謀略の影
第二王子の婚約者であるグレイスは嗅覚が鋭かった。 少なくとも、自分では鋭い方だと信じていた。
そして、聖女であるエレザを目の敵にしていた。勿論、自分が未来の妃となる可能性を大いに潰してくれる目の上のこぶだからだ。
早い段階からエレザがグリフォンズの…特にレイヴンと近しい関係にある事を見抜いていた。
民間人時代の親友…で納得するには無理がある。少なくともグレイスにはそれ以上の関係があるように見えた。
エレザを執拗に尾行し、ここ最近は特に二人が頻繁に密会しているのを盗み見ていた。あからさまな接触こそ無かったが、どう見ても二人の間には親友同士のそれとは明らかに違う、極めて深い結びつきが感じられた。
…平民出の彼女らと違い、出生からして高貴なる環境で育ったとはいえ、自分とて女だ。物的な証拠など無くとも、第三者を交えない一組の男女のやり取りと表情を見ていれば、それがどういう関係かなど容易く見分けられる。
この事実を上手く使えば…聖女の立場を悪くできるかもしれない。 だが原則としてスキャンダルで聖女を告発しても、罪に問われるのはあの男の方だけだ。聖女を誘惑したとして、若い時代を失うほど長い懲役か、それと同程度の重い刑に処されるだろう。…それでは肝心な聖女へのダメージにならない。
だが、あのエレザが男を余程想っているなら…男を庇って、恥も外聞も捨ててなりふり構わず自身の罪を主張してくれれば、いくら聖女と言えども何らかの罰は与えられ、表舞台からは引き下がる事になるだろう。 王子との結婚など有り得ず、代わりに客寄せの愛玩動物のように年老いるまで宮殿に幽閉され続ける事だろう。
…もっとも、これは多分に聖女の人柄と男への愛情に頼る方法だが。 現実問題、最初から社会を味方にしている聖女を陥れるにはそのくらいしか手が無かった。 あとは暗殺だが、今や問題児ながら腕利き揃いと名高いグリフォンズに守られた聖女を相手に、それを相談できるほどの凄腕の人脈…伝手をグレイスは持っていなかった。
必要なのは証拠と証人だ。自分一人が暴いたとて、嫉妬に狂った女の妄言と取られるのがオチだ。…自分に近しくない、得をしない人間ほど証言の信憑性が高まる。
グレイスは無難に侍女を選んだ。 自分の供をさせ、エレザの周りをそれとなく追跡した。
「…そういえば聖女様は随分とあの騎士がお気に入りのようね?…歴代の聖女様は王族の元を訪ね回り、ご用伺と相談相手になるのが大事なお勤めだったと記憶しているけど?」
感情を抑え、何の事は無い世間話を装って次女に問いかけた。
「そうですね…確かにレイヴン様が聖女様の護衛騎士としてよく御同行されております」
しめた。不作為に選んだこの侍女が知っているくらいだから、城の者にもある程度二人の関係が認識されているという事だ。 これも証言の信憑性が高まる。
「しかし、軍学校を首席で卒業して、実戦試験でアレス・ト・ダイス勲章を授与される程の天才騎士ですから、彼が代表として警護につくのは妥当なのかもしれませんね」
アレス・ト・ダイス勲章…一度の戦場で1000人以上の敵兵を殺害した者に送られる、騎士の憧れにして、決して届かぬ目標…伝説としてのみ存在する幻の勲章…だった。
…すっかり失念していた。護衛騎士分隊の中からそれほどの猛者が聖女の警護に付くのは当然だろう。これは材料に使えないか…しかし…
「でも、王族へのお伺いというお勤めを疎かにするのはどうなのかしら?」
これは神官や賢者たちが常々ぼやいていた。何人かは既にエレザに直接苦言を呈している。
聖女になったからには王族の相談を聞いて回り、国政にアドバイスをしたり、王子達と親睦を深め、王国民を喜ばせるために王子との婚姻を進め、最終的には聖女と王子との間に聖なる血を分けた御子を出産する…その偉大なる目標へ向けて早急かつ前向きに行動して欲しい、懇願されている。
だが、エレザはそれを疎かにしていると言わざるを得ない。実際、パリエル第三王子の元に訪れたのも挨拶回りの一度きり。 …同じ女として、気持ちはわからぬでもないが。 そしてグレイスの婚姻相手となる筈だった第二王子・ヴェルサルの元にも初日の挨拶を除けば一度しか顔を見せていないのを把握している。 おかげでヴェルサルも不満気味だ。
…伺いに来ないのは無礼だ、というベクトルの不満ではなく、どうして自分に会いに来てくれないのか、という恋い焦がれから来る不満だったが。
情けない事に…ヴェルサルは初日の挨拶でエレザにゾッコンだった。…いくらろくでなしだったとは言え、第三王子の国葬でもっと悲嘆に暮れている演技をしてもよかろうに、国葬に参列したエレザを見つけてすり寄り、嬉々として語り掛けている始末だった。
…まったく腹が立つことだが、聖女としての自覚が足りないと言わざるを得ない。これなら攻撃材料として…
「はい、仰る通りです。 …しかし、ダリウス国王陛下には毎週、決まった時と特別に呼ばれた時に必ず伺われておられるようです」
ダリウス王はエレザをいたく気に入っていた。もう五十間近の国王だが未だ壮健で、聖女としてエレザを敬いつつ、「自分がもう五年若ければ、王子共になど渡さず自分の妻になって欲しかった」などと冗談半分に嘆いていた。
孫娘のようにも可愛がっており、溺愛していると言って過言では無かった。 王子のいずれかとは結婚して欲しいと思っているようだが、本人の意思も尊重したいという思いも零していた。
…ただ、結局は国民の為を思えばどこの馬の骨とも知れない男との自由な結婚より、国の為に身を固めるべし、という方針を取っているようだ。
(何という事…国王が味方か… まさか…)
「…聖女様の評判はどんな感じなのかしら?」
…普段はそんな事はしないが、一際優しく笑いかけながら訊ねた。
「はい、とても素晴らしい方だと皆口を揃えて言います。…グレイス様もそうですが、私のような下々にもお声を掛けて下さり、気遣って下さいます」
城の者からの評判も良かった。 …男共はどうせあの体と容姿目的だろうが、やはり評判はすこぶる良いのが分かっていた。
この状況をひっくり返すにはどうしたら…証拠は抑えつつあるというのに…
夜になり、エレザの執務室を覗く。…やはり、あの騎士と共に机を囲んで何か話し込んでいる。
「グレイス様、何をそんなに熱心にご覧になっておられるのですか?」
背後から声を掛けられ、グレイスは声を上げかけた。
体にフィットするグレーのメイルアーマーを隙なく身に着けた、赤髪の美しい長身の騎士。 騎士は軽薄な笑みを浮かべたまま、グレイスの前に恭しく跪いた。
「失礼、聖女様の警護につくグリフォンズのアレスタと申します。害意はありませんでした。こんな時間に聖女様に何かご用かと不思議に思いまして」
「い、いえ…私はただ…」
まずい…よりによって聖女側の騎士ではないか…嗅ぎ回っているのを聖女に知られるか…?
「…と言うのは口実でしてね。 白状しますと、お美しいグレイス様の御声を聞きたくて声掛けした下心でございます」
困惑するグレイスをよそに、騎士はグレイスと同じように扉の隙間から二人を覗き見た。
「うーむ、それにしてもあの二人、随分と仲睦まじいですなぁ。見ていてこちらが胸焼けしそうです」
「え? …ええ、そうかもしれないわね」
「しかしまぁ…真実はどうあれ、どうせ叶わぬ恋です。そっと見守るのも一興と思いませんか?」
グレイスに向き直り、言葉とは裏腹に一層軽薄に…口角を上げて笑いかける。
「…あの二人はそんなに親密なの?」
「…ええ、それはもう。私くらいしか気づいておりませんがね。 …しかしグレイス様、あまり他人の慕情に自ら顔を突っ込み過ぎると、二人の熱気に当てられてその美しい御顔を火傷してしまわれるかも知れませんよ?」
闇の中、壁のランプの明かりにアレスタの琥珀色の瞳が妖しく煌いた。




