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婚約者を捨てた俺は、なぜか誰からも必要とされなくなった  作者: 大豆
セレナ視点

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10/15

私は何もしなかった

王家から届いた手紙を、私は何度も読み返した。

そこに書かれていた名前。


それは。

ヴァルディス侯爵家の次期当主について


そこに記されていたのは、レオンではなく。


レオンの父。現当主であるヴァルディス侯爵が、そのまま当主を続ける。


そしてレオンには、当主継承権を認めない。


理由は明確だった。


「商業上の信用を著しく損なう行為」

「虚偽の説明による取引誘導」

「王家への虚偽報告」


そして。

「婚約者であったセレナ・アーデルハイトへの一連の責任転嫁」


私は手紙を机の上に置いた。


「……そうですか」


特別な感情は湧かなかった。


嬉しくもない。

悲しくもない。

ただ。終わったのだと思った。


これでレオンは私の人生から、本当に消える。

そう思った。


ところがその日の午後。

商会に一人の客が来た。


「セレナ様」


「はい」


「ヴァルディス侯爵がお見えです」


私は少し驚いた。


「こちらへ」


しばらくして。

侯爵が入ってきた。


以前より、さらに疲れているように見えた。


「セレナ嬢」


「お久しぶりです」


「突然すまない」


「何かございましたか?」


侯爵はしばらく黙っていた。


そして頭を下げた。


「……すまなかった」


「頭を上げてください」


「いや」


「私は何もされていません」


「そう言ってくれることが、一番つらい」


私は黙った。


「お前は婚約を破棄されても、我が家を責めなかった」


「……」


「商会の仕事まで残してくれた」


「必要なものだったので」


「それでもだ」


侯爵は拳を握った。


「なのに、我が家はお前を疑った」


私は何も言わなかった。


「レオンは……」


そこで言葉を止めた。


「レオン様は?」


「今、別邸にいる」


「そうですか」


「何もしていない」


「……」


「食事もほとんど取らず、部屋に閉じこもっている」


私は黙っていた。


「会ってやってくれないか」


「申し訳ありません」


私は首を振った。


「できません」


侯爵は苦しそうな顔をした。


「そうか」


「はい」


「理由を聞いても?」


「必要がないからです」


「……」


「もう、私が会っても何も変わりません」


「それでも」


「レオン様が向き合うべきなのは、私ではありません」


「では、何だ?」


私は答えた。


「ご自身です」


侯爵はしばらく黙っていた。


「……分かった」


立ち上がる。


「セレナ嬢」


「はい」


「お前は強いな」


私は少しだけ笑った。


「強くありません」


「では?」


「ただ」


私は答えた。


「もう、昔には戻らないだけです」


侯爵が帰った。


私は仕事に戻った。


その日の夕方。

マルセルがやってきた。


「セレナ様」


「何でしょう?」


「ヴァルディス家から、最後の依頼が来ています」


「またですか?」


「はい」


私は書類を受け取った。

今度は商取引ではなかった。


一枚の手紙。そこには。

レオン自身の字で書かれていた。


『セレナへ』


私はそこで一度、読むのをやめた。


深呼吸をして。続きを読む。


『君に謝りたい』


私は黙って読み進めた。


『俺はずっと、自分が正しいと思っていた。

君は冷たい。仕事ばかりしている。俺にはもっと相応しい相手がいる。そう思っていた。

だから婚約を破棄した。

そのこと自体を、今でも間違いだったとは思っていない』


私は少しだけ眉を動かした。


そして。

最後まで読んだ。


『間違っていたのは、その後だ。

俺は、自分が選んだ人生がうまくいかない理由を、君のせいにした。

君が何もしていないことさえ、君の悪意だと思った。

君の名前を使えば、何とかなると思った。君が助けてくれると思った。

でも、君は何もしなかった』


私はそこで手を止めた。


『何もしなかったのに、俺だけが落ちていった。それでようやく分かった。

君は俺を落としたんじゃない。俺が、自分で落ちただけだった』


私は手紙を机の上に置いた。


マルセルがこちらを見る。


「どうされますか?」


私はしばらく考えた。


「返事をします」


「はい」


私はペンを取った。


そして一枚の紙に短く書いた。


『お手紙、ありがとうございました』


それだけでは足りないと思い。

もう一行。


『どうか、これからはご自身の人生を大切になさってください』


最後に。


『セレナ・アーデルハイト』


と署名した。


それを封筒に入れる。


「これを届けてください」


「承知しました」


マルセルが出ていった。


私は窓の外を見る。

夕暮れだった。空が赤く染まっている。


昔、この時間になると私はヴァルディス家の帳簿を確認していた。


レオンが帰ってくる時間に合わせて。

夕食の予定を確認して。

明日の仕事を整理して。


彼の生活まで、自分の仕事の一部だと思っていた。


今はそんなことを考える必要がない。

私は自分の仕事だけをする。

それで十分だった。


数週間後。

ヴァルディス家の再編が正式に決まった。


侯爵は当主を続ける。

レオンは領地の一部を管理する役目を与えられた。

商会も大幅に縮小された。


以前のような大きな商会ではない。


それでも完全に失われたわけではない。


レオンはそこで働くことになったらしい。


貴族の跡継ぎとしてではない。

一人の人間として。

商人たちと交渉し、帳簿を読み。

失敗すれば叱られる。成功すれば評価される。

そんな仕事をする。


それが彼にとって初めての「自分で選んだ人生」なのかもしれない。


私はもうそれを確認するつもりはなかった。


数年後。

私は王都で開かれた商業会議に出席していた。


以前よりも大きな仕事を任されるようになっていた。


アーデルハイト家の商会も王国内でも有数の商会へと成長した。


会議が終わり会場を出る。


外は穏やかな春の日だった。


「セレナ様」


商会の若い職員が声をかける。


「はい」


「次の予定ですが――」


私は彼の話を聞きながら歩く。


仕事の話。契約の話。これからの話。

それだけ。


ふと街の向こうに、小さな商会の看板が見えた。


ヴァルディス商会。

以前とは比べものにならないほど小さくなっている。


けれど店の前には人がいた。

商人と話している男性がいる。


遠くて顔までは見えない。


でも誰なのかは分かった。


レオンだった。


彼は以前より質素な服を着ていた。

商人と何か話している。

そして頭を下げている。

相手も頭を下げる。


その光景を見て。

私は少しだけ立ち止まった。


レオンがこちらに気づいた。


目が合う。


彼は驚いたような顔をした。


私は。小さく頭を下げた。

彼も。頭を下げた。

それだけ。


私は歩き出した。


「セレナ様?」


「何でもありません」


「そうですか」


「はい」


私は前を向いた。

もう振り返らなかった。


私たちの人生は。

とっくに別々になっている。


彼がどんな人生を選ぶのか。私は知らない。

私がどんな人生を選ぶのか。彼も知らない。

それでいい。


私は婚約を破棄された。

けれど。何かを奪われたとは思っていない。


むしろあの日。

レオンが私を自由にしてくれたのだと思っている。


私はずっと、彼を支えることが、自分の役割だと思っていた。

彼のために仕事をして。

彼の家のために働いて。

彼の未来を考えていた。


でも違った。私の人生は私のものだった。


そして。レオンの人生もレオン自身のものだった。


だから私は彼を助けなかった。

彼を傷つけもしなかった。

復讐もしなかった。


ただ何もしなかった。

自分の人生を生きただけ。


それなのに、彼は落ちていった。


それは私のせいではない。


彼自身が選んだ道の先に。

彼自身の結果が待っていただけだ。


「セレナ様」


「はい」


「次の商談、どうしましょう?」


私は微笑んだ。


「予定通り進めましょう」


「承知しました」


私は歩き続ける。


王都の大通りを、自分の足で。

自分の未来へ向かって。


もう誰かのためではない。

私自身の人生を歩くために。


――そして。それから何年経っても。


私は一度も。レオンを恨まなかった。


彼を憎む必要もなかった。


彼はもう私の人生を左右できる人ではないから。


私にとってレオン・ヴァルディスはただの昔の婚約者。

それ以上でもそれ以下でもない。


それが私が彼に与えた、最後の答えだった。

セレナ視点完結です。

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