仮面の下に
「…ダメだぁ、見つからない…」
エレザは音を上げて執務室の机に突っ伏した。 ここ連日、公務時間が終わると執務室に持ち込んだ書物をレイと手分けして片っ端から読み漁っていた。
しかし、関連がありそうな表紙の資料だけで数千冊はあり、その一つ一つが薄くても国語辞典並の厚さである。読み飛ばしては元も子もないので、それを最低限しっかりチェックしていると、夜中までつづけて一人二、三冊までが限界だった。
「ああ。簡単な事では無いな…」
レイも軽く溜息を吐きながら目の間を軽く揉み解した。
「…どうしてよりによって私なんかが…」
幾度となくぼやいた言葉を呟く。
「君だからこそ、かもな。実際、エレザは聖女に向いていると思うよ」
レイは近くの壁に体をもたれさせながら言った。
「皆に好かれている。警護で拝礼しに来る人々を見ていてそう思った。城の人々も君が丁寧に接してくれているのをよく見ている。 …今代の聖女はどんな人にも同じ目線で挨拶を返して、手を振ってくれるってね」
…それは前世からの自分の振る舞いというか性格そのままというだけなのだが、結果的にそれが人々には好評だったようだ。
「ただ、まぁ…そうは言っても、やはりいつまでもエレザを聖女としておくのは俺も反対だ。早い所、何とか方法を見つけないとな」
「あれぇ? 前は「君は皆の聖女であるべきだ~」みたいに言ってたくせに?」
「…あの時はな。今は違う」
レイはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
――…想い人の肌を他の男達に見られて、気分が良い筈がない。それに、このままでは遅かれ早かれ半強制的にいずれかの王子と婚姻させられてしまうだろう。 それは…国家に仕える騎士としては祝福すべきなのだろうが、とても自分には耐えられない。…だが、それを知られてこうして冷やかされたら厄介だ、言わないでおこう――
「でも、これじゃ埒が明かないね…」
「ああ。王都の資料館も探ってみたがダメだった。…折を見て、ヴォルトにも協力してもらって王都外でこの手の事に詳しそうな人を探してもらうよ。聖女が現れたのはこの国だけじゃない。 …どこかには一人くらい、エレザのように聖女の力をどうにか放棄したいと考えた人だっているかもしれない」
「私は王都から出られないから、そっちはお願いするしかないね。ヴォルトさんによろしく」
「そんな事を言うと感極まって泣くぞ、アイツは。…今日はもう遅い。休んだ方が良い」
壁掛けの時計は十二時を疾うに回っていた。
「うん、そうする」
執務室の奥にある寝室へと移動した。 扉を閉め、レイが扉の向こう…執務室側に立って警護に当たり続ける。
「…そういえば、レイとグリフォンズの皆って面白い成り立ちだったんだね」
着替えながら扉の向こうのレイに語り掛けた。
「…誰から聞いたんだ?ヴォルトか?」
「ううん、アレスタさんから。 レイが自分達問題児を纏める為に学校が組ませた、お目付け役だったって」
「…あいつと二人になったのか? …まったく」
「 ? 書庫で調べ物をしていたら一緒に閉じ込められちゃって。でも助けてもらったよ」
「…あれほど二人きりにはなるなと言ったのに…」
「でも、そんな人じゃなかったよ?…少し変わっている人だけど」
ネグリジェに着替え終えてベッドに入った。ドアの向こうでレイが軽く溜息を吐いた。
「…普段は、な。 …アイツはその…ごく稀に、人が変わる事があるんだ」
「え…それって…」
二重人格的な…?
「…エレザ。 アレス・ト・ダイス勲章と言うのを知っているか?」
「なにそれ?」
「本来は人間が取り得ない、幻の英雄勲章だ。…戦場で敵兵1000人を斬った戦士に授与されるという建前でな」
「せ、千人斬り…」
それは…血の気の多い人はそれを英雄と称えるのかもしれないが、自分からすれば…色々な意味で人間を辞めている、と思う。
敵とはいえ、千人も人を殺してまで得る称号を誇り、ありがたがるなんて…自分は英雄だと思わない。
「…実は俺も受章している」
「え…」
――レイ、誰も殺さない兵士になるって…
「…実戦試験でな。二日間で1000人以上捕虜にしていたらしい」
「ら、らしいって…」
安堵して大きく溜息を吐く。
「戦場で自分のスコアを数える趣味も、余裕も無かったから」
「…でも良かった。レイは誰も殺さない最強の兵士になるんだもんね」
「…ああ。 今のところ、保有者は俺一人だ。 …公式にはな」
「公式には…?」
「…ここからは血生臭い話になる。 寝る前に聞かない方が良いかもな」
「いやいや、そこまで話したなら、聞かなきゃ却って気になっちゃうよ…第一、何でアレスタさんの二重人格からこんな話に脱線したんだっけ…?」
…まさか。
「…俺よりも先に受章した筈の奴がいる。…それがアレスタだ」
「す、すごいじゃん。分隊の中にレイの他に、アレスタさんも捕虜をそんなに…」
「…アレスタは逆…正規の条件達成だった。…しかも、やり過ぎた」
「…え?」
書庫で自分に接した、あの掴み所のない軽薄な笑みが浮かんだ。 …こうしてレイに知らされても、とてもあの顔の下に大量殺人鬼の顔が隠れているとは信じられない。
「…あくまで可能性とか、だよね?」
「…残念だが、奴の戦果としか言いようが無い」
二重人格。
人格が変わってしまえば、もう片方がどんなに善人だったとしても…
「勲章を与えるには、敵兵とはいえあまりに凄惨すぎる惨状だった。…それに、アレスタの人格が戻って本人が頑なに戦果を否定したのもあって、結局は存在しない記録となった。軍学校も最終的には他の分隊の戦果に分配、もしくは同士討ち、という結論に落ち着けた。 …今はただ、俺達分隊のメンバーだけが知っている」
「…」
「…ここまで脅しておいて何だが、三年付き合って奴が起こしたのはその…敵兵の虐殺だけだ。民間人や仲間に危害を加えた事は一度も無いし、本来のアイツはあの通り、ふざけた奴だが温厚で争いを好まないし、決して悪い奴じゃ無いんだ。俺達もアイツが殺人機械などではなく、本来の姿が善人だと信じているし、かけがえのない仲間の一人だ。 それは分かって欲しい。 …ただ、念の為に、な…」
アレスタが二重人格… それも、極めて残忍な…大量殺人鬼…?
「…うん。アレスタさんは悪い人じゃない…と思うよ。なんてったってレイ達のチームメイトなんだし」
「…そう言ってくれると助かる」
「…でも雰囲気がちょっと怖くなったから、他の二人の事を話してよ」
「ん? ああ。 ヴォルトはあの通り異様に涙脆い以外は特に欠点らしい欠点が見つからない、俺より立派な軍人だよ。…その欠点が割と致命的だし、何かと脚を引っ張る事はあるが… あと、レドもあの通りだ。…ああ見えて寂しがり屋だったりするんだ。 …初対面の君への挨拶は最悪だったが、親しくしたい人間にはああしてちょっかいをだして会話のきっかけを作ろうとするんだ。 心に余裕があったら、そういう子供を相手するつもりで適当に相手してやってくれ。 屈強な男相手には半殺し騒ぎも起こすが、女性や子供には決して手を上げないから安心していい」
「…個性的なチームだね。で? そんなチームの隊長さんはどんな人なんだろうね?」
「さて、どうかな… …ただ、こんな時間が永遠に続くのなら、それも悪くないかな、とは思い始めている所かもな…」
実際、レイの声はとても穏やかだった。
その高くもなく、低過ぎもしない声が心地よくて、エレザは押し寄せてきたまどろみに身を任せ、次第に目を閉じていった。
「…寝たか」
レイは息を吐き、そのまま寝室番として執務室に立ち続けた。




