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婚約者を捨てた俺は、なぜか誰からも必要とされなくなった  作者: 大豆
セレナ視点

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8/15

私の名前を使う人

王宮からの使者に連れられて、私は謁見室へ向かった。


国王陛下が私を呼ぶ。

それだけなら、特別珍しいことではない。


アーデルハイト家は王国でも有力な家だ。

父が呼ばれることもあれば、私が商会関係のことで呼ばれることもある。


だから私は、いつも通りに扉を開けた。


「セレナ・アーデルハイト」


「はい」


「急に呼び出してすまない」


「いえ」


私は頭を下げた。


謁見室には、国王陛下のほかに宰相、財務長官、そして数人の高位貴族がいた。


その中に見覚えのある顔があった。


ヴァルディス侯爵。

レオンの父親だった。


私は一礼した。


「お久しぶりです」


「ああ」


侯爵の表情は重かった。

以前会ったときより、随分と疲れて見える。


「セレナ嬢」


国王陛下が口を開いた。


「今日はヴァルディス侯爵家について話がある」


「承知しました」


「最近、ヴァルディス家の商会がかなり苦しい状況にあることは知っているか?」


「噂程度には」


「原因について、侯爵から話がある」


私は侯爵を見た。


「……セレナ嬢」


「はい」


「一つ、確認したい」


「何でしょう?」


「ヴァルディス家との取引を、意図的に制限しているのか?」


私は少し驚いた。


「いいえ」


即答した。


「ただし、信用状況に応じて取引条件を変更しています」


「それは、ヴァルディス家だけか?」


「いいえ」


「他の商会にも同じように?」


「はい」


「そうか」


侯爵は目を伏せた。


私はそこで気づいた。


ヴァルディス家は私が意図的に取引を止めていると思っている。


「契約を断ったものについては、すべて理由を記録しています」


「見せてもらえるか?」


「もちろんです」


私は持参していた資料を差し出した。


財務長官が受け取る。


一枚。

二枚。

三枚。


資料をめくっていく。


「……なるほど」


「支払い能力に問題があると判断した契約については、担保や短期決済を求めています」


「ヴァルディス家にも提示したのか?」


「はい」


「受け入れなかった?」


「はい」


「なぜだ?」


私は少し考えた。


「以前のヴァルディス家なら、問題なく受け入れられた条件だったと思います」


「……」


「ですが、現在の資金状況では厳しいのだと思います」


侯爵は黙った。


国王陛下が尋ねる。


「セレナ嬢」


「はい」


「お前は、レオンを恨んでいるか?」


謁見室が静かになった。


私は少し考えた。


「いいえ」


「本当に?」


「はい」


「婚約を破棄されたのだぞ?」


「もう終わったことです」


「それでも?」


「はい」


国王陛下は私をじっと見ていた。


「ならば、なぜヴァルディス家を助けない?」


私は少し驚いた。


「助ける理由がないからです」


侯爵が顔を上げた。


「……」


「私はヴァルディス家の人間ではありません」


「だが、昔は――」


「昔は婚約者でした」


私は静かに言った。


「今は違います」


「……」


「ヴァルディス家を助けることが、私の家にとって利益になるなら協力します」


「そうでなければ?」


「しません」


財務長官が小さく頷いた。


「合理的だ」


私は礼をした。


国王陛下は少し考えたあと。


「分かった」


そう言った。


「もう一つだけ聞こう」


「はい」


「レオンが、お前の名前を使って王都の商人に何か働きかけているという話を聞いたことは?」


私は眉をひそめた。


「……ありません」


「最近、複数の商人から報告があった」


宰相が説明する。


「レオンは、『セレナ嬢はヴァルディス家との関係を修復する意思がある』と伝えていたらしい」


私は絶句した。


「私が?」


「そうだ」


「そのようなことは、一度も言っていません」


「承知している」


宰相は淡々と答えた。


「だから確認している」


私は少し考えた。


レオンは、私の名前を使っている。

私が取引を再開するつもりだと思わせ、商人たちから信用を得ようとしている。


「……なぜ、そんなことを?」


「おそらく、商会の信用を維持するためだろう」


財務長官が答えた。


「『アーデルハイト家との関係が戻る』と思わせれば、ヴァルディス家との取引を続ける商人も出る」


「なるほど」


私は理解した。


ただその方法は危険だった。


「ですが、私の名前を使うなら、私が否定した場合逆効果になります」


「その通りだ」


宰相が頷く。


「だから呼んだ」


私は資料を整理した。


「私から、何か声明を出しましょうか?」


「いや」


国王陛下が首を振った。


「必要ない」


「ですが、誤解が広がるのでは?」


「いずれ分かる」


国王陛下はそう言った。


「嘘は長く続かない」


謁見が終わる。


私は王宮を出た。

馬車に乗り込む。

窓の外を眺めながら、考えていた。


レオン。なぜ、そこまでして私の名前を使うのだろう。

婚約は終わった。

私はもう、彼の人生には関係ない。

なのに。

彼はまだ私に頼ろうとしている。


そのことに怒りはなかった。

ただ少しだけ悲しかった。


昔の私はレオンが私を必要としてくれればいいと思っていた。


でも今の彼が必要としているのは、私ではない。


私の名前。私が築いた信用。私が積み上げた仕事。

それだけだ。


「……そういうことですか」


私は小さく呟いた。


翌日。

商会へ行くとすでに噂は広がっていた。


「セレナ様」


マルセルが慌てた様子でやってくる。


「どうしました?」


「ヴァルディス家が、セレナ様の名前を使って商談をしているようです」


「王宮から聞いています」


「何か対処しますか?」


私は少し考えた。


「いいえ」


「よろしいのですか?」


「私が否定すれば、逆に話が大きくなります」


「では?」


「何もしません」


「……」


「ただし」


私は言った。


「私の名前を使った契約だけは、すべて確認してください」


「分かりました」


「私が承認していないものは無効です」


「承知しました」


その日の夕方。

一人の商人が訪ねてきた。


「セレナ様」


「はい」


「ヴァルディス家との契約について確認したいことがあります」


「どうぞ」


「レオン様から、アーデルハイト家との関係が修復されたと聞きました」


「それは事実ではありません」


「……やはり」


商人は困った顔をした。


「実は、ヴァルディス家にかなりの商品を納入してしまって」


「契約書を見せてください」


「はい」


私は契約書を確認した。


「これは?」


「レオン様が、セレナ様から了承を得たと」


「私は知りません」


「……」


「この契約は私の署名がありません」


「では?」


「アーデルハイト家は関与していません」


商人の顔が青くなった。


「どうすれば……」


「ヴァルディス家と直接交渉してください」


「ですが、すでに支払いが……」


「それは私にはどうすることもできません」


「……分かりました」


商人は肩を落として帰っていった。

私はその背中を見送った。


少しだけ胸が痛んだ。

商人には何の罪もない。

レオンの言葉を信じただけだ。


私はマルセルに言った。


「今後、同じことが起きないようにしてください」


「はい」


「ただし」


「はい」


「ヴァルディス家を攻撃する必要はありません」


「……分かりました」


「私たちは、自分たちの仕事だけをすればいい」


「承知しました」


私はそう言った。


だが、その二日後。

状況が変わった。


王都の大手商会から、一斉に問い合わせが来た。


「ヴァルディス家との取引を続けていいのか」


「セレナ嬢は本当に支援するのか」


「アーデルハイト家はヴァルディス家と再び組むのか」


私はすべてに同じ答えを返した。


「個別の契約については、各商会で判断してください」


私はヴァルディス家を助けるとも、切り捨てるとも言わなかった。


ただ。事実だけを伝えた。

それで十分だった。


なぜなら商人たちは数字を見るからだ。


信用を見る。支払いを見る。利益を見る。

誰かの言葉だけで取引を続けるほど、商売は甘くない。


その結果ヴァルディス家から少しずつ取引先が離れていった。


私は何もしていない。

ただ嘘を否定しただけだった。


それから数週間。

私は仕事に追われていた。


王家との契約。新しい鉱山との交渉。輸送業者との契約。領地の農産物。

毎日、やることがある。


レオンのことを考える時間は、ほとんどなくなった。


そんなある日のこと。

商会長のマルセルが言った。


「セレナ様」


「はい」


「ヴァルディス家から、最後の交渉が来ています」


「最後?」


「はい」


私は書類を受け取った。


内容を読む。


かなり無理な条件だった。

大量の物資を。ほぼ原価で。しかも支払いは半年後。

私はすぐに首を振った。


「断ってください」


「やはりですか」


「この条件では商売になりません」


「分かりました」


「それと」


「はい」


「ヴァルディス家が困っているからといって、こちらが損をする必要はありません」


「承知しました」


私は書類を閉じた。


その夜。

屋敷に戻ると父が待っていた。


「セレナ」


「何でしょう?」


「王宮から連絡が来た」


「何か問題が?」


「いや」


父は少し困ったような顔をしていた。


「ヴァルディス家の件だ」


「……はい」


「レオンが、王宮に対してある主張をしたらしい」


「何を?」


父は答えた。


「お前が婚約破棄を逆恨みして、ヴァルディス家を経済的に追い詰めていると」


私はしばらく黙った。


「……そうですか」


「怒らないのか?」


「怒る必要がありますか?」


父は苦笑した。


「お前は本当に強くなったな」


私は首を振った。


「強くなったわけではありません」


「では?」


「もう、レオン様の言葉で自分の価値を決めないだけです」


父は何も言わなかった。


私は窓の外を見た。


夜の王都。たくさんの明かり。たくさんの人。

その中で。

レオンはまだ、自分を救うために私の名前を使っている。


でもそれは私には関係ない。

私は自分の仕事をする。

自分の人生を生きる。

ただ、それだけ。


翌朝。

王宮から正式な召喚状が届いた。


今度は私だけではなかった。

宛名には二つの名前が書かれていた。


セレナ・アーデルハイト。

そしてレオン・ヴァルディス。


私はその紙を見つめた。


いよいよ王宮が動く。


けれど。

私には一つだけ、気になることがあった。


どうしてレオンは、私を悪者にすることで、自分を助けられると思ったのだろう。


私はまだ知らなかった。

この王宮でレオンが最後に賭けようとしているものが。


ヴァルディス侯爵家の地位そのものだということを。

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