ◇
一時間目と二時間目の間の休み時間。
案の定、美良の席のまわりにはすぐ人が集まった。
「西宮さん、前の学校どこだったの?」
「部活とかやってた?」
「めっちゃ綺麗だよね、モデルとか?」
質問攻め。
でも美良はまったく慌てない。
笑って受け流しながら、必要なことだけ答えて、相手を気持ちよくさせるタイプだ。
――慣れてる。
それも相当。
「見てる?」
「見えてる」
澄鈴が小声で言う。
「すごいね」
「何が」
「人のあしらい方」
「……」
「依夜と正反対」
「今比較必要?」
「必要」
「必要なんだ」
腹立つけど、事実ではある。
私は会話が苦手なわけじゃない。
でも、ああいうふうに“自分が注目されること”を前提に振る舞える人種ではない。朝輝が近いけど、あいつはまた違う方向に自然体だ。
この美良は、もっと明確に“見せる側”の人間だ。
「依夜さん……」
「なに」
「後ろ、こわいです……」
「知ってる」
「し、知ってるんですね……」
「君の顔見ればわかる」
メイベルは本気で縮こまっていた。
そこへ。
「東さん」
後ろから、声。
私は反射で振り返った。
美良が、にっこり笑っていた。
「少しいい?」
「……何」
「そんなに警戒しなくても取って食べないわよ」
「最近それ言う人多いね」
「ふふ、そう?」
なんだろう。
言い方が柔らかいのに、妙に神経を撫でられる感じがする。
この人、多分わざとだ。
「西宮さん、東と知り合いなの?」
と、誰かが気軽に聞く。
美良は一瞬だけ目を細めたあと、さらりと答えた。
「んー、まだこれからかしら」
それ、答えになってるようでなってないな。
クラスメイトたちは「意味深ー」とか笑ってたけど、私は笑えなかった。
メイベルの顔色がさらに悪くなってるからだ。
「……メイベル」
「は、はい……」
「大丈夫じゃないよね」
「だ、大丈夫です……!」
「大丈夫な人はそんな震え方しない」
「うぅ……」
そこへ、美良がふっと身をかがめた。
「あなた、もしかして体調悪い?」
優しげな声。
でもメイベルは、ほとんど飛び上がる勢いでびくっとした。
「だ、大丈夫です……!」
「あら、そう?」
「は、はい……!」
「ふうん」
美良は楽しそうに微笑む。
なんだろう。
今のやり取り、端から見ればただの気遣いだ。
でも、メイベルのこの怯え方を見ると、とてもそうは思えない。
◇ ◇ ◇
三時間目のあと。
トイレに立ったメイベルが、なかなか戻ってこなかった。
「……遅くない?」
「うん」
「また何かやらかしてるかな」
「心配の方向が悪い」
澄鈴に言われて、私はため息をつく。
だって、今のメイベルなら普通に迷子もありえるし、泣いて動けなくなってる可能性もあるし、最悪だと何か口を滑らせてる可能性まである。
「見てくる」
「そう言うと思った」
「何その理解者みたいな顔」
「理解者だから」
なんかむかつくけど否定できない。
あたしは教室を出て、廊下を歩く。
女子トイレの前まで来たところで、ちょうど中から小さな声が聞こえた。
「……っ、や、姉さま……」
「しー。ここでは美良って呼んでくれない?」
足が止まる。
やっぱり。
私は息を潜めて、そっと壁際に寄った。
「な、なんでここに……」
「妹が面白いことになってるって聞いたら、気になるでしょ?」
「お、面白いって……」
「だってそうじゃない。人間の学校で、制服なんて着ちゃって」
「わ、わたしは……」
「しかも」
くすり、と笑う声。
「ずいぶん懐いてるのね、あの子に」
あの子。
多分、私のことだ。
胸の奥がざわつく。
「そ、それは……」
「だめよぉ、メイベル。そんなにわかりやすく依存しちゃ」
「い、依存じゃ……」
「違うの?」
「……っ」
メイベルが言葉に詰まる。
その沈黙が、妙に痛かった。
「かわいいわねぇ」
「や、やめて……」
「でも、本当にだいじょうぶ?」
「……え」
「あの子、あなたが思ってるほどやさしいだけじゃないかもしれないわよ?」
「っ」
「人間って、面白いくらい簡単に変わるもの」
その言い方に、ぞくっとした。
何だこの人。
ただの姉妹喧嘩とか、心配して見に来た姉とか、そういう雰囲気じゃない。
もっとこう、相手の不安をわざと撫でて、揺らして楽しんでる感じがある。
メイベルの声は、もうだいぶ涙声だった。
「依夜さんは、そんな人じゃ……」
「あら、庇うの?」
「……」
「ふふ。ますますかわいい」
そこで、頭に血が上った。
「――かわいそうだから、そのへんにしとけば?」
気づいたら、口を挟んでいた。
中の気配が止まる。
数秒の沈黙のあと、扉が開いた。
出てきたのは、美良とメイベル。
メイベルは本当に泣きそうな顔。
美良は、まるで最初からそうなるのを知っていたみたいな顔で私を見た。
「あら」
「……」
「聞いてたの?」
「聞こえたの」
「ふうん」
美良は少しだけ首をかしげて、それから笑った。
「意外と過保護なのね、東さん」
「見てて趣味悪いなと思っただけ」
「きつい」
でも、全然傷ついた顔をしない。
むしろ面白がってる。
本当にやりにくい人だ。
「依夜さん……」
「大丈夫?」
と、メイベルに聞く。
メイベルはこくこくと頷こうとして、でもうまく頷けなくて、結局その場で立ち尽くした。
美良が、それを横目で見てふっと笑う。
「ふふ。やっぱり、面白い」
「……何が」
「あなたたち」
それだけ言って、美良は私たちの横をすり抜けていった。
香りだけが少し残る。
甘いのに、なんだか落ち着かない匂いだった。
私はその背中を睨みながら、隣のメイベルを見る。
「……姉さま、なんだ」
「……はい」
「最初から言ってよ」
「す、すみません……」
「謝るなとは言わないけど、今回はちょっと言ってほしかった」
「……ごめんなさい」
「……うん」
今回はまあ、謝ってもいい。
「……依夜さん」
「なに」
「怒ってますか……?」
「君には怒ってない」
「……!」
その一言で、メイベルの肩の力が少しだけ抜けた。
「ただ」
「……はい」
「姉の方には、だいぶ警戒してる」
「……」
「あの人、昔からああいう感じ?」
「……はい」
「そう」
それなら、なおさら放っておけないなと思った。
綺麗で、強くて、余裕があって、人の弱いところを知ってる。
そういう相手に、このメイベルがまともに対抗できるとは思えない。
「……依夜さん」
「なに」
「さっき……」
「うん」
「助けてくれて、ありがとうございます……」
泣きそうな顔でそう言われると、また胸の奥が変にむずむずする。
「別に」
「でも……」
「見てられなかっただけ」
「……!」
メイベルが、少しだけ嬉しそうに目を潤ませた。
ああもう。
その顔、本当に反則だと思う。
教室に戻る廊下を歩きながら、私は小さく息を吐く。
転校生イベントとかいうから、せいぜい面倒な人間関係が増えるくらいかと思っていた。
でも違った。
――あれは、明らかに“外から来た厄介ごと”だ。
しかも、メイベルの過去と直結してるタイプの。
そして何より。
「……依夜さん」
「なに」
「ちょっとだけ……近くにいてもいいですか……?」
「ちょっとだけね」
「はい……」
そう答えた時点で、私はもうかなり巻き込まれてる。
放っておけない。
ううん、多分もう、それ以上だ。
あの美良って人に、メイベルを好き勝手揺さぶられるのが。
思ってた以上に、腹が立つ。




