悪(いけな)いお兄さん
「女神の力の譲渡事例…? そんなものはございません。そのお力は聖母から授けられた代理者たる栄誉と神格そのものなのですから。欲する者こそあれ、譲渡を望んだ者はおりませんし、その力と役目を否定するなど神への冒涜と同意です」
城の賢者も神官も、口を揃えて同じ答えを返して来た。仕方なく、公務の時間が終わるとその足で誰も居ない城の書庫に入り込み、関りのありそうな文献を読み漁った。
「魔導書… 魔術… 奇跡… 秘術… うわぁ、この棚だけでも…」
途轍もなく膨大な量になる。 エレザは情けない声を上げて嘆いた。
――おお神よ、私にインターネットを…検索エンジンを与え給へ――
涙目になりながらも関連のありそうな項目を目次から見当をつけ、ペラペラとページを捲っていく。
ダメだ。一人でこんな事をしていたら40を迎えて聖女の役目を終えてしまう。…そこまで生きられるかも分からないが…今はレイが傍にいるから大丈夫か。
ああ、今は居ないけれど。
…はたと不安になり、書物から顔を上げて何気なく書庫の中を見回した。自分の置いたランプの明かりと、天窓から差し込む月明かりが薄明るく書庫内を照らしていた。
三列に並んだ本棚を囲む、二段階層式の高い書架。 一つだけある机にランプを置き、自分一人だけ…の筈だ。
だが、ひしひしと這い上がってくる謎の恐怖感に、本棚の裏を見て回って確認する気は失せていた。
「…そうだ、レイにも手伝ってもらおっと」
山道で熊を追い払うための声出しでもあるまいに、殊更声に出して恐怖感を追い払った。
数冊の書物を抱え、背後を気にしないようにそそくさと出入り口へ向かうと…いつの間にか書庫の扉が閉まっていた。 巡回した兵が閉めたのだろうか?少なくとも自分が書庫に入り込んでから入室してきた者は居ない。
ドアノブに手を掛けて回すが…ノブは回るが、鉄の扉はビクともしない。
「えっ、えっ…? 嘘でしょ…」
押しても引いても、ノブを左右どちらに回しても…ドアは開いてくれなかった。
「うわぁ…最悪…」
ぼやきながら一旦書物を置こうと書庫内へ戻った。
「どうかした?」
「わ、わっ!?」
本棚の陰から人影が現れた。メイルアーマーを脱いで、だらしなく着崩した制服姿のアレスタだった。
本棚から顔を出した瞬間までは気だるげで…普段は見せない憂鬱げだった顔だったくせに…《《自分を見た途端》》、嬉しげに普段の顔に戻る。まるで「お気に入りのオモチャを取り返した子供」のように。
赤髪、…極めて整った顔に軽薄な笑みを浮かべる、レイをも上回る上背のスタイリッシュな騎士。
…正直、男性経験0のまま死んだ不名誉な身ながら…これほど大人っぽさと幼児っぽさを備えた男の人を探すのはどこの世界だろうと至難の業だ、と断言できる。
(…スーツとか、執事服とか似合うんだろうなぁ…)
その長身を見上げながら、素朴にそんな感想が浮かんだ。
出会って一週間も経たないが、事あるごとに自分にちょっかいを出してくる、レイ曰く「最重要警戒人物」。
…そう言えば、絶対に二人きりにならないでくれ、とは言われていたけど…冗談…だよね?
「傷つくなぁ、人をお化けみたいに」
いつもの軽薄な笑みを浮かべ、アレスタは本棚の陰から出てきた。
「あ、こんばんわ、アレスタさん。 …あの、いつからそこに?」
「こんばんわ、エレザ嬢。 君が入って来て、本棚の前で「うわぁ」とか言っているのは聞こえたかな」
アレスタは公務時間中はエレザを聖女として一応敬っているが、公務時間外はごく普通の男女としてフランクに接してきた。 決して見下している訳では無く、不快な付き合いでは無かった。
…昔…小学生の頃、なんとなく一緒に過ごしていて居心地の良かった、お調子者の男子を思い出す。
「…で?何が最悪なのさ?」
「そ、そうなんです、扉が閉まっちゃってて…全然開かないんです!」
「へぇ?じゃあちょっと見てみようか」
アレスタは持っていた詩集を本棚に戻すと、鷹揚にドアへと向かっていった。
「…ちょいと下がってて」
アレスタはドアノブをガチャガチャ回して、ドアを軽く蹴ってみたりするが、ドアが開く気配は無かった。大袈裟に肩をすくめながら振り返り、茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。
「…ま、その内誰かが見つけてくれるでしょ。聖女が居ない、なんてなったら大騒ぎするだろうし」
「そ、そうですね」
「そうと決まれば、それまで二人で仲良くしようじゃありませんか。 こういうサバイバル時は団結が鍵を握るって相場が決まっているしね」
状況を楽しむようにアレスタが身を寄せてきた。 …並ぶと頭二つ、三つ分も違う。 引きつった笑みを浮かべながら半歩下がる。
「まぁまぁ、そう怖がらないで。…どうせレイから俺の事、ワーウルフみたいに悪く聞かされてるんでしょ?…誤解だって。取って食べちゃったりなんてしないからさ?」
「は、はぁ…」
…うーん、…ダウト。
どう見ても悪いお兄さんだ。…前世だったら絶対に《《その手の》》店で相当の売れっ子だっただろう。
「レイはああ見えてすぐやきもち焼くから。君を取られたくないのさ。 君はどう?」
「え? いや…どうでしょうね…」
「しかしレイも君も因果なもんだねぇ。片や軍学校を史上最高成績で卒業した天才騎士、片や聖女様だ。是非ともお二人の馴れ初めを聞いてみたいもんだね」
「は、はい… …そう言えばアレスタさん達はレイとどういう風に知り合ったんですか?」
言って、自分でツッコんだ。 そりゃ士官学校でしょ、と。
しかしアレスタは吹き出すでもなく、「おー」と感嘆した様な声を上げてから笑った。
「ははは、ユニークな着眼点だねぇ、さすが聖女様。 そう、問題児は俺達三人だけだよ。レイは学校側が俺達、《《実技だけは優秀》》な問題児を纏める為に敢えて組ませた優等生さ。 まっ、俺達の面倒を見たおかげでアイツも成長できたんじゃ無いかなって俺は勝手に思ってるけど」
アレスタは胸ポケットからウィスキーらしき瓶を取り出すと、エレザの前に出して勧めた。 小さく手を振って断ると一瞬…微かに傷ついたような顔を見せたが、肩を竦めるといつもの軽薄な調子でウィスキーを傾けた。
(…ちょっとくらい付き合った方が良かったかな…? でも私お酒弱いしな… みっともない姿見せたら嫌だし…)
「ああ、そう言えばさっきレイに手伝ってもらうとか言ってたね? レイなら王都の歴史資料館に向かっているよ。あそことここは微妙に置いてある文献のベクトルが違うからね。 それにしても…アイツが歴史資料館になんて行って、何を調べてるんだろうねぇ?」
自分の聖女の力を放棄するための方法、などとは言えない。
またウィスキーを傾けながらアレスタは饒舌に語った。
「君って苦労してそうだねぇ。何かと。 …怒らないで欲しいけど、歳の割にそういう大人の物憂い顔をしてるよ、時々」
「…あはは、苦労なんて…してませんよ」
内心では転生者であることを見抜かれた気がして、一瞬血の気が引いていた。
「そう? まぁ何かあったらレイに相談しなよ。 苦労自慢するならヴォルトがお勧めだな。すぐに共感して大泣きしてくれるよ。背の悩みならレドに限るね。罵られるけど。 …あぁ、恋の悩みならまず俺にどうぞ♪」
「…あ、ありがとうございます」
…良い人なのか怪しい人なのか…よく分からない。
「…どれ、もう一回だけ試してみようかね」
アレスタが立ち上がり、ドアノブをガチャガチャと回した。 すると程なくしてギィ、と扉の隙間から外の光が差し込んで来た。
「…おっ、建付けが悪かったのかな? お腹空いたろ?給仕係が君が居ないって大騒ぎしてるぜ」
「えぇっ!? は、早く行かないと… あ、アレスタさん、ありがとうございましたっ。おやすみなさいっ」
アレスタに手を振りながら、エレザは慌てて給仕係の元へと駆けていった。
「…愛しのエレザちゃん…ねぇ…?」
エレザの後ろ姿を見送ると、口の端に笑みを浮かべて書庫を出て行った。




