春風そよぐ野山にて
「楽しそうだな」
レイは足取り軽く身支度を整えるエレザを見て首を傾げた。
寝室を出てきたエレザは、元の世界でも通用しそうなまともな服に久しぶりに袖を通していた。何の変哲もない薄手のシャツにカーディガンを羽織り、膝下まである純白のスカート。脛まである本革のブーツ。 顔を隠し易い、つば広の帽子。
「うん。 だって、ここに来て初めてのピクニック… 薬草採集だもん」
エレザは神官や賢者たちに相談して、薬草採集に外出する許可を得ていた。
「なるほど。そう言えばエレザは草花に詳しかったな」
「うん、まぁね。…それで、護衛に二人同行してもらわなきゃならないんだけど…来てくれるよね?」
「もちろん。 あとは…」
レイは少し考え込んだ。
「…ヴォルトは所用で居ない。アレスタかレドに声を掛けてみるか…」
「うーん…アレスタさんならともかく、レド君には嫌がられそうだけどなぁ」
エレザの脳裏に、自分を見上げながら口汚く罵り拒絶するレドの顔が浮かんだ。
「まぁ、物は試しだ。 それに、俺の見立てではアイツ、エレザの事が気になっている筈だ」
「そうかなぁ…?」
「言っただろ。 …アイツは、相手の気を引くためにちょっかいを出す事しか知らない子供なんだ。きっとレドにも事情がある筈だが…俺達には自分の事を話したがらない。…それと、レドも俺達と同じ18だ」
「うっ… でもそれじゃあ、尚更私になんて心を開いてくれないよ、きっと?」
「そんな事は無いさ。 …俺の勘だが」
「勘って…」
言葉を失うエレザに向けて、レイは爽やかに微笑んだ。
「ああ。自慢じゃないが、良く当たるぞ?」
レイに連れられて彼らが間借りしている兵舎の一室…四人部屋に向かうと、レドが不機嫌な顔でボルトアクションライフルを組み立て終えた所だった。部屋に戻って来たレイと…部屋の外で待つエレザを見て、些か表情を和らげながらも怪訝な面持ちになってレイを見た。
「…レイか。何だよ、その女は?」
「わからないのか? …聖女様だ」
「なッ…冗談に決まってんだろ!?わかってるっつーの!」
「…そうか、すまん。演技に見えなかった」
エレザも内心で全く同感だったが、レドの機嫌を損ねない為にも敢えて黙っておいた。
――確かに、普段の聖衣姿のインパクトが強すぎて、少しまともな服にしただけで印象は大分変わるだろう。 髪型を変えた事や、毎朝侍女たちに手伝われて施されるメイクとは違うオリジナルメイクである事…自己評価の低いエレザはそれらを考慮しないまま、そう結論付けた。
「…まっ! 俺ほどのスナイパーともなれば、心理戦でお前らを欺くのも余裕ってショウサだな」
「へぇ、レドが心理戦なんて高等な言葉を知っているとは意外だったよ」
二段ベッドの上段に寝転がっていたアレスタがニヤけた顔を覗かせた。
「ふん。お前みたいな女のケツを追い回してるかサボってるかの奴とは違うんだよ、一流の狙撃手ってのはな」
レドがアレスタに向かって勝ち誇ったように笑う。
「そりゃいい。一流の狙撃手なら当然、あらゆる地形…山中での行動やサバイバルも俺達の中で最も優れている筈だ。聖女様、今回はこのレド君が頼もしく聖女様をエスコートしてくれますよ?」
「は、はぁ…」
「な、何で俺が…」
「おやおやぁ?一流の狙撃手やら心理戦やらは出任せだったのかなぁ?」
「ハッ! いいよ、お前との出来の違いを見せてやる!」
「そりゃ良かった♪ 俺は虫が苦手でね。山の中には凶暴な獣は勿論、ヤマビルやデカい蜘蛛、蛾やムカデ…その他グロテスクな諸々や毒虫がわんさかいるからな。 レドくんの勇姿を聖女様に見せつけてご覧に入れろよ」
アレスタは二段ベッドの上からチシャ猫のように意地悪い笑みを浮かべ、レドを見下ろしながら言う。…特に虫の名を強調して言った。
…実際、虫はそれほど得意では無いが、薬草採取して生活の糧にする時間を何度も繰り返すうち、ちょっとした虫なら服の中に入り込まれでもしない限りは前世ほど苦手では無くなった。
レドはと言うと、アレスタを見上げたままフリーズしている。…冷や汗を流していた。
…苦手なのだろうか?
「…あの、そんな山奥や藪の奥深くに入る訳じゃ無いから、そこまで心配しなくても…」
「ハッ? 俺が何を心配するって!? 俺が心配しているのはお前がヘマしないかどうかくらいだっての! さぁ、準備できたなら行くぜ」
ズカズカと足音荒く出ていくレドを見送り、レイは苦々し気にアレスタを見上げた。
「…意地の悪い事を」
「どこらへんが?」
相変わらずニヤけた顔をレイに向け、横になったまま肩を竦めてみせる。
◇◇◇
「…良いか、藪や森の奥には毒虫やモンスターが居るからな。素人の聖女様が立ち入る場所じゃねーから、下草の低いこの辺の野原で薬草探しをしてろよ?」
レドはその身の丈程もあるライフルを背負い、いかにも山歩きのプロらしく語った。…大きめのテントウムシがそんなレドの肩に止まった。
「あ」
思わず声を上げるエレザを不機嫌に振り返った。
「どうかしたか?」
「あの、レド君の肩にかわいいテントウムシが…」
「レイッ!ちょっと来いッ! …早くッ!」
「なんなんだ、急に…?」
山際を警戒していたレイが呼び戻され、怪訝そうな顔を見せた。
「と、取れッ!」
「…? …ああ、分かった」
レイはレドの肩に止まってウロウロ所在無げに動き回るテントウムシを摘まもうとしたが…テントウムシは羽音を立てて飛び立ってしまった。レドが慌ててその飛行進路上から跳び退る。
「く…クソチビムシめ…!」
…一瞬、レイが何か言いたげにレドを見下ろしたが、すぐに顔を逸らした。…うん、黙っておこう。
そのレドが何故かエレザをキッと睨みつけてくる。
「…言っとくがな、あのチビムシが苦手な訳じゃねぇ。力加減がメンドーだからだ!触ったら潰して、銃士服が汚れそうだから嫌なだけだ!」
「う、うん、分かってるよ。…優しいんだね、レド君は」
「…あと、そのレド君ってのはやめろ。レドさんとか…いや、レドで良い。とにかく、君は止めろ、命令だ」
「バカ。さっきから聞いてりゃ、自分は好き放題しておいて何を言ってるんだ」
レイがレドの頭に軽くチョップを食らわせた。
「ッてぇ~! …この野郎ッ!」
「れ、レイ、私は良いから。…レド君も落ち着いて…」
「だから君呼びは止めろって言ってんだろ、このバカ女!?」
「ご、ごめんなさい。…なんだかついそう呼んじゃって…」
「…てめぇ、野郎だったらとっくに殴ってたぞ…」
「…いい加減にしろ、レド。 …俺じゃ無かったなら大騒ぎだぞ?」
これ以上二人を怒らせる前にと、そそくさとレドから離れた。
…どうも自分がいると、特にレドの調子が狂うらしい。
「…あっ、良いものがあったよ!」
殊更に声を上げ、偶然見つけた植物を幾つか刈り取り…険悪に睨み合うレイとレドの間に割って入った。
「ほらっ、セイヨウガマの穂。…この先端部分に火を点けると、ほんのしばらくだけど油煙が出て、どんな虫…毒虫や蚊も嫌がって寄ってこなくなるんだよ」
「…なんでそんなもので虫が寄ってこないって言えるんだよ?」
レドが猜疑心も露わに睨み上げてくる。
「うーん、私も上手く説明できないけど… 虫は人間と違って、息をする器官…口や鼻の穴が小さくて、そこに泡とか油がくっつくと、人よりもかなり苦しくなるみたい」
「物知りなんだな?そんな話は士官学校でも習わなかったが」
レイは素直に感心してみせた。
「うーん…蟲系モンスターがいるとして、通用するかは分からないけど…蟲の弱点は火と油と石鹸、それからハッカ。…って、大昔に戦争に行っていたお爺ちゃんから聞いたから」
寝たきりと認知症になりながらも104まで…自分を見ては笑顔を見せる大爺ちゃん…前世の大師匠であった。
ささやかなサバイバルスキルや薬草の基本応用を教えてくれた恩人だ。
機動部隊(?)にやられたジュンヨーカン(?)から仲間達と、ゴボウ剣を工具に徹夜で取り外した高射機関砲を埋めておいて、カンポー射撃をやり過ごしてからノコノコやって来た上陸部隊にぶちかましてやったとか、戦争の話は聞いていて子供心に憂鬱だったが…そんな過酷な環境下でも苦労してなんとか手に入れたささやかな食べ物の話と、薬草の話…それから同胞の命を敵以上に何百と奪っていった虫…その虫よけのテクニックだけは、子供心ながらに聞いていて感心したし…よく覚えている。
「ふん…エロい格好してるだけの客寄せかと思ったけど…イチオー、聖女サマって言われるだけはあるな!見直したぜ」
火を灯したセイヨウガマの穂の前でUターンしていく羽虫を見て、レドが嬉しげに声を高めた。
(このチビ助、エロい格好は余計だ、エロい格好は。私だって好きで(略 )
「お、お爺様が居たのか!? …しかも前大戦となるとラグナロク…まさか妖精戦争の従軍経験が…!?」
レイが敬語も忘れ、まるでエレザ自身がその戦争の当事者かの如く目を輝かせて飛びついてくる。
…なんだよ、「俺、戦争なんか大ッ嫌いだ」って格好良く宣言したくせに。 …大爺ちゃんやその友達のセンユー会の爺ちゃん軍団と一緒で結局、そういう所は男の子しちゃって。
(って、いけない!! 大爺ちゃんは前世の人だった!こっちの世界に合わせないと!)
「あ…あー…ちょっと違うかな…? うー、何だっけ…ダイトーア?…ワ? …とか言ってたっけ…それとも第二次戦争だっけ…でも、もうずいぶん昔に亡くなっちゃったからさ…!」
「そ、そう言う事は早く教えてくれ! …生きておられる間に少しでもお話を伺いたかった」
…私だって、今になって大爺ちゃんに聞きたいことなんて幾らでもあるよ。
それまで死んだような目をしていた大爺ちゃんが、私の顔を見ると病院のベッドから身を起そうとしながら目に光を取り戻すんだ。
『……おお、由香、来てくれたんか! おし、今日は…南海の最後の決戦…漢死出の花道よ。 あれはメリケンがいよいよ本腰を入れて…』
…生き生きしてるけど、認知症のせいで最後までなんて語り切れない。 …途中で、まるでテープやCDが壊れたように… そこに自分は、リアルな「人の儚さ」を垣間見ていた。
…ヤバい、なんだか思い出して涙出てきた。
「 …お、おい…エレザ…?」
レイがこの世の終わりでも見たかのように狼狽して後退るが、視界がぼやけていく。
「お、オイ、テメーが泣かせたんだぞ、レイ!?」
同じくレドの狼狽しきった声。
「ご、ごめん、違うの!……二人のせいじゃないから… もう少し泣いたら、いつもの私に戻るから…!」
言葉を失って傍らに佇む二人に申し訳なく思いながらも、エレザは前世の…何の輝きも無かった筈の前世の、大切な思い出を惜しんで泣いた。




