猫と女神の夏の思い出
パラレルワールドのお話と思ってください
あの『地球軌道会戦』から一年が経った。
ユキナ・ハルカのクサナギ姉妹と共に木星で暮らし始めてもう一年になる。
かつては『神の魔も斬り捨てる者』とまで呼ばれた元・月下の騎士、ジーン・レイナートはこの一年で立派な主夫へと生まれ変わっていた。
彼の一日は朝の食事の準備から始まる。
大体は彼が朝御飯を作っているとまずは姉のユキナが起きてくる。
そして食事の準備が整った所で、なかなか起きてこない妹のハルカをジーンが起こしに行くのが常であった。
こうして三人揃った所で朝の食事を済ませると、今度は掃除に取りかかる。
それから洗濯を始めて、次はお買い物。帰ってきたらお昼を準備し、午後は自由時間。
夕方になるとお風呂の準備をし、姉妹が入っている間に夕食の準備をする。
二人がお風呂から上がった所で夕食を食べ、諸々の後片づけを終えるとようやくジーンも入浴の時間となる。
この頃にはユキナは既に眠りについており、ハルカは自室で読書といった感じになっている。
風呂から出ると、ジーンは軽くお酒を飲んで喉を潤し、汗がひいたところで自らも眠りにつく。
これの繰り返しが今のジーンの『日常』となっていた。
その事にジーンは不満はないし、穏やかなこの日常を彼は愛していた。
そんなジーンの日常は何の変化もないように見えて、実は毎日が変化の連続でもあった。
そう、例えばこんな事もある・・・
「おめでとう~! 一等景品は『七海アクアランドのペア・パスポート』だ~!!」
それは彼がいつも利用しているとある商店街の『夏の大くじ引き大会』での事だった。
ジーンはこの日の為にレシートと一緒にもらえるくじ引きチケットをまめに取っておいていた。そのかいもあって彼は五回ガラガラを回す事ができた。
ジーンの狙いは二等の『5万G商品券』であったのだが、結果は4回連続で外していた。
(何としてもアレを手に入れて、共同生活一周年の豪華な夕食を作るんだ!!)
残念賞でもらったポケットティッシュ四つを握りしめながらジーンは
祈りを込めて最後の一回を回した。
(神よ、俺に奇跡を・・・!)
あまりに実像を知りすぎた神様にはちょっとばかりお祈りする気にはなれなかったので、ジーンはとりあえず自宅で待ってる双子の女神以外の神様にそう願ったのであった。
しかしそんな浮気心がいけなかったのか。結果は微妙にズレてしまい、欲しかった二等の景品ではなくてできれば欲しくなかった一等の景品を当ててしまう事となった
「やったね兄ちゃん。こいつで彼女とデートでもして来るんだな!」
普段から人当たりの良い八百屋のおじさんのそんな一言が、今日に限っては憎らしく思えてしまう。
(仕方ないか・・・)
「・・・という訳でチケットが手に入ったから二人で行って来たらどうかな?」
その日の晩、夕食を食べながらジーンはチケットが当たった事を話して姉妹にそう提案する。するとユキナが囃し立てるような口調でジーンとハルカにこう提案した。
「あら。私はいいからハルカちゃんとジーンちゃんの二人で行って来て。折角のチャンスですもの。二人でデートでも楽しんできなさいな♪」
この一年間ですっかり打ち解けたジーンとユキナだったが、そのお陰でジーンはユキナからハルカと同じく『ちゃん』付けで名前を呼ばれるようになっていた。
「で、デートだなんて、姉上!」
「い、いや。私はその・・・そう、家の事もあるから留守番しているよ、うん。二人こそこの機会に姉妹水入らず・・・ってプールに行くのに『水入らず』は変だけど、たまには一緒に出かけるのもいいんじゃないか?」
そうもっともらしく話をするジーンであったがその態度はあからさまにあやしかった。
ジーンのその態度に姉妹はふと、ある可能性に気づく。
「もしかしてジーン、泳げないの?」
その一言にピキッと音を立てて凍り付くジーン。
「そ、そんな事は、無いぞ!?」
「なら三人で一緒に行きましょ? ジーンちゃんの分は私達が出してあげるから♪」
「そうだな。何、遠慮する事はないぞジーン。日頃のお前の働きに対しての感謝の気持ちなのだからな・・・」
ジーンはこの時思った。さすがに双子だと。
(よく似てるよ・・・底意地の悪さが・・・)
楽しげに微笑む二人を前にジーンは首を横に振る事ができなかった。
次の日、天気は快晴。まさしく絶好のプール日和であった。
「男を待たせるのは女の特権、女を待つのは男の甲斐性とはよく言ったものだけど・・・遅いな二人とも」
すでに水着に着替えてプールサイドで姉妹を待つジーンはそんな風に一人つぶやいていた。
かなり気が重い。
大量の水を前にしてジーンはどうやってそこから逃げるかを必死に考えてみるがなかなか良い考えは浮かばなかった。
すると、突如プールの一角から大きなざわめきが聞こえ始めた。
そちらへと目を向けると、そこにいたのは男達の視線を今まさに独り占め、もとい二人占めする双子のご主人様達がいた。
「おおっ・・・!!」
この時ばかりはさすがに重苦しい空気がどこへともなく吹き飛んだ。 ユキナは普段の大人しめな印象からは想像もつかない露出度の高い、真っ赤なハイレグ・ビキニを着込んでいた。
一方のハルカはこちらもいつもの勇ましい軍服姿からは想像も付かない白のハイレグワンピースという、どこか清純な少女を思い浮かばせる水着を着込んでいた。
まさに赤と白のコントラスト。双子の姉妹だけにそれはよけいに美しく映えた。
(スタイルいいよな・・・二人とも)
と、内心で邪な思考をしてしまうのは男の性か。
「何を見ているジーン?」
気が付くと二人は惚けたように見ているジーンの前に立っていた。
「い!? いや、別に何も・・・」
そう言って慌ててそっぽを向いたジーンだが、その顔は耳まで真っ赤になっていた。
そんなジーンの反応にハルカは珍しく微笑すると何事もなかった様にジーンの手を取る。
「それでは泳ぐとするかジーン?」
「へ? いや俺はその、ここで・・・」
「そんなこと言わないで、ジーンちゃん♪」
後込みして逃げようとするジーンを、ユキナがハルカと同じように反対側から手を取って捕まえる。
二人とも、逃がさないようにしっかりと掴んでいる為、ジーンは両腕に何とも心地よい温もりと柔らかさを感じていた。
(おおっ! これは・・・!!)
ジーンは今、至上の幸福を味わっていた。それこそ周りの男共の嫉妬の視線すら心地よく思える程に・・・。
「さあ行きましょ、ハルカちゃん♪」
「ええ、姉様♪」
そう言って姉妹はジーンの腕を掴んだまま真っ直ぐにプールへと歩いていく。
「ちょ、ちょっと。待って・・・」
ジーンが双子の意図に気づいた時にはすでに遅かった。
二人とも、外見こそか弱く見えるが歴とした神クラスの存在である。 一方、只の人間であるジーンにその手を振り解く事などできるはずが
なかった。
徐々に目の前へと迫る水面。そして・・・
『そ~れ♪』
こうしてジーンは文字通り、一気に天国から地獄へと突き落とされたのであった・・・。
「わっぷ! た、助けて・・・!! 俺、・・・本当は・・・泳げ・・・ない!!」
突き落とされて恐慌状態に陥ったジーンはすぐに大量の水を飲み込んでしまい、そのままプールの底へと沈んでいったのだった。
唇に柔らかな感触が押し当てられた。
(・・・何だろう・・・?)
意識の奥底で眠っていたジーンの自我がその感触にふと目を覚ます。 息が吹き込まれる。体の中が不思議と暖かくなるのを感じる。
急に苦しくなって思いっきり咳き込むと、何かが口から出ていくのがわかった。
体が楽になった気がして僅かに目を開ける。
誰かが今にも泣きそうな顔でジーンの顔を覗き込んでいる。
その顔には見覚えがあった。
(また、傷ついたのか・・・? そんな顔するなって・・・)
そう言いたいのに何故か声が出ず、体も動かなかった。
だから少しでも安心させようと口元だけを必死に動かして微笑んで見せた。
そこまできて意識は限界を迎え、再び自我は眠りへと落ちていくのであった・・・。
「・・・気が付いたか?」
「大丈夫、ジーンちゃん?」
次に目を覚ました時、ジーンはプールサイドで横になっていった。
頭の下には柔らかな感触。
ジーンはすぐに自分が誰かに膝枕をしてもらっている事に気が付いた。
「ったく。男のくせに泳げないとは。本当に情けない奴だな、ジーンは・・・」
怒りの為か、顔を紅潮させたままハルカがそう言いきった。
「そう言うものじゃないわハルカちゃん。誰にだって苦手はあるんですもの。それに突き落とした私達にも責任はあるし・・・」
ユキナはジーンを膝枕したままそう言ってハルカをたしなめた。
「・・・フン!!」
ハルカは軽くジーンを一瞥した後ますます不機嫌そうにそっぽを向き、
「一泳ぎしてくる」
と言ってさっさと歩いていってしまった。
その様子を黙って見ていたジーンは
(確かに・・・情けないよな・・・)
と内心でそうつぶやくのであった。
それからすぐに体を起こしたジーンは、心配してくれているユキナにも泳いでくるように勧めると、日陰を見つけてそこでもう一寝入りする事にした。
「おいっ、ジーン!!」
少しばかり寝入っていたジーンはしかしその声に反応して目を覚ます。
すると、目の前にはハルカが立っていた。
「・・・こっちに来い!」
そう言って有無を言わさずジーンを立たせてその手を取ると、足早にジーンを引っ張っていく。
「イテテ! どこに行くんだよ、ハルカ?」
ハルカは答えない。手を掴んだままさっさと歩いていく。
「ここは・・・」
ジーンの手を引っ張っていたハルカがようやくその足を止めた所は、深さが大人の腰ほどしかない浅めのプールであった。
「・・・五人だ」
「は?」
ハルカの突然の一言は当然ながらジーンには理解ができなかった。
何が五人なのか?
「お前が日陰で寝こけている間に五人もの男どもが私を口説きに来た!それというのもお前がしっかりしていないからだ!!」
「おい! それって俺は関係ないだろ!? いいじゃないかナンパぐらい。それだけハルカが魅力的だって事だろ?」
そう言いながらも内心でジーンは『そいつらを見つけだして二度と手を出そうなんて思わないように焼き入れてやるっ!』と思っていた。 しかしその一言がハルカの怒りに余計な油を注ぐ事となった。
「好きでもない男に言い寄られた所でうるさいだけだ! ・・・お前がちゃんと私の側にいたなら、こんな思いはしなくてすむんだ!!」
「へっ!?」
ハルカの口から飛び出たその一言にジーンも思わず思考が停止した。 ハルカは、しまった!という顔をすると、失言を取り繕うようにそのまま続けた。
「と、とにかく!泳げるに越した事はないのだから泳げるようになれ!!私が・・・その・・・教えてやるから! ふ、不本意だがな!!」
「ハルカ・・・」
「いいか、仕方なくだぞ! 変な勘繰りはするなよ!!」
そう叫ぶハルカはしかし顔を真っ赤に染めていた。
そんなハルカの様子にジーンは初めて笑顔を見せた。
「わかったよ、ハルカ」
「・・・何を笑っているのか気にはなるがまあいい。ビシバシ行くから覚悟しろよジーン!!」
「・・・お手柔らかにお願いします・・・」
この一言だけは何の含みも加えずにジーンは言った。
何せ訓練をつけてくれるというこの相手は仮にも『軍神』なのだから・・・。
かくしてジーンの水泳特訓は始まった。
まずは水に慣れる訓練。
その次にジーンの両手をハルカが持って行うバタ足の訓練。
それから今度はそのままハルカが後ろ向きに歩いて泳ぎを覚える訓練に入った。
手を掴んでもらっている内はまだ大丈夫だったが、少しでもハルカがジーンの手を離してしまうと、たちまちの内にジーンは溺れる事となった。
そしてその度にジーンはハルカの胸を鷲掴みしてしまい、その体を実に水面から2mは浮き上がらせる事となった。
そうこうする内に今度は、『一人じゃつまらな~い』と言ってユキナもジーンの特訓に参加する事となった。
そしてこれもまたお約束通り、溺れたジーンは今度はユキナの胸を両手で鷲掴みしてしまい、水の抵抗など微塵も感じさせないハルカの美しいかかと落としがジーンの後頭部を直撃する事となった。
ジーンは振り落とされたかかとの勢いはそのままにプールの底に顔面から突っ込むという極めて珍しい体験をする事となった・・・。
こうして役得とそれを上回る艱難辛苦をかろうじて乗り越えたジーンは、その日の夕暮れまでには何とか息継ぎなしで25mを泳ぐ事ができるようになっていた。
「泳げるようになって良かったわねジーンちゃん♪」
屋敷への帰り道、ユキナが満身創痍のジーンに優しく微笑みながらそう話しかけてきた。
「確かにね・・・。危うく特訓の成果を三途の川で試す所だったけどね・・・」
そう言ってジーンは先を行くハルカの方を見たが、ユキナはクスクスと笑うのだった。
そしてユキナは、まるで何か大事な秘密を打ち明けるかの如くジーンの耳元へ自らの口元を寄せると、そっと小声で囁いた。
「そう言わないの。・・・最初にジーンちゃんが溺れた時の事、覚えてる?」
「え? そりゃあ勿論・・・」
ユキナの膝枕の感触もそうだったが、それ以上にあの時のハルカの怒った顔が強く印象に残り、忘れたくても忘れる事ができなかった。
自分の情けなさを痛感させられて・・・。
「・・・ここだけの話だけどね。あの時のジーンちゃんったら息をしてなくて・・・。慌てて人工呼吸をしたんだけど・・・。誰がそれをしたんだと思う?」
「へっ!?」
そうだったのか、と思う反面で確かにうっすらと誰かの唇が重なったような記憶がある事にジーンは気が付く。
そこで真っ先にユキナだと考えたのだが、それにしては様子が変だし何もこんな風に隠す必要もないだろうと思い至る。
改めてあの時の事を思い出そうとしてジーンはすぐにあの時のハルカの怒った顔を思い出す。
そしてジーンはある可能性に気が付く。
あの時、ハルカの顔が赤かったのは怒っていたせいだけじゃなくて・・・。
「もしかして・・・」
「そこ! 二人で何をコソコソ話をしているの!!」
突然、ハルカは怒ったように振り返り、ビシッと二人を指さした。
しかしユキナはそんなハルカを気にした風もなく、
「別に♪ 何でもないわよねジーンちゃん?」
と軽く受け流す。
それにつられるようにジーンもまた、思わず苦笑して答える。
「ああ。別に何でもないよハルカ」
「・・・その割には口元が笑っているけど?」
殺気立つハルカにしかしジーンは事も無げに言い切った。
「好きだよ、ハルカ」
ジーンのその一言にハルカはボンッと音が聞こえそうな勢いでその顔を真っ赤にした。
「な、な、何を言う!?」
「あら、好きなのはハルカちゃんだけジーンちゃん?」
「勿論ユキナの事も好きだよ。二人の側にいられて、俺は幸せだ」
「~~! 行きましょう、姉さん!!」
真っ赤な顔はそのままに、慌ててユキナの手を掴んだハルカは、そのまま早足でジーンから離れようとした。
そんなハルカにユキナはクスクスと笑いながら素直に従う。
「何だよ~。一緒に帰ろうよ、ハルカ~!」
「消えてなくなれ!!」
「あらあら、ハルカちゃんったら・・・」
こうして、今日も三人の平凡な一日が過ぎていく。
とある夏の日の出来事であった。
このシリーズはこれで終了です。




