58話(番外編 避けられぬ婚姻)
和平が結ばれてから、しばらくして、王宮には、隣国からの正式な使者が訪れていた。
彼らが通されたのは、謁見の間。そこには、王と、宰相、そして限られた重臣が、控えていた。
「両国の関係を、より強固なものとするため参りました」
使者は静かに告げた。
「我が国の王女を、陛下のもとへお預けしたく存じます」
その言葉は、遠回しでありながら、意味は、あまりにもわかりやすかった。
王への婚姻の申し出。
場の空気が、わずかに張り詰める。
そして次の瞬間、その緊張は、別の形へと変わった。
「これは、願ってもないご提案にございますな」
重臣の一人が、抑えきれずに口を開いた。
「両国の関係は、より盤石なものとなりましょう」
「めでたいお話ですな。これほど確実な同盟はございません」
次々と歓迎の声が上がる。誰もが望んでいる、これは受けるべき話だと。
反対する者は誰一人としていなかった。
(……避けては通れぬ、か)
心の中で、ライナーが観念するように呟く。
予感がなかったわけではない。
和平を結んだ以上、このような話が出るのはどこかで覚悟はしていた。
政略結婚、それは、王族として生きるなら当然のことだ。頭では理解している。だが……。
それは同時に、私だけではない、相手の人生も、国に捧げさせるということでもある。
重臣たちの視線が、痛いほどに突き刺さる。
彼らの胸にあるのは、期待、信頼、そして、わずかな打算だけだ。
まるで、断るという選択肢など、存在しないとでも言うように。
(王である以上……)
思考が、冷静に結論を導く。
(受けるべきだ)
それが最善、義務、それこそが正しい選択。
(わかってはいる。それでも……)
ふと、脳裏に浮かんだのは、一人の令嬢の姿だった。
静かに微笑む横顔。言葉を選び、考え抜き。
戦を回避しようとした、あの凛とした姿。
『戦わずに済む道を模索した。民のため、それを決断なさった陛下はご立派です』
あの時言われた言葉が、蘇る。
(……あれは国のため、民のため。だが、この婚姻の報を聞いたとき、彼女は果たしてあの時と同じ言葉をもう一度、私に掛けるのだろうか)
「陛下?」
宰相の声で、意識が引き戻された。
気づけば、場は静まり返っていた。すべての視線が、自分に向けられている。
ただ、選択肢のない答えを、待っている。
そう王としての答えを。
ライナーは、ゆっくりと息を吸いこんでそして吐いた。
(私には本当に選択肢はないのか?)
「少し、考える時間をいただきたい」
ただ一言、そう告げただけなのに、周囲は、一瞬の静寂に包まれた。
「は……?」
そして戸惑いの声がどこからともなく漏れた。
それは当然の反応なのかもしれない。
即答するものと、誰もが思っていたのだから。
「陛下、それは……もしや迷われておられるのですか」
重臣の一人が、驚きながら問うた。
「これは、国の行く末に関わることだ」
はっきりとした声で遮る。
「軽々しく決めるわけにはいかぬ」
だったその一言で、場は押し黙った。
誰も、反論できない。だが同時に、誰もが理解していた。
(陛下は迷っておられる。あれほど民のため、戦を回避し和平を結ばれた方が)
それが意味するもの……結局、その日ライナーは結論を出さなかった。いや、出せなかった。
使節団は信じられないといった顔で、謁見の間を後にした。
残された時間は、わずか二日。
使節団が持ち帰る報告が『円満な婚約』か、あるいは『新王のな拒絶』か。
そのどちらになるかで、ようやく手にした平和の形は、もしかしたら崩れ去るかもしれなかった。
どちらにせよ『王が迷っている』そうあちらの国には報告されるだろう……。
私は翌日もまた、同じ問いに、向き合い続けていた。
(私が選ぶべきは……わかっている、わかってはいるが、それでも)
これほどまでに自分を迷わせているのが、彼女だという事実。
そのことに、ライナーはこの時、初めて気づいた。
舞踏会の後、辺境伯領に帰った彼女に思いを馳せた。まだ別れたばかりなのに無性に彼女に会いたかった。そして、この胸の内を聞いて欲しい。叶わないとわかっていてもそう願わずにはいられなかった。
(いつからだろう? これほどまでに彼女に心が囚われてしまったのは)
そんなことを思いながら、同時にこの選択は、この国の未来を大きく左右するものになることは痛いほど自覚していた。




