別れ
――二人が15を手前にした冬。
あどけなかった二人の顔と体つきはそれぞれ大人の男女のそれとして魅力的に成長しつつあった。
雪洞の中で密着すると、嫌が応にも互いを意識してしまった。幼かった頃には生じ得なかったお互いへの欲望が日を追うごとに強まっていく。 ごく自然な変化であっても、二人にとってはそれが自分達をこれまでの純粋な姿かたちと違うものに変えてしまうのではないか…そんな微かな怖れも感じていた。
それでも寄り添い続ける事は、決してやめなかった。
そんなある日、ついにその日がやってきた。
「軍学校への特待入学が認められた。…王都は遠いし全寮制だから、暫く会えなくなる」
二人はいつものように雑木林に囲まれた草地で寄り添っていた。
互いの気持ちに必ずしも寄り添っているとは言い難い、この上なく清々しい蒼穹。
出会った頃は僅かに自分より目線を下にしていた少年は、顔を上げて見上げる程に追い越されてしまい、逞しく精悍な青年へと成長を遂げていた。
その青年…レイヴンが、まるで今生の別れかのように辛そうに自分を見下ろしていた。
「三年ね。それに、卒業して暫くしたら正式な軍人さんになるから、毎日のようには会えなくなるね」
寂しいが、仕方ない。彼が選んだ道だ。自分も、彼の道を応援したい。
「卒業したら官舎が与えられる。そうしたらエレザを王都に連れて行く。 …約束、覚えてるだろう?」
「…うん」
この場所ではなくなってしまうが…彼と一緒ならどこでも幸せだと思える。
決して平坦な日々では無いかもしれないけれど…それでも良い。
「…その、エレザにはいつもクローバーを貰ってばかりだったからな。…お返しだ」
照れくさそうに目線を逸らしながら小さな紙包みを手渡された。
包み紙を開けて見ると、黄緑色の優しげな光が青空の下で眩く煌いた。クローバーを模したペリドットが並ぶバレッタ。
「…あー…悪い、そんな高くないんだけど、今に…」
申し訳なさそうに言いかけるレイの唇をつん、と指で塞いだ。
「むぐっ…」
「すごく嬉しいよ。 …ありがとう、レイ」
地元の少女達と親交は無かったが、レイは彼女らの憧れの的であることは嫌が応にも知れていた。 殊に13を越えた頃から、元々容姿が端麗だった彼が剣術の道でも頭角を現し、地元の剣技大会で大人相手でも構わず優勝を幾度となく掻っ攫っていたのもそれに拍車をかけた。
自分は影のように会場の物陰からひっそりとレイの試合を見守り、人目に触れないように彼に合流してから試合の内容を称え、祝福した。
街中では、将来この小さな町から大英雄を輩出する事になるのでは無いかと大人達も噂している。
…彼が自身の夢に近づくのは良い事だが、その名声が響くにつれ、微かな不安も胸に渦巻きつつあった。
―もし、彼が自分より魅力的な相手を見つけてしまったら―
そんな不安に怯える夜が増えてきた。…実際、町の少女達は彼の噂で持ち切りだ。町を去ってしまう前に大胆なアプローチを仕掛けよう、などと唆し合う者もいた。
今のところ彼は他の少女に目もくれないでくれているが…王都は大都会だ。この小さな町など比べ物にならないほどの誘惑が待ち受けている事だろう。
…それでも、彼を信じて待とう。
「…その髪留め、着けて見せてくれないか?」
「うん!」
たおやかな横髪を後ろでまとめ、クローバーのバレッタで留めた。…恐る恐るレイの反応を窺った。
「…うん。やはりとても綺麗だ、エレザ」
レイは優しく微笑むと、飾らない言葉で端的に言った。
レイを見つめながらエレザの心は揺れていた。
恋心に、だけではない。
今こそ全てを打ち明けるべきか否かを。
―でも、もしもそれで今の二人の関係が狂ったら…?―
エレザは正真正銘の転生者だった。
とはいっても、特別な知識がある訳でも、物凄い大魔法が使える訳でも無かった。…ただ、前世の知識とささやかな「スキル」…特殊能力を頼りに、この世界の薬草を調合してほんの風邪薬代わりの…免疫をいくらか活性化させたり滋養強壮となる薬を作れるだけだ。 それさえも大疫病を華麗に解決できるような便利アイテムなどではない。
…問題は自分の見た目が異端である事に加え、この世界とは別の世界から来た異世界人であったという事実を打ち明けるべきかどうかだ。
それそのものはこの世界に何ら影響にもならない自分の由来。大それた人生でも無かったが、確かに自分が別の命として生きていた記憶。
―――
ごく普通の調剤師として、小さな田舎町の小さな薬局で働く草臥れた独身アラサー…それが自分だった。
田舎町特有の、老人客による無邪気な下ネタトークに仕方なく付き合いながら愛想笑いを振りまきつつ、高校時代に告白できないまま離れ離れになった片思いの先輩を時折思い出して微かな後悔を噛み締め…いつか心を通わせられる良い出会いを…などと思いながら仕事と生活をなんとか両立させる、そんな変わり映えの無い日々。
そんなある日、昔からの友人に旅行に誘われ、京都旅行のその帰り道…バスの中で眠ったまま、自分の人生は唐突に終わった。
…気付けば自分の暮らすアパートのリビング。周りは壁すらなく、漆黒の空間に包まれていた。そ
れ以外何一つない、まるで大昔のテレビゲームの室内マップを再現したかのような空間。
『おやおや、我が愛しの勇者様に高級メロンをば、と足を運んでみれば…これがジャパニーズ・一期一会というものでしょうかねぇ?』
私の座椅子に勝手に座る、銀色の球状マスクを頭から被ったタキシード姿の不審者。
状況を飲み込めない自分に向かって、銀色のマスクを被った自称・「とっても誠実な人間好きの悪魔」は饒舌に、慇懃な物腰で懇切丁寧に自分の身に起きた事と、これから起き得る事を説明してくれた。
まず自分が不幸な交通事故で、バスの中で眠ったまま死亡した事。 本来なら天国送りになる魂を悪魔に拾われ、「無理強いはしないがその歳で天国行きは、若いままデイサービスに行くように穏やか過ぎて退屈だろうから、転生をしてもう少し刺激のある人生を送らないか」という提案だった。
「貴女にだって、あの時に戻れれば…という思いの一つや二つがあるでしょう?どうせなら、魂だけになる前にもう一つのアナザーライフをエンジョイしてみませんかぁ?」
それで万一死んでも、今度こそ天国に行くだけだ、と。 そして悪魔はメロンを一切れ差し出しながら付け加えた。
『ささやかなサービスとして、スキル〈植物鑑定〉〈成分鑑定〉も差し上げましょう。調剤師としてのご自身の経験と知識を幾分かは役立てられる筈です』
そんな便利な事ができるのか、と思いながらメロンにスプーンを刺すと、悪魔は更に続けた。
『ただし、それ以外は何もありません。 あなたは魔法も使えないし、戦闘能力や身体能力はご自身のソレとまったく変わりませんので、その点だけはくれぐれもご注意を。 まぁ、どんな悲惨な亡くなり方をされても今度こそ天国に召されるだけです。 マイナスは一つもありませんからねぇ』
極上に甘い果肉を飲み下した。
途端に世界が闇に包まれ、転生が始まった。…その瞬間、親切だった悪魔が歯をむき出して笑った…ような気がした。
…そして、エレザとして新たな命を与えられ、あくまで年相応の存在として過ごし、今に至った。
だが、レイにそれを打ち明けたとして…どうなるか?
彼がもしも自分を狂人だと思って離れてしまったら…その時は取り返しがつかなくなる。
ただただ、それが怖かった。
彼と離れる未来を迎えるくらいなら…自分はいっそ…
レイの背中を見送った。
…結局、打ち明けられぬまま…言い様のない罪悪感と孤独感を抱えたまま、彼との三年間の別れが始まった。
◇◇◇
世界が闇に包まれていく中、あの悪魔が牙を剥き出しにして自分を覗き込んだ。
『ああ、そうそう。お代は一切結構ですが…私はあなた方ニンゲンと一緒で、人の葛藤と苦しみ、そしてドラマを見るのが大好物でしてね。そのためのささやかな仕掛けは御承知頂きますよ?…なぁに、ちょっとした《《お姫様》》になるようなものですよ。 悪くないでしょう?』
…その言葉だけは、エレザの記憶から抜け落ちていった。




