57話(番外編 ライナーの決意)
舞踏会を数日後に控えた王宮では、すでに様々な思惑が交錯していた。
王宮の廊下には、以前とは違う空気が流れていた。
和平の功労者であるエミーに対し、目に見えて好意的な態度を示す者が増えたのは確かだ。しかし、それらすべてが平穏を意味するわけではない。
陛下との距離が急速に縮まった彼女を、面白くないと冷ややかな目で見つめる令嬢たちも、決して少なくはなかった。
「……最近、やけに目立つ方がいらっしゃいますわね」
「ええ。元はどなたの婚約者でしたかしら」
それは嘲るような声だった。それもわざと聞こえるように。
彼女たちの視線はエミーに注がれていた。何人かの令嬢たちが、これみよがしに噂話を始める。
「陛下に気に入られているからといって……少々、目立ち過ぎではなくて?」
「なんでも陛下の就任舞踏会に参加するため、辺境伯領へは戻らず、この王宮に部屋を用意してもらってるそうよ」
「まあ、あの方は、遠い辺境のご出身ですもの仕方ないですわ。ですが、もう少し、分をわきまえるべきではなくて」
くすくすと笑いが漏れ聞こえる。そんな嫌味にエミーは立ち去ることはなかった。
寧ろそのまま、彼女たちに歩み寄った。
「お話は、終わりまして?」
落ち着いた声で話しかけると、令嬢たちは一瞬だけ言葉を失う。
「わたくしも、少し気になっておりましたの。辺境の地が、皆様からどのように見られているのか」
にこやかに微笑み返しながら話を続けた。
「誤解があるといけませんわ。もしよろしければ、今度お時間をいただけませんか? 国境の実情について、きちんとご説明いたしますわ」
話し方は確かに柔らかかった。しかし彼女たちに逃げ場はない。
令嬢たちは顔を見合わせ、言葉に詰まる。
「……い、いえ、そのような……」
「そうですか。残念ですわ」
そう言って軽く一礼する。それだけで、立場は完全に逆転していた。
誰も、もう何も言えない。
エミーは何事もなかったかのように、その場を後にした。
悪意ある令嬢たちに、動じることなどない。
それが、彼女の強さでもあった。
ーーーー
そして、舞踏会当日。それは新たな時代の幕開けだった。
王都では、正式な即位を祝う舞踏会が開かれた。
煌びやかな灯りに、流れる音楽。
しかし、会場中の注目を一身に集めていたのは、かつての王とは全く違う雰囲気を持つ、一人の若者だった。
華美ではなく、どこか落ち着いた気品が漂う。それこそが、今の王の存在を示していた。
エミーは、その様子をどこか誇らしく感じながら、一人バルコニーへと移動した。
周囲の冷たい視線を感じながらも、彼女はどこまでも毅然としていた。
(……相変わらずですわね)
視線の意味は、分かっている。
元婚約者。そして、今は陛下に近しい存在。
面白くないと思う者がいるのも、当然だろう。
(だからといってわたくしが、それに負い目を感じる必要などありませんわ)
その時、背後から声がかかる。
「少し、よろしいか」
振り返ると、ライナーが立っていた。
ーーーー
わたくしたちは、人影のないバルコニーで向かい合った。
そこに夜風が、静かに吹き抜ける。
「何だか騒がしいようだったが」
ライナーが問う。
「少しだけ」
エミーはわずかに微笑む。
「ですが、問題ありませんわ」
「……そうか」
その声にはわずかな安堵が滲んでいた。
(もしかしたら、わたくしのこと、心配してくれていたのかしら?)
しばらく、二人は夜の景色を眺めるていた。
するとライナーは、ぽつりと口を開いた。
「私は、この場に立つべき人間ではなかったのかもしれないな。だが……」
その言葉に驚きながらも静かに次の言葉を待つ。
「私自身は確かに、王の血を引いている。しかし私の母はこの国の人ではない」
その言葉の奥には重い過去がある。
一瞬、ライナーの視線が遠くなる。
「戦の末に、戦利品として連れてこられた人だった」
淡々と語ってはいるが、それがどれほどの意味を持つかは明らかだった。
「扱いは……決して良いものではなかった」
エミーはじっと、何も言わずにただ、静かに耳を傾ける。
「やがて、私と母は、南の地へと送られた。そこは暑さも厳しく、作物も育たぬような過酷な所だった。母は、元々身体が弱かった……結局はその環境に耐えられなかった」
短い沈黙が落ちた後、力強く言い切った。
「そんな私だからこそ、決めているのだ。誰もが安心して暮らせ、未来に希望を抱ける、そんな国を、築いていくと」
その瞳は、まっすぐだった。
そして、エミーを見つめた。
「私はこの国を根本から変えてゆく」
強い覚悟が伝わってきた。
「もし……私が誰かと生涯を共にすることがあるのなら、その者をただ一人の妻として迎える」
はっきりとした声で宣言した。
「側室制度は、廃止するつもりだ」
エミーはわずかに目を見開いた。
王族としては、考えられないその言葉。だけど彼が語った母の過去を思えば、それは驚きよりも深い納得となってエミーの心に響いた。
「……贅沢はさせられないかもしれない」
ライナーは苦笑いしながら言う。
「だが、その分誠意だけは、尽くすと決めている」
向けられた視線の先には、エミーがいた。
「これからは、今回のように、戦という選択をせず、対話による和平の道を模索し続ける。そうすれば、軍備のために、民に過酷な重税を強いる必要もなくなる」
さらに真剣な眼差しで続けた。
「王が質素を貫き、平和を尊べば、自ずと臣下もそれに倣うだろう。私は、そう信じている」
その言葉には、迷いがなかった。
エミーは、ゆっくりと息を吐いた。
「……とても、素敵なお考えです」
自然と出た、素直な言葉だった。
(わたくしは、たぶん……この方に惹かれ始めている)
この気持ちもまた、素直な想いだった。




