喝
たった三年ぶり。
だが、それにしてはひどく懐かしく、そして愛おしかった。
15の別れ以来で、二人は何をするでもなく寄り添い合い、僅かな時間を過ごしていた。
「…もう大丈夫…ですか?聖女様?」
ぎこちない言葉遣いでレイヴンがエレザを気遣った。誰よりも身近だった幼馴染としての立場と、余りに違い過ぎる身分差との間で、自身の立ち振る舞いに迷っているようだった。
士官学校で三年間、軍人として生活したその影響も多分にあるだろう。言葉遣いが若干硬くなった気がした。
子供時代のように気兼ねなく接して欲しかったが、それは二人だけの時に限られた。他人に二人の近しい関係が知られれば、自分はともかくレイがどんな咎めを受けるか分からなかった。
「…二人だけの時は昔と同じでいいよ。 …ありがとう、レイ。助けに来てくれたね」
「すまない…遅くなった。 今日の昼になってから手紙が届いてすぐに来たんだが…髪の色が変わっていたから、別人かとも思ったが…君と、パリエル王子が塔の窓に見えて…ただ事では無いとは思ったが、まさかこんな事になっているとは…」
改めてエレザの無事を確かめ、その肩を抱き寄せた。
タイミングからすると、自分が信頼できる侍女にお使いを頼んだ手紙が間に合ったのだろう。…さもなければ今頃自分は…
ハッとして…それまで敢えて考えないようにしていた存在…自分を襲い、殺そうとした王子の事を思い出した。
「パリエル王子は…」
レイは諦めたように自嘲気味な笑みを浮かべて首を振った。
「…ダメだった。だが君は何も心配いらない。 これでもう二度と襲われる事は無いし…」
「じゃあ、レイはどうなるの? …正当防衛か…事故…だよね?」
またもレイは諦めたように笑った。それでも使命を成し遂げた、と言わんばかりにその顔は清々しかった。
「王族相手に正当防衛は存在しないさ。 王族殺しは例外なく極刑だ」
足元が崩れていくような感覚に陥り、エレザは眩みかけたが、すぐに思考を働かせた。
「に、逃げよう? …どこか山奥へ…」
「実に魅力的な案だが、いずれは捕まる。 …だが、それまでは君と居られるな。すぐ死刑になるよりはその方が良い」
だったら、今すぐにでも…
そう言おうとする前に、レイが首を振った。
「…だがダメだ。 今の君は聖女で…この国の民…いや、大陸全ての人々の心の拠り所だ。…もう、俺が独り占めする事はできない。 俺も騎士らしく、潔く刑を受け入れる。 …エレザは聖女として幸せに生きてくれ」
レイはこれまで一度も見せた事のない、打ちひしがれた顔で寂しげに笑った。
そんな彼に優しい慰めの言葉を掛けるのは容易い。
…だが、エレザの胸の内で憐憫を圧して湧き上がったのは…怒りに似た感情だった。
――聖女として幸せに…? …なんにも知らないで…――
――…それに、何でそんなにサッパリ諦めているんだろう…—―
――いくら立場の違いがあるからって…私はそんな簡単に諦められる程度の存在だったのか?――
――私をお嫁さんにすると言ってくれた、あの日の勇気と覚悟はどこへ行ったんだ!?――
…オーケー、そっちがその気なら乙女モードも聖女様モードもOFFだ。
「…なに諦めてんのさ」
今までにない雰囲気と強い語気に、隣で項垂れていたレイがギョッとして顔を上げた。
「意気地なし! 誰も殺さない最強の剣士になって、私をお嫁さんにするっていう約束をしたカッコいいレイヴンはどこに行っちゃったわけ!?」
「それは…」
「私だって、ずぅっと聖女を続けたくないよ。…こんな風に誰か一人に全てを押し付けて、黙ってやってくれるからって…これじゃ体のいい生贄だよ! 幸せに生きていける訳無いじゃん!」
一息ついてクールダウンした。そして、隣で動揺して困惑するレイに向け、とびっきりの聖女スマイルを向けた。
「わたくし、聖女辞めさせて頂きます。 …そしてあなたのお嫁さんになる」
「そ、そんな無茶な事が…」
「できる。いや…やる! …いつぞや、そう勇ましく啖呵を切ったのは、どこの誰だっけ?」
悪戯っぽくレイを覗き込んだ。 レイは呆気に取られていたが…これまでの諦観した笑みとは全く違う顔つきになって、エレザを見つめ返して笑った。
「…そうだな。 あんな風に格好つけておいて…何をウジウジしているんだろうな、俺は」
「もちろんすぐには辞められないけどね。 …まずはお勤めを無難に果たして、それから何か方法を模索する」
「…それにしても、エレザがあんな風に檄を飛ばすとは思わなかった」
「怖かった?」
「ああ。 …士官学校の鬼教官よりも、ね」
そう茶化すレイの肩を小突いた。
「…うん、聖女の君も良いが、やっぱりその笑顔が一番だ」
小突くに小突けなくて、エレザは顔を背けた。
レイが立ち上がり、転がっていたクローバーの髪留を拾い上げた。 それをハンカチで丁寧に拭ってからエレザに差し出した。
「…聖女になってもまだ、大事に着けててくれたんだな。 おかげで目が覚めたよ。 …ああ、そうだ。 なんとしても生き残ってやろうじゃないか」
ペリドットの優しいライトグリーンの光が煌いた。それを受け取り、髪を留めた。
なんとかしてこの力を、誰もが認める形で放棄する。…できるだけ早く。
◇◇◇
「それにしても…」
共に階段を下りながら、レイはちらとエレザの脚元に視線をやって慌てて背けた。
スリットは際どく、ほぼ丸ごと覗く脚は、やはり前世でも一度たりとも縁の無かった…白のレース付きニーソックスである。 目のやり場に困ったようにレイは赤面する。
「…言っておきますけど、私の趣味じゃありませんからね? これしか許されてないんだから!」
恵体を誇るコスプレイヤーでも無ければ、どこの誰が好き好んでこんな「トンデモ聖衣」など着るものか!
そう目で訴えるが、レイは赤面したまま口ごもった。
「いや…その…とても似合っていると思うぞ」
…コレが良く似合っていると言われても微妙だ。正直には喜べない。
…だが、少なからずレイをどぎまぎさせている事自体には悪い気はしなかったので留飲を下げた。
「…あ…」
「待て、見るな」
横たわる体が見えかけて、レイがすぐにエレザの目を覆った。手を繋がれ、その場を離れる。
皮肉にも、パリエルによって人気の無い場所へ追い込まれた結果、未だ誰も彼と自分達を発見していなかった。
レイが離れた場所に落ちていたサーベルを拾い、パリエルの鞘に戻した。
「…殿下は…酒に酔って転落した…」
レイは苦しげにそう絞り出した。
「うん…」
それが一番だと思った。 …実際、レイは直接彼を殺していないし、正直に真実を公表するなら、王子は極めて不名誉な汚名を被って死ぬことになる。
自分を殺そうとした相手だが…死してなお嫌悪し続ける気も無かった。
レイは割り切った様子でその場を離れた。警備兵を目敏く察知しては死角を進みながら、誰の目も届かない王城の庭園に辿り着き、花園の陰にあるベンチにエレザを座らせた。
「さっき言っていた主命って何? …神託より優先されるって…」
「聖女の強い命令や要求だよ。第三者から見て真偽が明らかな書面だと尚のこと優先度が高まって適用される。 手紙は必然的に君の署名があるから特にね」
「じゃあ、この服のデザイン変えて欲しいって要望したら通る?」
「無理だろうな。 文句なら天におわす初代大聖女様に言うんだな。 他にも、あまり私的過ぎる内容は許可されない場合があるが、大抵の事は通るし、国政に関わる意見も神託として重視される。 …今回の場合は、本来城に入る事など許されない身分の俺でも入城許可証の代わりとなった」
「そっかぁ…ねぇ、聖女の力を別の女性に譲渡した例とか無いのかな?」
自分より相応しい人、やりたがる人など他に幾らでも居るだろう。これだけの力が存在する世界なら、そのくらいの事は出来そうなものだ。
「いや…全く聞いたことが無いな。だが、俺も調べてみるよ。 君も城付きの聖職者や神官に話を聞いて見ると良い」
「…それと、レイにも傍に居て欲しいんだけど。 今回みたいな事が二度と無いとも限らないし」
「…俺個人を君の護衛騎士として指名するのは微妙だろう。 今の俺はあくまで無名の新米騎士に過ぎない。…だが、俺の分隊は士官学校史上最も有名な分隊でな。…王都でも知らぬ者は居ないだろう。 今はまだ軍の中でそれぞれをどこの軍団に配備するか、配属先を考えている最中の筈だ。 俺の分隊…「グリフォンズ」を自身の護衛騎士分隊に召喚するなら…正当性はともかく、誰もが《《理解》》するはずだ」
「やった、それでいいじゃない!」
レイの仲間達というなら、尚更安心だ。今回のような危険も大幅に減る筈だ。
「む…いや…ただな…俺が言うのも何なのだが…」
レイは歯切れ悪く言葉を詰まらせた。
「な、何か問題が…?」
「ああ。 …俺の分隊そのものが、な…」
レイは大きく溜息を吐いて項垂れた。




